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反抗する

今日もゲームの話だ。ウォッチドッグス2だ。この作品を実在の社会に合わせて一言でいうと「GAFAが俺達の個人情報を悪用しているから俺達ハッカー集団は立ち上がった。自由の為に闘う」だ。

ちょっと思想的なことを考えたい。この作品は2016年に発売だ。つい最近じゃんって思うかもしれないけれどビットコインバブル崩壊やトランプ政権樹立は2017年のこと。当然ゲームにトランプに似た大統領は出てこない。ビットコインもない。

仮想通貨は物語に組み込むのが難しいと思う。つまりブロックチェーンの概念に触れると、この作品の構造自体に響いてくるんじゃないかってことが言いたい。順を追うから説明させて。

多くの反抗(あえてこの言葉)の物語は、

大きなA ⇔ 小さなB

の関係にあって、主人公側の小さなBは大きなAのカウンターだ。いつも大きなAを倒すのが目的だけど、大きなAを倒した後の物語が続かない。パターンがある。

 ①自分らが大きなBになって新たに小さなCに倒される
 ②別の世界の新たなる大きなXを倒しに行く
 ③大きなAの背後にはさらに大きなAAがいたから倒す

小さなBってのは、ハッカー集団、訴訟団体、学生、内部告発者、労働組合に市議会議員、PTA、パンクバンド、テロリストなどまるっとそうだ。大きなAに対してのリアクション。いま「GoTo」とか何言ってんだ!て抗議のヤツ。これが確かにわかりやすい。構造的に勧善懲悪だし物語にしやすい。しかし続編が難しい。革命はその後が大変で息詰まる的な説教をアムロがシャアにするレベル。

実際ウォッチドッグス2では、大きなAであるGAFA的企業の最高技術責任者にパンチを繰り出して終わる。しかし企業自体は生きているし背後の大きなAAの存在をちらつかせてエンドロールは終わる。今年さらに続編が発売されるけど、世界の事態は悪化している。

これでいいのか?

所詮は娯楽なんで割り切ってもいいけれど、深く考えておかないと「小さなBが頑張る、終わることのない闘い」しか選択肢はないんだと刷り込まれてしまう。革命を想う。真に大きなAAAに俺達はたどり着けないんじゃないか。

そこで効いてくるのがブロックチェーンの思想だ。大雑把に言うと、大きなAを解体して小さなXばかりにする概念だ。不正はみんなでチェックするのだ。俺はこれ最高だからなんでみんなこっちに舵を切らないのか不思議だったんだけど、理由は単純だった。

実現するには時間がかかる

設備インフラの更新に手間暇がかかる。必要電力ヤバイ。既得権益が当然嫌がる。とかとか道のりが長いんだ。そしてブロックチェーン自体が複雑で直観的にわかりづらい。だから物語に落とし込みづらい。俺達はウォッチドッグス2で満足している場合じゃないらしい。大きなA vs 小さなB の隣に新しい思想を添えないと広がらない。

革命ってデキるんだろうか?

厨二な疑問の火は未だに消えない。

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