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回転寿司とカウンター寿司の不文律。

「回転寿司トリトン 豊平店」

2021年8月15日(日)

体調の快癒とともに、空腹はこれまでと異なる食欲ベクトルに向かっていった。

その根拠は、回転寿司に出向いたことにある。

午前11時30分になろうとしていた。
国道36号線に沿う広々とした敷地には多くの車が駐車していた。
久方ぶりの来店なのだが、その人気は待ち時間と店内の行列が物語っていた。
一瞬躊躇したがスタッフに1名であることを告げると、来店を告げるタッチパネルシステムに入力するように求められた。
たどたどしくタッチすると番号の印字された紙が出力された。
同時に約1時間待ちであることを告知された。

番号が呼ばれたのは30分程してだろうか。
座席では入念な殺菌作業が行われている。
この作業もこれからの新常識として当然の日常となるのであろう。
カウンターの末端に案内された。
ネタが一切載っていないベルトコンベアの上にはメニューが回転していた。
回転すら止めてしまえばいいのに、と心の中で思った。

本来的に、回転寿司を決して好んではいない。
ベルトコンベアに載せられ、無表情のままに周回する寿司の群れは、
機械仕掛けの無味乾燥な大量廃棄物に見えてならないことがしばしばあるからだ。
一方において、以前なら有名な回転寿司と聞けば、足を伸ばすこともあったがゆえに自己矛盾なのだが…
それにしても、回転し続けるネタのないベルトコンベアに違和感を覚えながら、タッチパネルで次々と注文していった。
物言わぬタッチパネルは、注文履歴を見ぬ限り注文したか否かすら認識することができない。

突如として、カウンター越しから次々と皿が差し出された。
先行して登場した「しめ鯖」は思いのほかに締め方が緩く、
「北の旨いもん三種盛り」もネタ自体の存在意義や味の奥義に触れることができなかった。
さらに「イカ」といい「甘エビ」といい、30分待ち続けた価値に呼応しない。
何かにすがるようにタッチパネルを凝視し続けた。
その焦燥感に風穴を開けたのが「炙り焼き大穴子」であった。
通常の穴子ではなく、1貫の大穴子に賭けた。
その賭けは見事に的中した。
穴子の浮遊するような肉感と甘く深みのあるタレと山椒が程良い緊張感をもたらした。
締めの「玉子」と「おしんこ巻」を食しながら、回転不要の回転寿司について考察した。
通常の寿司と回転寿司の相違、それはまさに資本主義的合理性にある。
その合理性という車輪から降りることができないでいた。
合理性の果には、システムの過剰、生産の過剰、店舗の過剰。
だが今だからこそ、ベルトコンベアを止める時、過剰からの脱皮が可能なのだ。
高熱のお茶をすすり終わると、何か無事にひと仕事を終えたような心地を覚えた…


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