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#10 スキークラウンホルダーインタビュー 妻に土下座して22日間の山籠もり!全てはクラウン取得のため!!【鶴田由来人さん】

【今回のクラウンホルダーは…】

「これがクラウン取得の最後のチャンスになると思ったんです。なので、スキーだけの身体をつくろうと思って、そのために22日間、車中泊で山籠もりすることを決意しました。その間は仕事をしない、つまり収入がなくなるので、妻に土下座をして頼みましたね。」そう語る鶴田さんのスキー観に迫ります。

【クラウンホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウンプライズの合格証を見せてください。


②いまの年齢を教えてください。

→64歳です。
 
③お住まいはどちらですか?
→東京都西東京市です。
 
④初めてスキーしたのはいつですか?
→小学3年生
 
Q:子供のころはどうスキーに取り組まれていたのですか?
-小学校3年生から6年生くらいまで、スキーと言えるかは微妙ですが、そりと変わらないベルの遊びのスキーをしていましたね。僕の実家は岡山県で、1時間くらいで上斎原スキー場というところに行けたんですね。小さなスキー場でリフト一本だけのところでした。でも、温泉街があるのでバスが出てたんです。そこに年に2,3回くらい、先にスキーをやってた姉たちのおさがりで滑ってました。『スキーに行った』というレベルでもなかったですが、何か心に響くものがあって、今でも続いたのかなと思います。子供ながらに魅力は感じていたんでしょうね。
 
Q:中学生以降はどうされてたんですか?
→実は実家が倒産しまして、それで親から「野球とスキーどっちとる?」と言われて野球をとったんです。それからはずっとスキーのことは一切考えてなかったです。中学、高校と進んでその後は専門学校に進んだですが、その先の仕事に希望が持てなかったんですね。で、大学行こうかなと思ったり、それから、ボウリングのプロも考えたんですね。でも、その当時プロテストがアベレージ190あると受けれたんですが、それにちょっと届かなかった。それでそのプロボウラーの夢も諦めました。そんな中でたまたま現在生業としている宝石加工の職人の世界を知ったんです。江戸時代からの流れで、新宿で遊郭で働く女性の方向けの簪の宝飾とかですね。姉の付き添いで商品を工房に取りに来た時に、そうした作品を見てビビッと来て、その場で「弟子にしてください!」って言いました。

結局8年間丁稚奉公をしていたんですが、辛かったですね。何が辛いって仕事は良いんですが、住み込み先の師匠の奥さんの嫌がらせが酷かった。これ誰に言っても信じてもらえないんだけど、8年間毎日ご飯にゴキブリが入ってたんです。もちろん食べはしませんよ、そっとのけるんです。後から入ってきた弟子たちはみんなその嫌がらせに耐えられなくてみんな辞めていってしまいましたよ。それだけ熱意があるかどうかを試されてたんですかね。でも、そのゴキブリ飯は「早く独立したい」っていうモチベーションにはなりましたよね(笑)
 
 
⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?
→25歳
 
Q:丁稚奉公の期間中だと思うのですが、お金はどうやって工面されたのですか?
→当時何人か彼女がいて、その子たちにスキー行くお金を援助してもらってました。お小遣いで10万円くらいもらって、それにプラス毎回「スキー行きたい」と言っては1万円もらい、板も買ってもらってたと思います。でも、結婚したのはその子たちじゃなかったんですよね。さすがに少しもめましたが(笑)僕はスキー行ける彼女を探してたんです、今の奥さんにも「僕はスキーが好きだ」と伝えています。
 
⑥-1 2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→川場スキー場です。
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→3回目
 
37歳の時に2級に合格しましたが、それまでは級を撮ろうと思わなかったんです。こぶとか不整地とか変なところしか滑ったことなかったので。一度クレパスに落ちたり、モールの大会に出てアバラ折って、それから大人しく滑ろうかと思い始めたんです。そうしたら周りに級持ちか聞かれるようになって、そこからですね、検定に興味を持ちだしたのは。
 
