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#12 スキークラウンホルダーインタビュー 岩岳の大会に出られなかったのが悔しくて…埼玉在住ながら年間40日滑走でクラウン合格!【板倉 延弘さん】

【今回のクラウンホルダーは…】

「当時の岩岳は1チームあたりの出場人数制限があって、1チーム10人くらいしか出せなかったんですね。うちのサークルは80人くらいいたんですが、1級検定の基準で出場する人が決められたんです。チームのトップでだいたい+25点とかそれくらい。僕は+5点とかだったんです。それだとチームで13~4番目で、岩岳には出られななかったんです。」そう語る板倉さんのスキー観に迫ります。

【クラウンホルダーにこんなこと聞きました!】

①クラウン合格証を見せて下さい。

②いまの年齢を教えてください。
→49歳
 
③お住まいはどちらですか?
→埼玉県
 
Q:出身はどちらですか?
→出身も埼玉県です。大学が信州大学だったので、その間だけ長野県ですね。
 
④初めてスキーしたのはいつですか?
→7歳
子供の頃はファミリースキーで家族と行く感じでしたね。親が家族旅行とかはしない人だったので、その代わりにスキーに行くみたいな感じで毎年連れていってもらいましたね。年末年始に7日~8日くらいガッツリ長めに行ってました。毎年お年玉をゲレンデで貰っていましたよ。
 
Q:子供の頃他にスポーツはされていたんですか?
→中学の頃は野球部で、高校は最初バレー部、その後水泳部でした。バレー部は4月に誘われて行っただけなんですが、辞められなくなってしまい…でも腰を痛めてしまってから球を拾えなくなったので、そこから水泳部に転部しました。
 
⑤スキーを本格的に始めたのはいつですか?
→19歳。大学で基礎スキーのスキーサークルに入ってからですね。部活ではなかったのですが、凄い体育会系のところで、特に僕らが4年の頃に岩岳の大会で3位になってからはずっと上位に入っています。
 
Q:なぜ大学でスキーを選ばれたのですか?
→実は大学に入学する時からスキー部に入りたいと思ってて、なんならスキーできるかどうかで大学を選んだところもあるくらいでした。所属のスキーサークルとの出会いは、僕は大学の寮に入ってたんですが、そこに当時の部長も入られてたんですね。それで「お前うちのサークル入るよな?」と言われて(笑)
 
Q:スキーサークルに入られた時の板倉さんのスキーのレベルは?
→今の基準だと級が取れないくらいのレベルでしたね。それまでは完全に我流でやっていたというのもあって。周りは結構凄いやつがいて、特にうちの代は黄金期と言われていたんです。岩岳の大会で10位以内に3人くらい入るようなそんなんでしたね。その代の中で僕は入部当初は真ん中くらい、卒業する時でも30人中10番目くらいだったかなと思います。当時の岩岳は1チームあたりの出場人数制限があって、1チーム10人くらいしか出せなかったんですね。うちのサークルには80人くらいいたんですが、1級検定の基準で出場する人が決められたんです。チームのトップでだいたい+25点とかそれくらい、で僕は+5点とかだったんですがそれだとチームで13~4番目で、岩岳には出られななかったんです。
 
Q:スキーに打ち込んでそれでも岩岳には出られなかったということでスキーが嫌いにはなりませんでしたか?
→逆ですね。そのことが悔しくて悔しくてそれでスキーを続けられました。岩岳に出ていたら、むしろ辞めてたと思います。
 
Q:社会人になってからはどうスキーと向き合われたんですか?
→目標をテクニカル、クラウンに切り替えて滑っていました。とはいえ、最初はクラウンは目標には思えませんでした。それで、まずはテクニカルを受けて自分のレベルを知ろうと思って受けました。1回目は少し点数が足りなくて落ちたんですが、「頑張れば取れるかもしれない」と思いました。いや”思わせられちゃった”というのが正確ですかね。ただその最初のテクニカルの試験を受けて「やみくもに受けてもお金の無駄」と思ったので、練習で自分の欠点を意識して滑るようにしました。
 
