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#11 スキークラウンホルダーインタビュー 留学を機に中学からやってきたアルペンから基礎スキーに転向!クラウン取得でスキーライフに一区切り。

【今回のクラウンホルダーは…】

「もともと技術選に出たいという想いはあったんです。小学校の文集にも書いてたくらいなので。でも、技術選で勝つ人もアルペン上りの人だし、アルペンはアルペンで楽しいのでやっていました。なんですが、留学してたこともあってFISポイントも取れてなくて、それでもうアルペンは厳しいなと思ったんです。それから留学でお金を使ってしまったので、ちょっと節約したいなと思って、そうした時に『基礎スキー』をやる手もあるなと思ったんです。」そう語る永田さんのスキー観に迫ります。


【クラウンホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウンプライズの合格証を見せてください。


②いまの年齢を教えてください。

→35歳
 
③お住まいはどちらですか?
→東京都
 
④初めてスキーしたのはいつですか?
→1歳と聞いています
 
Q:ご出身はどちらですか?
⇒島根県の西の端っこの津和野というところです。裏山超えたら山口県という場所ですね。小さい頃はそこそこ雪が降る場所で、高校までそこで住んでいました。
 
Q:スキーにはどんな風に親しまれてたんですか?
→うちの祖父が凄く好きな人で80歳超えてもスキーをやってるような人だったんですね。で、地元が凄く山ばっかりだったんですが、そこで自分の山を持ってたんです。そこを自分で切り開いてスキー場にしてました。Tバーみたいなリフトをつけて、そこで滑ってましたね。小学校の頃は週末そこに親とか祖父と遊びに行ったり、広島県との県境とかに滑りにいってましたね。特に技術とかは意識せず滑っていました。ただ、その頃から技術選のビデオはめちゃくちゃ見てましたね。小学校5年生くらいまでひたすら見てましたね。柏木選手が出てきた時代とかですね。
 
Q:他にスポーツは何かされていましたか?
→野球を中学までやってたんですが、高校はやめましたね。性格的にチームスポーツ向いてないんですよ。あと成績もスキーの方が出てたので、その時は楽しかったんですよね。
 
⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?
→気づいた時にはスキーをしていましたが、趣味から一段階上がったという意味では、中学からアルペンを始めました。
 
Q:きっかけは何かあったんですか?
→同級生で凄くスキーの速い奴がいたんです。で、彼の父親を僕の祖父が色々面倒見てたみたいなんです。で、そのお父さんが「勇気もやる?」と声かけてくれて、そこからアルペンをやりだしましたね。
高校まではそのチームに入っていました。同級生とかは結構強くて、インターハイとか全中で入賞するようない人もいましたね。
 
Q:子供の頃のスキーは楽しかったですか?
→今振り返るとやってて良かったと思う。ただ、当時は辛くてしょうがなかったですね。「合宿いきたくないなぁ」っていつも思ってました。
 
Q:高校卒業後の進路について教えてください。
→スキーで推薦が何個か来たんですね。その中に佛大もあったんです。佛大を選んだのは、僕の中では勉強もしっかりしたいなというがあったんです。父が教師だったというのも関係しているんだと思います。僕は特に英語を頑張りたいと思いました。佛大は文学部で英語を選ぶことが出来たんです。それから佛大は、韓国との留学制度もあったんです。そこも大きいですね。あとは、関西は馴染みがなかったので行ってみようという興味もあって、佛大に決めました。
 
Q:韓国語に興味を持たれたきっかけは何だったんですか?
→もともと韓国語に興味を持ったきっかけは中2の時で、地元の津和野町がその時ベルリンと姉妹都市になってて交流事業があったんですね。それで親に「行きたい!」と言ったら、父が「勇気、来年は韓国だぞ。これからはアジアの時代だから行くなら韓国だぞ」と言われて、それで翌年4日間韓国に行ったんです。それから韓国語に凄く興味を持って、独学でNHKの韓国語講座を録画してノートを取って高校まで勉強してたんです。
 
Q:佛大ではスキー部に入られたみたいですが、いかがでしたか?
→大学の中での自分のレベルでいうと、自分が1番高かったと思います。でも全日本とかトップレベルという感じではなかったですかね。佛大スキー部はクロスカントリーとジャンプがメインのチームだったんですよね、そこが合わないポイントの1つ目。一部の人とは少し折り合いがつかず仲悪かったんですよね(笑)。変に堅い所があるというか、僕は大会で成績出してたんですが、色々言われることがあって。僕は「成績出してるんだし、OKじゃない?」と思ってたんですが、先輩たちはそれをよく思ってなかったみたいですね。
スキー部の人間関係にちょっと嫌気がさしていたこともあって、「だったら勉強したいな」と思って韓国に留学しました。留学時代はクラブを覚えて、朝まで踊って酒飲んでという感じでしたね。日本人というだけでモテたこともあって(笑)
 
