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僕は舞台上で解いてしまった仮面に

気を抜くと抽象的な話ばかり書いてしまう。今回は久々にとても具体的なエピソードを話す。

新宿のルミネtheよしもとでお笑いライブを見に行った。これは下の弟たっての希望である。お盆休みで部活のない高校生の弟が、東京観光をしたいと言うので2人で都心を練り歩いてきた。中でも、お笑いの好きな彼は、東京の劇場で見るライブは絶対に行きたかったらしい。僕自身、4年前に大阪の吉本劇場で初めてのお笑いライブを観たきりだったので、東京芸人が集うであろう新宿ルミネ劇場にも興味があった。

「東京のメシが食いたい」と仰せになる弟に、駅周辺のカフェによってハンバーガーを咥えさせつつ、最近できた歌舞伎町タワーを見学(すごいねここ。現代人の欲が詰まった、まさに歌舞伎町)。16時半に劇場に到達した。当日は3舞台あるうちの最終公演だった。

お盆期間だったのでお客さんも多い。若者だけでなく意外にも老夫婦などもよく見られた。500ほどの席が開演間際になるつれ、どんどんと埋まっていく。立ち見席すら人が溜まっていた。この後の前説で知ったが、今日は3公演全て立ち見席含めて満員御礼らしい。お笑い、人気あるんだなあ。

そんなこちらの期待に応えるように、出役も豪華だった。マヂカルラブリー、ジャングルポケット、もう中学生、FUJIWARA原西など、テレビで見るような芸人がこれでもかと出演する。特に詳しいわけでも無知なわけでもない、ミーハーな僕のワクワクは増していく一方だった。

さて、僕は「ライブ」というものに参加した経験が少しながらある。本当に「少しながら」で、お笑いライブや音楽ライブなど数度程度だ。これらを、液晶を通して鑑賞するのとライブで鑑賞するのとでは、やはり別物だなと思う。個人的に感じるライブの利点は「出役の姿勢が見える点」だ。この人がどういう風に立っているか、また立とうとしているか、がアングルの切り替わらないライブでは自然とよく見える気がする。感じとれる気がする。そして僕はそういう、文字通りの「個人のスタンス」を見ることが大好物である。この人はこういう自分でありたいと思ってるんだなあ、と感じることに興奮を覚える性癖を持つ。

よしもとライブ、1組目は「すゑひろがりず」だった。袴を着た2人組で1人は肩に鼓を担いでいる。日本の伝統芸能である「狂言」を芸風に取り入れ、現代的なテーマを漫才として演じる(Wikipedia引用)。足袋を履き颯爽と現れた彼らは背筋がピンと張っていた。が。が、である。やはり面白い。だってお笑い始めた20代前後の彼らが、最初から「俺たちは古典でいこう」だなんて思っていたはずがないから。きっとどこかのタイミングで、挫折して、諦めて、これしかないと鼓を持ったのだろう。それ経た上で、30後半で袴を身にまとい「はいどうも〜」は相当面白い。生まれた時から袴でしたが、何か?と言った表情で舞台で狂言を演じる。一流の芸人さんだなあと感心する。

ネタは、「学園天国」の歌詞を古語にして歌い合う、というものだった。はじめの、Are you ready?に対して、相方が良きかな!と拳を突き出すくだりで、何回か繰り返すうちに無意識になぜか僕も一度手をあげそうになった。微妙にショック。鎮まれ多動。

以降も芸に魂を売ったおもしろ人間が続々とステージに上がる。おもしろかった。ペナルティのワッキーにハマって1人大爆笑してる女の子の声、前半は軽い微笑みだったのに西川のりお・上方よしおの大御所師匠時事ネタに抱腹絶倒のおばあさんなどが印象に残る。