Q:大学の同期の方はスキーを続けていらっしゃいますか?
→知ってる限りだと女性はほとんど辞めましたね。岩岳で3位になった凄い上手い人がいましたが、結婚、出産を機に辞めていますね。当時の仲間で続けてるっていうと…石川県代表で全日本いった人は今でも続けてますね。あと3人くらい雪国で就職した人も続けてるハズです。それ以外の人は年に1回ファミリースキーに行くくらいです。雪国じゃない場所で生活しててスキーを続けてるのは僕だけだと思います。
 
Q:その雪国で就職された方というのは皆さんスキーを意識しての就職活動だったんですか?
→いやいや、もともと雪国出身で里帰りっていうのと、大学で長野に来たからそのまま長野で就職したっていうそういう事情です。
 
Q:社会人になられてからのスキーは一人で続けたんですか?
→最初は完全に一人でしたね。でもその後父と一緒に滑るようになりました。父が元々スポーツ大好きな人間でスキーも多少するんですね、なので「スキーを教えるからビデオ撮って」と言って(笑)父にワンポイントアドバイスをしながら、その代わりにビデオ撮ってもらって、自分の滑りをリフトの上で見て、その繰り返しでした。
 
Q:大学の同期の方は板倉さんがスキーを続けてることを知ってるんですか?
→同期は僕がスキーをしてることは知らなかったと思います。1人石川代表の人とは草大会で会ってその時に彼は知ったと思いますが。他の人はクラウン合格した時にグラフィックに載った時に知ったんじゃないかと思います。
 
⑥-1 2級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→20歳(1994年) 菅平
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→1回目
 
⑦-1 1級とったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→22歳(1996年) いいづなリゾート
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 
⑧-1 テクニカルとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→27歳(2001年) 黒姫高原
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→2回目
 
Q:テクニカル合格の時は嬉しかったですか?
→嬉しかったですね。取れると思って受けにいって、ちゃんと取れたので嬉しかったですね。テクニカル合格のためにやったのは、先ほどの父とのビデオを撮ってそれを見ての繰り返しです。技術選に出るためにクラブに所属はしたんですが、凄く自由なクラブだったので特に何も制約とかなくて、クラブのために何かしないといけないことはなかったです。
 
Q:合格された時は手応えがあったんですね。
→そうですね、僕の場合は大回りの方が小回りよりも得意だったんです。で、当時は事前講習での滑りも得点になったんですが、その時は不整地大回りをやらされたんですね。周りが苦戦していたのもあって、これなら受かるなと思いました。父とのスキー練習の中で、2000年には自分の中で感触がつかめてきて、翌年には滑りの方向性みたいなものが見つかり、その方向性の中で練習を続けていったら受かったという感じでした。
 
 
⑨-1 クラウンとったのはいつですか?/どこで取りましたか?
→32歳(2006年) グランデコ
 
-2 何回目のチャレンジですか?
→3回目 
 
Q:テクニカル合格から5年でクラウン合格されていますがその間はどう練習されていたんですか?
→基本的にはここも一人で滑って見直して、その繰り返しです。ただ2003年から五竜のスキースクールで働くようになって、そこで、ちゃんとしたレッスンという形ではないのですが、仲間内で滑りを見合ったりはしていましたね。ちなみに実は0回目のクラウン受験というのがあって、高畑スキー場に受けに行ったんです。でもその時は受ける前にコブ斜面で転んで左手を粉砕骨折してしまって、受験料が返金されて帰ってきてるんです。でも、その時の影響でしばらくコブが怖くなってしまいました。
 
Q:五竜のスキー場で働くようになったのはどういう経緯だったんですか?
→特にコネとかそういうのはなく、一般で募集しててそれで採られたんです。寮で寝泊りして滑っていました。
 
Q:五竜の寮はどんなところなんですか?
→個室とかはなくて、3~4人で雑魚寝するような感じですね。お風呂は共同風呂というか一般の家庭のお風呂でそこにみんな順番に入る感じです。女子もいたのでお風呂の順番とかは本当に守ってましたね。ご飯は居酒屋みたいな所でそこが営業時間前に出してくれるんです。なので基本的にはお金を使うことはないです。お昼ご飯を買うくらいでしたね。
 