 
⑦-1 1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→最初の1級はたんばらスキーパークで2回目に合格、2度目の1級は浦佐スキー場で合格。
川場スキー 場で2級取得した1週間後に1級受験したところ不合格!でした。検定員から「なめないで下さい」と言われました。その一月後にたんばらスキーパークで合格しましたが、コブが得意だったので小回り種目をコブ斜面で行う会場を探し受験しました。大回りとその他はマイナスですが、コブと総滑で加点し合格しましたが、その時も検定員から「もっと練習をしてください」とのお言葉を頂きました。それまではコブ、不整地ばかり滑っていたので基礎は一夜漬けみたいな状況だったんですよね。
 
その後、知人に「浦佐で1級取ってみろ」とそそのかされて受験しました。1度目ど同じ年に受験したのですが合格点無しのマイナス2点が2種目有りました。これがきっかけで基礎スキーにのめり込み、2年後、リズム変化の種目以外が加点のトップ合格を果たしました。
 
Q:浦佐はやはり難しかったですか?
→歯が立たなかったですね。だから浦佐で合格するために、月に1回くらい通って、そのあと、事前講習うけて何がポイントなのか聞いてみたりしましたよ。3回目の事前講習で教えてくれた人が上手で、僕の中で何かつかんだ感がありましたね。
 
Q:浦佐で取って良かったですか?
→やっぱり自信になりますよね。準指の方とかも浦佐で取ると待遇上がるとかっていって受けに来てましたもんね。あとは浦佐で合格するためには本当に基本が出来てないダメなんですが、それが今のベースになってますよね。
 
 
⑧-1 テクニカルとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→1999年 41歳 白樺高原国際スキー場 です。
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→4回目合格です。この頃まだ元気ありコブは2点オーバーの合計4点オーバーでした。これが後々苦労する事に繋がります。
 
⑨-1 クラウンとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→2017年5月6日 グランデコスノーリゾートです。
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→20回目 
検定に合格する年に、これがクラウン取得の最後のチャンスになると思ったんです。なので、スキーだけの身体をつくろうと思って、そのために22日間、車中泊で山籠もりすることを決意しました。その間は仕事をしない、つまり収入がなくなるので、妻に土下座をして頼みましたね。当たり前ですが取引先にも理由を伝え承諾をもらいました。
 
⑩年間滑走日数は何日ですか?
→最近だと30日。丁稚奉公時代で年間10日くらい、独立したバブル期から55歳くらいまでは年間40日くらい滑ってましたね。
 
⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?
→苗場スキー場。
 
⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?
→全て車
 
⑬定宿はありますか?
→細野館、飯森館
 
⑭普段は誰と行きますか?
→スキー仲間、一人
 
⑮クラブやサークルには入っていますか?
→アカデミー、スキークラブです。東京アカデミーに所属しています。
 
⑯レッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?
→たまにです。フォルクルチームの小原氏、柏木氏。
柏木プロは親父さんと息子の義之さんの方、両方に教えてもらってましたね。もともとは親父さんの方からポールを習ってたんですが、まぁ口の悪い人でしたね。父親さんの方からはよくストックでケツ叩かれていましたよ。息子さんの方はそういうのは無かったですけど、「下手だな~」とかボロクソ言うんですよ。
 
⑰年間スキーに使うお金は?
→現在は60万円くらいです。丁稚奉公時代も道具代含めて30円くらい当時はかけてたと思います(笑)
 
⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?

