「特別」でない旅をしよう

旅をしていて、心の底から湧き出てくるような、強い感情と出会ったことはあるだろうか。

その余韻をしばらく忘れられないほどに、強い感情と。


僕は、他の人と比べてよく旅をするほうだから、そういった強い感情とも何度か出会ったことがある。

そして僕の場合、それはきまって「特別」でないところで訪れる。

いちばん最近にそれと出会ったのは、ある田舎のバスの中だった。


一人旅、初夏の長い日も暮れかけ、辺りが暗くなりだしたころ。

塗装だけ塗り替えたどこかのお古の車両に、市民バスという名をつけた路線バスの、いちばん後ろの席に座る。

1時間ほどの乗車時間、乗客はまばら。

ゆっくりと流れる景色は暗く、見えるのは道の明かりと、たまにある集落の明かりくらいで。

たいていの人がスマートフォンでも開いて暇つぶしをするような。

なんら「特別」ではない、そんな時間に、

僕は突然、強い感情と出会った。


やることなんて何もないはずなのに、なぜか流れていく時間のその一瞬がかけがえのないほど大切に思えてくるような。

変わったものなんて何もないはずなのに、なぜか目の前の世界から目を離すのがもったいなく感じられるような。

そんな感情と出会った。

マイペースに走るバスも、田舎の夜が広がるだけの車窓も、洗練されたものとは程遠い車内も、全てがただただ愛おしかった。

その時見えていた景色は、なんら「特別」な景色ではなかった。

だが、「特別」な何かを見ようとしていては、決して見ることのできない景色だった。


ふと思った。

僕は、これでいいんだと。



旅と出会ったときのことを思い出していた。

大学一年の春のことだ。

自分が合格した東京大学という大学の、唯一入った地理部というサークルで、合宿という活動をやっていたから、

とりあえず参加してみたのが僕と旅の出会いだった。

そして、それまでろくに旅をしてこなかった僕にとって、地理部の合宿はすごく新鮮な体験だった。


地理部の同期や先輩には、既に旅に魅せられたような人がたくさんいた。

旅に慣れ、旅が生活の一部となっているような人さえいた。

そんな人たちは、とにかく僕の知らないことを知っていて、僕に見えないものを見ているように思えた。

もちろん旅に慣れていない人だってたくさんいた。

だけどどの人も、旅に限らない、何か初めて出会う世界に生きているような気がした。

そして、そんな人達にただついていくだけで、僕はまったく新しい世界に出会うことができた。

日中は言わずもがな、夜にも突然よくわからないカードゲームが始まって。

僕にとっては、全てが鮮烈な空間だった。

ちょっぴりおたくな人が多かったけど、僕はそんなおたく達が愛おしくて、気が付くとどんどん地理部に魅了されていった。

旅のことも、地理部のことも、地理部員のことも、すぐに大好きになった。


そうして半年後、大学一年の秋。

僕は、大好きな地理部で、部長になった。



今だから言えるが、その当時の僕には、地理部の部長としての自信なんてなかった。

その当時の僕は、周りのおたく達の見よう見まねをしているだけだったから。

僕は、自分らしくありたかった。

僕は、僕から見た周りのおたく達がそうであったように、周りから見て魅力的な存在でありたかった。

初めての一人旅をしたのは、そんな頃だった。

なんとなく自分が、もっと魅力的な存在になれる気がしたから。



ひとつ不思議なことがある。

僕は、もう何年も前から鬱病で、あまり精神が健康とは言えない。

けれどもなぜか、旅をしているときには、鬱を忘れられるのだ。

普段は一日中自室を出られず布団の中で泣いているような僕が、旅のときだけは楽しくいられて、満足に体を動かすことができる。

もちろんいつもそうという訳ではなくて、楽しいはずの旅が突然つらくなって、投げ出したくなるようなときもある。

だけどたいていの場合、僕は旅のあいだ鬱のことを忘れている。

なぜだろうかと、自分の心に問い掛ける。

答えは、そう簡単には出ない。


ひとつ確かなこともある。

僕は、どうしようもないほど旅が好きだ。

鬱でやりたいことがほとんど満足にできない体になっても、旅に出ている間だけはそれを忘れられるほどに旅が好きだ。

そして僕には、旅をしていると、旅のことがより好きになる瞬間がある。

旅が楽しいとき、感動しているとき、幸せだと感じているとき、そして強い感情に出会ったとき。

そうしてそんなとき、なぜ僕はそう感じるのかと、自分の心に問い掛ける。

なぜ僕は、ここまで旅が好きなのかと。

答えは、ここでもそう簡単には出ない。


僕は、どうしてここまで旅に出たいのだろう。



旅は、「特別」なものに出会うためにするものだろう。

そこにしかない美しい自然、そこにしかない豊かな文化、あるいは他にいない誰かとのかけがえのない思い出。

旅は、僕たちを「特別」ななにかと出会わせてくれる。

だから、旅をする人は、「特別」ななにかと出会うために、旅をするものだ。

そして僕も、「特別」ななにかと出会おうとしているひとりだ。

ずっとそう思ってきた。


だけどあるとき、なんとなくひとつの仮説を思いついた。

僕は、旅と出会ったあのときのように、「知らなかったことを知り、見えていなかったものを見る」ために旅をしているのではないか。

そして、それなら僕にとって「特別」とは、最初からあまり大きな意味を持っていなかったのではないか。

僕は、「特別」なものが「特別」であることを知っていても、「特別」でないことは知らなかった。

僕は、「特別」なものの「特別」なところを見てばかりで、「特別」でないところを見ていなかった。

「特別」ななにかに出会うだけでは、僕は満たされない。


「特別」なものは「特別」ではなくて、

「特別」でないものだって「特別」だから。

すべてのものは「特別」で、また同時に「特別」ではないから。

「特別」なものの「特別」でないところ、「特別」でないものの「特別」なところ、

もっと知ってみたいし、もっと見てみたい。

旅に出たら、出会えるのかもしれない。



一人旅、日の暮れた田舎で、ぼーっと路線バスに揺られる。

なんら「特別」ではないように見えるその光景。

だけどあるとき、僕の「特別」になったその光景。


分からないことは、まだまだたくさんある。

いつまでもこうしているわけにはいかない。

だけど少なくとも今は、

旅をしている今この間だけは、


僕は、これでいいんだ。



地図ねこ


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