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五体不満足〜歩ける足があるのなら〜

最初の旅は小さな反抗から始まった。

決してアクティブではない家庭で生まれたが、
血筋が違うかと疑うくらいに自分はアクティブな方だった。

結果的に、親には何も言わずにパスポートを取り、クアラルンプールを訪れることになる。
なんとなくそんな親を否定したかったのかもしれない。


当時の僕の脳内は「自由=海外」という赤ペンではねられる回答が出来上がっていた。

それも仕方がない。

「ウェーイ!」とすすきので飲み歩き、
朝方のうるさいカラスと顔合わせをしていた学生だ。


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ファンタジーな世界には半日近いフライトで向かった。

「イェーイ!」「ウェーイ!」が聞こえる世界を想像していた
僕にとっては”地獄のような場所”と表現するのが正しいだろう。

空港に降り立ち、ホテルに向かう途中で足が片方ないストリートチルドレンに物乞いをされた。
世界も知らない学生からすれば、様々な感情が植え付けられる出来事だ。


良い意味で幻想はあっという間に砕かれた。
ノリと勢いで世界に出てきた若僧を世界が思いっきり殴った瞬間でもあった。

この子供が気になる。失礼な話かもしれないが、なぜ足が片方ないのか。
「親は?家は?」疑問はやまなかった

初めての海外だが、思い切って英検準2級の中途半端な英語で話してみた。
きっとこんなことをしたら、日本ならタブーかも。炎上するかもしれない。


ただ、この時が”自由”なのだ。
自由を言い訳に興味の矛先はどこに向けても良い。

国境を越えればルールも変わる。ルールによって縛り付けられた感情が
爆発することも無理はなかった。

日本という監獄で作り上げられた人格は一歩外に出るとタブーを超えた
紛れもない"自分自身"になった。

ストリートチルドレンは優しく言ってくれた。
「話を聞いてくれて嬉しい」と。

バイト終わりのビールよりも、友達と遊び明かす快感よりも
人生に必要なピースを手に入れてしまった瞬間でもあった。


これがクセになってから
”旅が目的ではなく、本当の自分を掘り下げることが目的”となった。

義務教育には載っていない。大人でも寄り道しなければ分からない道だ。
「そんな教養無駄だ」と叫ぶ大人もいた。

ただ、自分に嘘で蓋をして抵抗しても押し出してくる感情を
知らないことの方が、知ろうとしない方が無駄に感じた。


「歩ける選択肢を持っているのに歩かないことこそ五体不満足だ」
誰かの言葉がふと頭に浮かんだ。


ここから海外に行くことがワクワクすることではなくなった。
きっとバカンスなんて甘ったれたものはなくなったのだろう。

「どんな人がいるだろうか、どんな生活をしているのだろうか」

そして、その問いを投げかけた時に返ってくる
「自分はどんな人間なのかどうか」という一生分からない問い。

その問いの答えを導き出すために、
自分の周りに塗り固めたセメントを必死に剥がすように、
世界を歩くようになった。


今の自分は好きだ。本当の自分で生き続けているから。
病室から見ていたその先を見ることができているから。

きっと心は丸裸に近いだろう。
だけど、旅の繰り返しで中身が剥き出しになった自分が誇りに思える。



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