Q:部にスキーの素人の方はいらっしゃいましたか?
→さすがに全くの未経験者が入ることはないですね。でもアルペンの未経験者とかはいますよ。年に1人、2人くらいかな。そういう意味では、未経験者と滑るのって小学校で友達と滑るの以来なので、「未経験者ってスキーこんな風に滑るんだ!?」という違和感というか、驚きはあったりしましたね。でも、そういう経験値のない人の方がいろいろ聞いてきてくれるので、仲良くはなりますよね。
 
Q:留学中に韓国でもスキーはされましたか?
→一度だけスキーに行きました。とにかく寒かったですね。大学1、2年生の時に中国の内モンゴルでスキーをしたことがあって、その時-30度だったんですね。その経験があるから大丈夫だろうと思ったんですが、それでもめちゃくちゃ寒かったですね。あとは、やっぱりドン引きされましたね。留学先の韓国の友人たちはスキーとは全く関係ない人たちだったので、「お前何なんだ!?」という感じの顔していました。ただ僕としては板も借り物で思ったように滑れず、ストレスというか嫌だなという感覚の方が強かったですね。
 
Q:検定を受けるようになったのには何か理由があるんですか?
→もともと技術選に出たいという想いはあったんです。小学校の文集にも書いてたくらいなので。でも、技術選で勝つ人もアルペン上りの人だし、アルペンはアルペンで楽しいのでやっていました。なんですが、留学してたこともあってFISポイントも取れてなくて、それでもうアルペンは厳しいなと思ったんです。それから留学でお金を使ってしまったので、ちょっと節約したいなと思って、そうした時に「基礎スキー」をやる手もあるなと思ったんです。
スキー仲間で白馬の常連だった人のつながりで八方の元デモの太谷敏也さんと知り合ったんです。で、敏也さんの自宅に下宿させてもらって、そこでスキー教えるバイトしながら自分も滑るという生活になったんです。八方のスクールに所属して赤服着て滑ってましたね。当時は指導員の資格は持ってませんでしたが1級は持ってて、あと滑ればだいたいどれくらいの実力かは分かるので、それで子供はもちろん、大人の方向けのレッスンも担当していましたね。丸山貴雄さんにスキーを教えてもらうこともありました。名木山のナイターで赤服30人くらいでみんなで教えてもらいましたね。
 
⑥-1 2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→取得しておりません
-2 何回目のチャレンジですか?  
→N/A
 
⑦-1 1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→2002年ごろだったと思います。 島根県瑞穂ハイランドスキー場
-2 何回目のチャレンジですか?
→1回目
 
⑧-1 テクニカルとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→2012年 長野県岩岳スキー場
-2 何回目のチャレンジですか?
→1回目
 
Q:正直テクニカルは楽勝でしたか?
→点数で言うと、加点8くらいで取れましたね。
 
Q:八方で取ろうという気持ちはなかったんですか?
→当時は身内だと受けられないという決まりがあったと記憶しています。それで岩岳で取りましたね。
 
⑨-1 クラウンとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→2015年 島根県瑞穂ハイランドスキー場
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 
:クラウンを取ろうと思ったきっかけはなんですか?
→家の都合で1年実家にいた時期があったんですね、それで時間もあるしせっかくだから取ろうかなと思って、知り合いと一緒に行きましたね。
 
Q:スキーヤーのレベルは地域によって違ったりしますか?
→本当に上の方のレベルは西日本だと少ないですよね。もう一息という人が多いかなと思います。それは今も変わってないと思います。最近も西日本の技術選の動画を見て、同級生とか出てるけど「う~ん、イマイチ!」という印象でしたね。クラウンを受けてた同じ受験生とかもそうですね。惜しいというか。ちゃんと教える人がいたらもっと上手くなってただろうなという人はいますね。
 
⑩年間滑走日数は何日ですか?
→小学校の頃の年間滑走日数は12月末から3月半ばまでほぼ毎週末なので30日くらい行ってました。中学からは合宿とかに行きだしたので小学校の倍の年60日くらい。大学時代の滑走日数も留学時代を除いて60日くらいは行ってましたね。留学した年は10日程度です。
 
社会人になってからは、実家に帰った時に2,3日行くみたいな感じですね。「社会人になってもやろうかな」と思ってたんですが、なかなかしんどくて。あと1人暮らしだと板置く場所もないというもありますね。それから社会人になった時に野球を始めたんですが、そっちが楽しくなって。
 
⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?
→最近行けてないので特に決まったところはありませんが、白馬、志賀高原、菅平などは地元感があります。
 
⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?
→車です
 
⑬定宿はありますか?
→特にありません
 
⑭普段は誰と行きますか?
→一人か親と一緒に
 
⑮クラブやサークルには入っていますか?
→入っていません
 
⑯レッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?
→現在は特にいません
 
⑰年間スキーに使うお金は?
→小学生までは平板を使っててシーズン券のチケット代とかを合わせてもせいぜい年間5万円くらい。
中学からはスラロームとジャイアントスラロームの両方の板を定価で買ってたのでそれだけで8~10、道具代だけで30万円はいってたと思います。それにプラス合宿費、遠征費とかも合わせると150万円くらいかかってましたかね。現在はほぼゼロです。
 
⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?
→特にしていません
 
⑲クラウン取ってからスキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか?
→特に大きな変化はありませんでした。 ただ一区切りという感覚はあります。
 
Q:転職が凄く多いですね。現在はどんなお仕事をされているんですか
→僕、仕事が続かないダメなやつなんで(笑)飽きっぽいんですよね。最初の会社は就活をちゃんとやってなかったのもあって、半年くらいで辞めてます。2社目はブラック企業の営業でした(笑)転職は何かのタイミングというより、思いつきですね。でも今のIT人材の会社は長く続いてて8年目になりますね。結婚のタイミングでそこに転職しました。
結婚は27歳の時ですね。東京来てすぐの頃でした。早めに結婚したいなというのはあって、韓国つながりの合コンみたいな感じで出会ったのが妻ですね。
 
Q:奥さんとスキーに行かれたことはありますか?
→1,2回一緒に行きましたね。向こうは普通に滑れる程度でしたが、特にドン引きはされませんでしたね。妻はバレエで結構なレベルまでいっていたので、他のスポーツとは言え「凄い!」というのは無かったですね。
 
Q:いわゆる一般スキーヤーの方とスキーに行くことはありますか?
→会社の仲間と社員旅行でスキーに行ったことはありますよ。全員が滑りにいくとかではなかったんですが、後輩の子2人がボードやってたので「じゃあ一緒に滑ろうか」という感じでしたね。でも、いざ一緒に滑ったらドン引きされました。まず恰好から引かれましたよ。「なんですか!その恰好!?」みたいな。素人の方と滑る感じはだいぶ慣れてるんですが、でも滑ってるとつい自分の滑りが気になって「ここがダメだったな」とか思って、「練習したい!」ってなっちゃいますね。温泉とかご飯のレジャー要素も今は楽しいと思えますね。でも「もっと滑りたい」とは感じちゃいますかね。
 
Q:スキーを辞めたい、辞めようと思ったことってありますか?
→辞める辞めないを考えたことがあんまりないかもしれませんね。今はタイミングがあってたまたま年に数回行ってる感じですが。今は野球が楽しいのでそっちですね。でも、その野球もやっぱり若い人には勝てないし、大学までちゃんと野球やってた人には勝てないし、どこかで辞める時がくるかもですね。
今、たまたま義理の父が軽井沢に家を建てることになって「滑りにこない?」と言われてるんですよね。車で都内から1時間半くらいでいけるので、スクールでお小遣いを稼ぎながらやるのもいいかなと思っていますね。同級生の女の子で東京都の代表で国体に出てる子とか、デモやってる友達もいて、そんな人達からの刺激もあるので、自分ももっかいやってみようかなという想いはありますね。
 
Q:スキーをやってて良かったなと思うことはありますか?
→視野が広がりましたよね。上には上がいるという厳しさを知ることも出来たし、それから礼儀とかも教えられたのでいろいろ学んだなとは思います。
 
Q:スキーを辞めた人は周りにいますか?
→競技という意味ではその方が多いんじゃないですかね。スキー仲間だったみんなも趣味程度にはやってるかもしれませんが、それぞれの道を行ってるなという感じです。
 
Q:今後スキーとはどう付き合っていこうと考えていますか?
→長く続けられて楽しいスポーツだと思うので、無理せず続けられたらなと思っています。それからちゃんと教えられるようになりたいと最近思うようになりました。昔は他の人を見て「あいつら下手だな」くらいにしか思わなかったけど、せっかく滑るなら上手い方が楽しいはずなので、「スキー楽しい」って思える人を増やせれたらいいなと思っています。

【スキークラウンホルダーのアンケート回答まとめ】※年齢は2023年3月時点

【スキークラウンホルダーのキャリアまとめ】

【スキークラウンホルダーの話を聞いて…】

小学生の頃から技術選のビデオを繰り返し見ていたという永田さん。留学を機に基礎スキーに転向され、クラウン取得のきっかけをお聞きした際に「家の都合で1年家にいた時期があって、時間もあるしせっかくだから」と飄々と答えられていたのが印象的でした。
 

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