Q:スキースクールの仲間と滑るのは勉強になりましたか?
→なりました。ただ、基本的にはレベル別で滑る感じで、全日本に行くような人たちはそのグループで滑るんです。僕はたまたま同期にテククラを目指している人がいたので、その人と意見交換をしながら滑ってました。当時は学生が多かったので、年齢的には僕は真ん中くらいでしたね。
 
Q:クラウンに合格した時のことを教えて下さい。
→コブの恐怖心を克服してから、黒姫、鹿沢ハイランド、グランデコと受けたんですが、①落ちる②その対策を考えて滑る、というサイクルを短い期間でやることが出来たのが大きかったのかなと思います。ちなみに3回目で受からなかったら、もうクラウンを受けるのはやめようと思っていました。
 
Q:合格した時は嬉しかったですか?
→嬉しかったですね。テクニカルの時よりも全然嬉しかったです。ただそれでも学生の時のコンプレックスが解消されたわけではなくて、岩岳に出られなかったコンプレックスはやっぱり今でもあるんです。
 
Q:クラウン合格されてからもスキーを続けられてるのはどんなモチベーションからですか?
→もっと上手くなりたいと思ってますね。スキーを長くやってきて分かってきたことがあって、それは「スキーはシンプルな動きで滑れる」なんですね。昔は今と違ってもっとお喋りで、スキーの技術のことについて本当によく話してたんです。でもスキーって突き詰めると凄くシンプルな動きだなと気づいてからは、そのシンプルな動きのカギとなるポイントを1個だけ探しています。その1個の動きが最重要だという仮説と検証作業を自分で繰り返して、確信が持てたらそれをスキー練習中の人に伝えています。
 
Q:技術選には現在出ていらっしゃらないですよね?
→今年から埼玉県→長野県の白馬村スキークラブに移籍したんですね。でも長野県の技術選は平日なので、僕は行けなくて、逆にそこに出てくる人達ってもう頭のネジが外れた人じゃないと出れないですよね。
 
⑩年間滑走日数は何日ですか?
→今は20~30日(クラウンを取るまでは40日程度)
 
⑪ホームゲレンデはありますか?/どこのスキー場ですか?
→去年までは五竜。今はジプシースキーヤーです。もともとずっと五竜スキー場に所属していたんです。でも、今はコロナなので関東の人に来てほしくないということなんだと思うんですが、今シーズン契約してもらえなかったんですよね。例年だともう連絡が来ているはずなのに、今年は来なかったのでそういうことなのかなと。かれこれ20年近く五竜で細く長く教えていたんですが…。
 
Q:20年もいると五竜で大きな顔とか出来るようになれるもんですか?
→いやいや、下は抜けても上が抜けてかないので永遠の若手ですよ(笑)
 
⑫スキーにはどうやって行きますか?車/電車/バス?
→自家用車
 
⑬定宿はありますか?
→ありません(基本日帰り)
 
⑭普段は誰と行きますか?
→ヒトリストです。練習の時は基本は一人ですね。現地でたまたま知り合いと出会ってというのはありますが。家族で行くってのは少ないですね。
 
⑮クラブやサークルには入っていますか?
→白馬村スキークラブに入ってますが、放置されてます。
 
⑯レッスンは受けていますか?特定のコーチがいますか?
→レッスンを受けたことがありません
 
⑰年間スキーに使うお金は?
→マテリアルも含めて20万円くらい
 
⑱スキーをするために仕事や家族の理解を得るように工夫していますか?
→夏の間は子供の世話をたくさんしてます。 冬も平日は家事を積極的にやっています。あとは妻もスキーをする人間だから理解してもらえてるというのはありますね。スキースクールで出会ったトレーナー仲間なので、スキーに対しての理解はありますね。ただ、子供が小さいときには、彼女もスキーが好きなので「アナタばっかり行って!!」と思われてましたが(笑)
 
Q:スキーの他に数学も趣味にされていると拝見しました。
→趣味で毎日数問を解くような感じですね。10年前くらいに始めたんですが、最初は呼び名が違ったり範囲が違ったりでなかなか解けなかったです。でも仕事で中学、高校生に教えることになり、そのために教えられるように数学を解くことを習慣化してきました。本当に歯を磨くような感じですね。
 