→皆さんと同じく「周りにスキー病、中毒患者」と思わせることです😁それが原因で銀行の融資を断られた事あります!とにかくスキーに行かないと仕事が出来ない、妻にはそう思われていますね。でも、説得するにはそうするしかなかったんです。昔は一緒にスキーに行ってくれましたが、もう今は絶対一緒には来てくれないですね。結婚1年後、29歳の時に子供が出来て、それから立て続けに2人出来ましたが、僕は一切育児を手伝っていないです。子供が出来ようが、スキーは毎週行ってましたね。妻は恨んでいるとは思います。

でもバブルの時はお金に余裕もあったので、「スキーに行く」と行って3万円を渡してて、それで一応納得してくれてたみたいです。その後、景気が悪くなり3万円が1万円になり、最後はお金を渡していませんでしたが(笑)
 
Q:まさにスキー漬けの人生ですね…。ご家族との関係はそれで大丈夫なんですか?
→家族との仲は良いですよ。昨日も夫婦でやってきました。
 
Q:やってきたというのは何をでしょうか?
→夫婦の営みですよ!決まってるじゃないですか(笑)
 
Q:お出かけを一緒にされたりとかそういうことはいかがですか?
→一緒に出掛けたりはしないな。もちろん、子供孫がらみで一緒に買い物いくとか食事にいくとかそういうのはありますよ。でもお互いにやりたいことをやってますよ。
 
Q:お孫さんがいらっしゃるんですね。お孫さんをスキーに連れていったりとかはしますか?
→孫は5人いますが、いろいろ習い事をさせているので、無理やり連れていくことはしないです。それから孫が可愛いから「スキーにいかない」ということもないですね。爺さんは一人で勝手にスキーいってます(笑)
 
Q:クラウン合格した時は奥さんも喜ばれたんですか?
→そうですね。僕も1番最初に連絡したのは彼女ですしね。その次にアカデミーに電話して、その他協力してくれた人にも電話した。仕事関係の人にも電話した。ご迷惑をおかけしてすいませんでした、と。スクールにも電話しました。
 
Q:合格してやはり一番嬉しかったですか?
→うーん、一番嬉しかったのは、テクニカルの時かな。スキーをする以上、テクニカルだけは持っておこうと思ったんですね。テクニカルを持ってる人が指導員よりうまいと思ってたので、だからテクニカルだけはもっておこうと。クラウン合格は嬉しかったというよりは、肩の荷が下りたという感じですかね。「どうやったらとれるんだろう?」と20年間思ってたので。スキーが楽しくなくなる時期さえありましたからね。いっそ無くなりゃいいって思ってましたよ。雪ふらなければいいのになぁとか。友達は「気楽に考えなよ」と言ってましたが、取ろうと思っていかないと取れないんですよね。検定員もどこまでスキーを理解しているかをよく見てますから。なんでこの人は落ちて、受かってというのが今になれば分かるんです。逆に言うと、そこまで習熟度があがっていかないと受からないですよね。

昔、周りにクラウン取るために必死こいてた人がいて、そういうのはかっこ悪いと思ってた時代もありました。でも、それは通用しないと思いましたね。バブル弾けるまでは毎年100万円くらい使ってたし、それ以降も年間60万円は使ってましたが、それくらい使わないと上手にならないですよね。でも。それだけスキーしていれば受かるかというとそういうもんでもない。僕の周りには、毎週土日行ってそれを12月半ばから5月くらいまでずっと続けてる人もいる。でもそんなに上手になってない。練習量だけでもないんですよね。
 
 
⑲クラウン取ってからスキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか?
→「あれでクラウン?」て思われることが無い様に努力する事と仲間に指導する伝え方の勉強をする事ですね。それには分析力を養わなければいけないので、理論は元より整体的な取り組みからの落下運動に対する関節、筋肉の連動、心理面など研究しました。皆さん「クラウンが目標ではない、通過点」と言いますが、それには違いありません。
 
Q:クラウン取得に向けて意識されたこと、取り組まれたことを教えてください。
あるデモの方から「たかがクラウン、身体を鍛え無くて大丈夫!」と言われて気が楽になりましたね。ただ、それも取り方によるかなと思いますが😆💦「スキーは左右に曲がりながら落下するだけ」とシンプルに捉える事で見えてきたものがありました。動力無しでカービングスキーをはいたロボットがターンしながら滑る動画もかなり影響ありました。スキー後のホットな体の内にメモを必ず取る事も大事ですね
 
