無くしたくないものの話
今日は、私が素敵だと思ったnoteについて、
話したいと思う💐💐
人が書いたものをここで引用していいものか、と迷ったが、今の私がとても素敵だと思ったことを覚えておくためにnoteを書くことにした。
“ちゃんとガラクタに見える時まで”
内容としては、
誰かにとってガラクタやゴミだったとしても、自分にとってはとても素敵なものに見えてくる。
だけれど、いつか自分にとっても素敵だと思っていたものが、ある日突然魅力を感じなくなって、きちんとガラクタだと思える。
いつになるかわからないけど、自分が本当にガラクタだと思えるまで、自分にとって魅力的なものは絶対に捨てない。
ゆっくり自分の心と向き合っていく、
そんなお話だった。
なんて素敵な文章だろうと思った、
最後に見える意志の強さみたいなものが私は特に気に入っている、
ぜひ、私のnoteを見た方にはこの文章を読んでみてほしい💪
私にも多くの人から見れば”ガラクタ”に思われてしまうものでも大切にしているものは多くある。
その一つが最初の写真にも写っているスカイツリーだ。
(スカイツリーはゴミでもガラクタでもない気もするが🤫
私は多分人よりも何倍もスカイツリーに対して憧れを抱いている。
というのも、以前早朝の電車の中からみた、うっすら空が白んでいく中で控えめに光っているスカイツリーは本当に綺麗だった、
今でも忘れられないくらい本当に綺麗に思えた、
理由はそれだけ、
たったそれだけだが、いつかは窓からスカイツリーが見えるような家に住みたいと思っている、
そして朝、私が見たあの綺麗なスカイツリーをもう一度日常の一部としてみたいと強く思う、
でも、おそらく日常になった時点で、もしくは何か自分の理想だけではないなんらかのメリットと比較して、ゴミやガラクタ同様に切り捨ててしまう日が来るのではないだろうか、
そんなことを最近、引っ越しをしようとして考えた、
家賃このくらいがいい、この路線がいい、お風呂とトイレ別がいい、などといった自己中な家探しをしているとだんだん”そんなもの”と優先順位が下がる気がする、
大人になると、現実と生きていくことに慣れててしまうのかもしれない。
それでも、私はあの景色を、この理想を強く強く大切にしたいと思う。
“ちゃんとガラクタに見える時まで”
私も私の大切なものたちを手放さずに過ごして行きたい。
来世ははとになりたい
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