もう中学生のネタは「人間力」だったし、マヂカルラブリー、ヨネダ2000のネタは「文学」だと思った。特にマヂカルラブリーは「オーロラが見たいから相方にアザラシをやってもらい、北極にいるイメージを持って夜空を見あげる」という、純文学以外のなにものでもない芸をしていた。野田クリスタル、アーティストすぎる。自分の作りたいものを「漫才」という形で提供している、ふつうに芸術家のおじさんだった。

名だたる面々がそろう中、全体を通して最も印象に残ったコンビがいる。most-valuable-kantakunnoinsyonitsuyokunokottayo賞、いわゆる本日のMVKである。栄えあるMVKは「ロザン」だった。

ロザン、みなさんは知っているだろうか。1番簡単な紹介は、「ゴールデンのクイズ番組でよく見る京大卒の宇治原さんとその相方」である。雑に紹介してしまったが、相方の菅さんも賢い方。彼らのする漫才がどんなものかというと、やはり宇治原さんの知名度を使ったものだった。「クイズ番組でポジションを築いているもののどこかいけすかない宇治原と、その揚げ足をとって自分の株を上げる菅」といった構図で掛け合う。高身長でインテリイケメンな宇治原さんを紳士な悪魔のように笑いながら転がす菅さんのやりとりは、とても小気味の良いリズムを刻んだまま進行していった。また菅さんの声が優しい。この人が会場500人の呼吸テンポを完全に支配している。音楽を聴いているようだった。漫才はオチを迎える。序盤に張った伏線を綺麗に回収し、菅さんの株が何度目かの上昇をしたところで、彼らは頭を下げた。

ここからである。ここまでも素晴らしかったが、MVK受賞のポイントはこの後だった。一礼をした彼らは、僕から見て左側の幕後ろにはけていった。菅さんが左、宇治原さんが右にいたので、菅さんから順に消えていく。中央やや右側にいた僕たちの席からその様子がバッチリと見えた。小柄な菅さんがコロコロと幕へ消える中、宇治原さんは、ピっと背筋を伸ばし、着ていたスーツの襟を少しつまみ、右斜め上にあるステージ後方の幕に目をやったのだ。これが本日のMVK。

これを見て僕は思った。あぁこの人は本当にいけすかない人なんだろうな、と。キャラクターとして、高学歴や見た目からくる横柄さを商売道具に、バラエティや漫才の仕事を遂行する宇治原さん。能力は偽らざるものとはいえ、それを利用してあくまでも「憎まれ役を演じている」人なのだと思っていた。いや、間違いなく仕事として演じてはいるのだろう。しかし、それは0を100にしているわけではなく、確実に1が存在しているように、僕には見えた。だってそうでしょう。週1の舞台、夏期休暇期間、お盆特別興行3ステージ中のラスト、金曜17時、会場は老若男女で満員。あの襟の正し方は僕自身もやってしまうから分かる。

"これで仕事終わり、結構ウケたな、さあ今週末はどこで飲もうか"

ドヤ、である。それも自分に向けて。まあこれくらいなら余裕だけど、という言葉の入った雲状の吹き出しが頭上に見える人の背中だった。それが、とても良い。台上で「嫌なヤツ」を演じていた彼が舞台をはけるギリギリで、気持ちの方が先に舞台から降りてしまい、元来の「嫌なヤツ」が顔を出してしまっていた。付けていた仮面の中身が最後に少し見えていた。ポロリである。ごちそうさまです、と僕は呟いた。

決して馬鹿にしたいわけでも誹謗中傷したいわけでもない。演者として芸を成す宇治原さんはとてもかっこよかったし、最後の最後で人間味をこぼした一幕はとても魅力的だった。同時に納得もした。これが「人(にん)を売る」ということなのか、と。だからこそ長くバラエティで活躍ができるタレントなのだろう。僕はひどく感動したのだ。この10分で僕はロザンがとても好きになった。MVKを進呈します。

立ち姿や歩き方は饒舌に人を語ると思う。板の上という特殊な場所に立ち、そして歩く彼らは、きっと多くの事柄を意の及ばぬままに話してしまう。それらを感動と捉える僕は、いる。

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