都会と田舎の当たり前の違いを認識する

普段は鳥取県鳥取市でNPOを経営しているゲンヨウです。お盆ですね。帰省もあってか、鳥取市内の飲食店などの人の出入りが肌感覚ですが激しい感じがします。

仕事柄、東京に行く機会は鳥取の人の中では比較的多い方ですが、暮らしているわけではないですし、実家は静岡県沼津市の比較的まちなかではありますが、100万都市ではないです。

そんな中、仕事の打ち合わせもあって大都会の人と話をしていたのですが、前提条件がまったく違うことが認識できました。例えば。

「駅の周辺に人は集まる」

ということがあった時に、鳥取県でも鳥取市や倉吉市、米子市など中心都市はまだ集まる構造がありますが、僕の家がある鳥取市福部町の福部駅周辺に人が集まる構造はありません。

同じように郡部の駅は、学生(主に高校生)は使いますが、大人はほとんど車移動になります。一年間で最寄り駅使わない人の方が多いんじゃないかな?

必然的に田舎の導線は、家→店、家→会社になります。買い物の導線だと、家→(出勤)→会社→(退社)→店→家になります。都市部だと、家→駅→列車→駅→会社→(退社)→駅→列車→駅→店→家になるのかな?

田舎と都会の導線の違い
いなか:家→会社→店→家
とかい:家→駅→列車→駅→会社→駅→列車→駅→店→家

これは、沼津でも同じような動き(田舎側)だったと記憶しているので、ある程度の大都市での状況だと思うのですが、日々暮らしているとお互いの当たり前が違うので、打合せの最初にその辺の認識の差を埋めました。これって面白いなと。

例えば、
都会「隣駅くらいまでなら、列車で移動してくれますよね?」
田舎「いやいや、何キロあると思う?ないでしょ」

田舎で暮らし慣れればなれるほど、本当に歩かなくなります。そして、車という移動距離を超えられるツールがある割に、移動しなくなります。隣駅だと大体隣町になるので、わざわざいかない。通勤ルートだと気にならないけど、同じ距離、逆の方角へ動くかって言われると動かない。

また、「○○については役場に話を通しておいた方がいいかも」みたいな話があって、僕は確かにその方が良いかもしれないってアドバイスしました。田舎は行政機関の位置づけが濃いので、「役場は知ってるのか?」みたいな話が良く出ます(別に全部知るなんて無理だと思うけど、出る話です)。

その辺も、自主的な動きだけど役場に情報共有しておいた方がよいみたいな話も田舎ならではなのかもしれないなと。別に許可とかじゃなくて情報共有でOKで、役場の人が連絡先を知っているくらいで十分なんですが、その辺は東京から来られた方にとっては驚きポイントだったみたいです。

これは、昔からいろんなことを役場がやってきたという事実から生まれたこと、なかなかマーケットもないので、民間サービスではなく役場が代わりにやっていたり、一時的に受けてたり。住民はそれに慣れているわけだし、一定程度の信頼関係もなりたっています。

暮らしの中で生まれる特性が各地で違うんですね。

そういう些細なことかもしれないけど、当たり前が違う暮らしがあるわけだということを再認識する機会になりました。僕は動くことが多い仕事なので、気づけたのですがずっと都市とかずっと田舎だと気づきにくいかもしれないですね。

お互いを知るような仕組みが必要なこと。副業とか地方で経験とか、世の中を緩やかにしていくには必要なのかもしれないです。

また、地方分権とか、各地域で決めるってのは、世の中の余裕がなくなってきているので、ずれを少なくする上でも一層大事だなと再確認したわけです。

今日はお盆ですが、一日お仕事モードです。

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