Q:10年前より解けるようになるもんなんですか?
→難しいところですね。加齢による脳の衰えもあるし、新しい問題が出てきたりもあるので。ただ、そういった新しい問題に触れての驚きだったり、新しい解き方に気付いての刺激みたいなものはいまだにあったりしますね。
 
⑲クラウン取ってからスキーへの取り組み方/楽しみ方は変わりましたか? →クラウンを取ってからがスタート、と考え、技術が落ちないように努力しています(あれでクラウン?と言われないように…)
 
Q:レジャースキーはされますか?
→会社の人と行くことはないですが、子供の保育園で仲良くなった方や家族と行くのは最近増えていますね。ただ一緒に滑るというよりは、少し教えて、あとは自分で降りられるかを見て安全確保をしてっていう感じですね。
 
Q:一緒にスキーに行かれた方には驚かれませんか?
→いや、みんな整地でカービングとかを見ても何も思わないですよね。だから特段ビックリとかはされないですよね。分かりやすいコブとかで滑ると驚かれるのかもですが、そもそもそういう所に行くことがないですからね。
 
Q:Twitterで転職歴9回、死にかけたこと3回、休職6回というTweetを拝見したんですが、ここら辺のことをお聞きしても良いですか?
→はい、僕は転職が凄く多いんですよね。大学で情報工学を学んでいるのですが、コンピューターは合わなかったんですよね。今は福祉系の仕事をしていて、その方が自分に合ってるなと思います。それからスキーをやりたいと思っているので、『土日休日がしっかり休めて有休が使える』という視点もも現在の会社を選んだ理由になっていますね。
 
Q:いつまでスキーを続けたいとお考えですか?
→僕はスキーは生涯スポーツだと思ってるので、体が動かなくなるまでやりたいなと思っています。
 
Q:スキーが上手くなるコツ、ポイントは何だと思いますか?
→コーチについて変に習うよりも、その習ったことを咀嚼する時間が大事だと思うんですよね。みんな習うことに慣れてしまっているというか。「この間は●●デモに教えてもらった」とかそんなことを話して満足してしまってると思うんですよね。クラウンを取ろうと思ったら、プロに習ううんぬんかんぬんよりも咀嚼できることの方が大事だなと思います。
 
Q:知人からクラウンを取りたいと言われたらどうします?
→まずは勧めると思います。クラウン合格に向けての壁というものが誰にもあると思いますが、その壁の高さは経験しないと分からないと思うんですね。人によってはその壁が高いと思うかもしれないし、逆に低いと思う人もいると思うんです。その壁の高さをどう感じるかは、1,2級くらいを受けてみないと分からないと思うんです。で、1,2級を受け手みて「壁が高い」と思えばやめるも良し「面白い」と思って沼にはまれば『ようこそこちらへ!』ということですね。
 
Q:それは例えば40歳くらいの人でもですか?
→そうですね。年齢は関係ないと思います。最近の30~40代って元気なので、昔の40代とは違うっていうのもありますし。
 
Q:最後に一言何かあればお願いします!
→どんどんスキーをやる仲間が減ってきていて寂しいなと感じています。スキー部の同期とのコミュニケーションを取る手段もなく、声掛けも難しいんですよね。連絡取れる奴には声かけて一緒に滑ろうとは言ってるのですが…昔スキーやってた人が戻ってきて欲しいなとは思っています。

【スキークラウンホルダーのアンケート回答まとめ】※年齢は2023年3月時点

【スキークラウンホルダーのキャリアまとめ】

 

【スキークラウンホルダーの話を聞いて…】

学生時代に岩岳の大会に出られなかった悔しさをバネに、社会人でもスキーを続けられ、クラウン合格まで登りつめられた板倉さん。『習うことに慣れずに、学びを咀嚼することを意識した方が上手くなる』という言葉には、一人黙々と自分の滑りと向き合い技術を向上させた板倉さんのスキー観が詰まっているなと感じました。

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