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カコジョとボクとサブカルと

本題のカコジョについて触れる前に、まずはサブカルチャーについて簡単におさらいしておく。
サブカルチャーは、メインカルチャーと対比される概念である。主流文化に対して、一部の集団を担い手とする文化をさす用語で、副次文化または下位文化とも訳される。この語を最初に使用したのは、アメリカの社会学者デイヴィッド・リースマンで1950年のことだといわれている。アメリカにおける、この場合の「サブ」とは、社会的マジョリティの文化や価値観から距離を置かれていた、エスニック・マイノリティやLGBTQなどの少数集団のことをさしていた。また、1960年代には、アメリカをはじめとする各国で、既製の体制や文化に対する異議申し立てともいえるカウンターカルチャーと呼ばれるムーブメントが起こるが、ここでは多くを言及しない。

さて、カコジョである。女装アプリや生成AIの技術を用いて男性(女性の場合もある)が可愛い女子の姿になることを「カコジョ」と呼ぶ。カコジョを「加工女子」とか「加工女装」などの略語とする場合もあるが、カコジョはもはや略語ではなく独立した語義をもつ単語だというのがボクの考えだ。そして今や、InstagramやTwitterを中心としたSNSで「#カコジョ」は人気のハッシュタグとなっている。

ボクが「カコジョ」という言葉を目(耳)にして、はじめに想起したのは日本における異性装の歴史だ。異性装とは、男性が女性の服を着たり、女性が男性の服を着るなど、身にまとう衣服によって性の境界を越えようとするものである。最近では、多様な性について認め合おうという動きがひろがり、ファッションにおいてもジェンダーレスなデザインが注目されている。また、クロスドレッサーとして、生物学的な性別とは異なる衣服を身につける人に対しての理解も徐々にではあるがすすんでいる。(ただ、異性装という言葉自体が性の二項対立を前提としていて私はあまり好きではないが論をすすめるために便宜上使用していく)

おそらく、日本における異性装がはじめて記録されたのは、奈良時代に編纂された「古事記」であろう。九州討伐を命じられたヤマトタケルが髪をおろし女性の衣服を身にまとうことで厳しい警備の目を欺き、熊襲兄弟の宴に潜入し、隙をついて討伐に成功するという逸話だ。
異性装は、中世における能や江戸時代における歌舞伎など男性の役者が女性の役をこなす芸能や、曲亭馬琴による「南総里見八犬伝」といった読み物にも散見される。日本各地の祭礼においても少年や男性が女装する例は少なくない。繙くほどに、日本における異性装の文化は、ボクたちが思っている以上に深く多様だ。
余談だが、NHKの大河ドラマ「どうする家康」で、姉川の戦いを終えた家康が地元の娘たちの祝いの舞を楽しんでいると、踊り子に扮した井伊虎松(板垣李光人)が襲いかかるというシーンは記憶に新しい。(これは実話ではなくドラマ上の演出だろうが…)

一方、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教を信望する国々においては、(もちろん、個人的な嗜好は禁じ得ないが)宗教的な禁忌により異性装への関心は公には低いとされる。(アジアの内、タイやインドには、男女二元論におさまらない性のありかたが根づいていたとされる説があるが、これについての論は別の機会に譲りたい)
そして、その禁忌はやがて日本にも影響をおよぼす。海外との交流が盛んに行われるようになった明治時代に入ると、日本国内の状況は一転し、主にキリスト教に基づく価値観から異性装は諸外国に対して恥ずべき習慣であると考えられるようになった。

また、1871年4月に制定された戸籍法は、富国強兵を下支えするものとして男女の二元化に拍車をかけていく。さらには、1872年11月「違式詿違条例」が東京で施行(1873年7月に各地方で施行)されると、異性装そのものが禁止され、違反者は刑罰の対象となった。(形式的に)この条例は1881年に廃止されるが、一大転換期であり爆発的な成長期であるこの時代の8年は決して短くない。

こうした忌まわしい時期がなければ、現在の日本は、各国から揶揄されているようなLGBTQ後進国どころか、世界が目指すべきLGBTQ先進国となっていた可能性は大いにあっただろうと考える。

上述したことをふまえ、カコジョというものに焦点をあてた時、それはサブカルチャーにおけるひとつの領域をなすのか。ボクの考えは、否である。

カコジョは、やはり異性装の領域を脱し得ない。アプリやAIなどのテクノロジーが、その間口をひろげ、バーチャルな世界でそれを行うことで心理的・物理的なハードルをさげただけなのだ。
アニメしかり、ゲームしかり、テクノロジーはその裾野を飛躍的にひろげる。アニメやゲームは、もはやサブカルチャーとは呼べないのではないかと思えるほどだ。日本政府は、クールジャパン戦略の旗のもと、それらをサブカルチャーの名を借りたメインカルチャーに成り上がらせようとしている。

サブカルチャーの担い手が、自分が今どちら側にいるのかなどということを意識しはじめたらおしまいだ。サブカルチャーは、そもそもカルチュラル・スタディーズの概念に無関心だ。(カルチュラル・スタディーズとは、20世紀後半にイギリスを起点にひろまった文化一般に関する学問研究の潮流である)
その意味で、異性装は日本が誇る愛すべきサブカルチャーである。リアルな世界で異性装が残り続けることは間違いない。バーチャルな世界においても、それは方法論を更新し、呼び名をかえ、進化を続けていくはずだ。

カコジョとして活動するすべて方々へ愛を込めて。

※すべての画像は筆者がカコジョ加工をした例です。

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