クラウン受験の7回目あたりで、いつまでも点数に変化は無くスキー本来の楽しさが無くなりそうな為、3年間ブランクを開けました。その後、検定受験を再開しましたが、難敵になるのが腰痛です。誤魔化しながらのスキーはキツかったですね。事前講習中にぎっくり腰とか、ふくらはぎ肉離れなど諦めかけていました。
 
一時期スキー行く度にぎっくり腰になり、「もうスキー人生が終わりになるのか…」と覚悟しました。そんな中、56歳の時、腰椎のズレが発覚したんです!でも、ハリ治療が功を奏し元の位置に修まり重い腰痛が無くなりました。骨盤まわりから肩甲骨をメインにストレッチを毎朝行うことで腰痛、肩こり、ぎっくり腰は一切無くなり、コブも滑れる様になりました!肉体の不安が無くなり再々スタート出来ました。
 
骨盤を寝かせて長年滑ると色々支障が現れます、例えば、膝痛、肩こり、背筋痛…etc更にしっかり踵へ体重を載せられない。なので、骨盤をしっかり起こし、背骨と尾てい骨のラインを一直線にする意識を常に持ち練習しました。感覚を大きく変えるのは大変でしたが、圧のやり取りが敏感になりトップが使え、長い体軸で力強くスキーを踏める様になりました。骨盤ひとつで壁を突破し別次元のエッジング感覚を快感を伴い楽しめる様になりました。また、骨盤、股関節の動きの感覚も解るようになることで足先の操作でなく内転筋、股関節周りの筋肉を使い力強いエッジングが可能になり安定感も増しました。
 
普段の生活から「骨盤を寝かさない」意識で、歩く、走る時は必ず内転勤筋を意識します。そして体のバランスを整える毎朝のストレッチをしました。これらのことで健康になり、スキーが上達する事を発見したのは人生にも大きく影響していると感じています。その結果、レッスンでデモに一度だけチェックして頂き、他は福島県連のコーチのご指導のお陰もあり合格出来ました。

Q:クラウンをこれから目指す方に向けて伝えたいことはありますか?
初級者もテク、クラ目指す人にも同じ事を伝えます。エッジングに入る迄の準備について骨盤、背骨と脛の前傾足首緊張両スキー同時操作意識。これのみを徹底的に練習します。これ無しで先へは進めませんので、初級者の人には難しいと思いますが、余計な知識が無い分飲み込が早く内足を良いポジションで使える様になっています。後から外足荷重の大事さと荷重方法を伝えると簡単にこなしてしまうのに驚きました!上を目指す時に遠回りしないで済む気がします。
 
Q:レジャースキーをしたいと思ったことはありますか?
→素人の方と楽しくスキーをというのはないですね。何かを目指している人とか、あとはお客さんのお子さんのスキー指導とかはありますが。僕は今でもスキーを研究していて、その技術の向上が嬉しいし楽しいんですよね。なので、レジャー要素は別に楽しめないんです。だから、海外も行きたいと思わないですね。海外に行くお金があるなら、その分を近場で滑りたいです。
 
Q:いつまでスキーを続けられますか
→今の滑りが出来なくなったらやめるますね。平沢さんみたいに80歳まで出来たら凄いだろうなと思ってます。

【スキークラウンホルダーのアンケート回答まとめ】※年齢は2023年1月時点

【スキークラウンホルダーのキャリアまとめ】

【スキークラウンホルダーの話を聞いて…】

丁稚奉公時代の下積みの話しかり、その下積み時代のスキー費用の工面の話しかり、そしてクラウン取得のために土下座して山籠もりされた話しかり、エピソードが振り切れていてただただ唖然とするばかりのインタビューでした。 

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