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「今こそ挑戦のとき!ブログ開設!」

氷室健太郎(ひむろけんたろう)と申します!
私は昨年の12月9日をもって、約20年勤務した広川町役場を退職しました。
そして、翌10日に記者会見を行い、広川町長選挙へ立候補する意思を表明いたしました。
文量が限られるSNSでは発信しづらいことを中心に、こちらで書き連ねていこうと思います。

簡単に自己紹介をさせて頂きます。
私は八女市の出身で、九州大学法学部を卒業後、広川町役場に入庁しました。町⺠課→住⺠環境課→福祉課→政策調整課→企画課を経験し、地域創生などを担当しておりました。
たくさんの出会いがある中で、住民の方々の生のお声も聞くことができました。広川町の素晴らしさを再認識すると共に、今後の課題も見えてきたように感じています。
ブログの初めての投稿は、まず、私の決意から記しておきます。

1.「感謝の気持ち」が原動力

広川町職員として約20年、町民として約15年。
仕事もプライベートも充実した日々を送れたのは、多くの町民の方々のおかげです。
思い返してみると、役場でも、消防団でも、青少年育成推進部でも、国際交流協会でも、PTAでも、そして家を構えた長徳区でも、私や私の家族を仲間として受け入れてくださり、困ったときは助けてくださり、いつも支えてくださる人に恵まれました。
この町には、共に汗を流し、涙を流し、笑い合える人がいる。
そう思えることが、私の幸せであり、私の誇りでもあります。
支えてくださる皆様の御恩に報いるため、私は常日頃から、この町のためにできることは何でもやろうと決めていました。
役場での仕事を頑張れたのも、そのような感謝の気持ちがあったからこそです。

そんなとき、広川町を16年間率いてこられた渡邉元喜町長が、今期限りでの勇退を決められました。
私は、渡邉町長の傍で、町の将来ビジョンや総合戦略の策定やその実施に携わりました。
幸いなことに、渡邉町長とは、これまで故郷にかけてきた熱い想いや、町が直面する諸課題への対応策、今後の広川町が持つ高い可能性などについて、じっくり意見交換する時間をいただいてきました。
その中で、先人の思いと共に「誰かが次の時代を担わなければならない」という状況に直面したとき、それまで私の中で蓄えてきた感謝の気持ちが、私を突き動かしました。

今、広川町は、コロナ禍や物価高で社会が不安定さを増す中で「どうやって人々の生活を守るのか?」「どうやって未来に希望が持てる地域にするのか?」とても難しい舵取りを迫られています。
私は、そんな難しい状況であっても、むしろこんなに難しい状況だからこそ、私がこれまで20年間積み重ねてきたまちづくりの実践と学びを生かさなければならない、と強く感じております。

「私の残りの人生をかけて、先人が不断の努力で築いてこられた広川町を引き継がなければならない」

今こそ、私が次のリーダーとして、まちづくりの先頭に立ちます!
そのための大きな大きな試練に、勇気を持って挑みます!

2.目指すまちづくりのカタチ

私が目指したいのは、この町で暮らす人すべてが、持っている意欲と能力を存分に活かし、自分らしい暮らしを実現できるまちづくりです。
個人では克服できない課題を地域社会が引き受け、誰からも挑戦する機会を奪わないこと、自らの努力で目標に近づけると誰もが思えること。それが、この地域の持続可能性にとって最も重要です。

家庭環境や教育環境のために将来の夢や希望を諦めたり、仕事を求めているのに働けなかったりする地域では、明るい未来を描くことなどできません。
町行政が対応すべき課題は、その対象世代も分野も多岐に渡りますが、どのような課題であれ、あるいは社会情勢がどのように変わろうとも、私は、多くの町民が自らの希望をカタチにできる町を目指していきます。

具体的な政策や公約は、これから多くの人と対話しながら示していきます。
残り90日あまり、全力で駆け抜けますので、皆さんのご理解とご協力をよろしくお願いします!

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