優しくありたい

優しくありたいんです。

以前よりずっと、外に目を向けるだけの余裕ができて、自分のことでめいっぱいでもなくなってきたいま、俺は人に優しくありたいんです。綺麗事でなく。

互いに迷惑をかけあいながら生きる地球人として、他人の存在を許し、自分の存在を許されながら生きていくことが健康なニンゲンの生活なのだと思っています。未発達な少年期をこえ、ある一定以上には、自分で自分を許せるようになりました。だから次は他者。自分とは違うもの、異物であることを認め、愛とリスペクトを持って接していたいんです。それが、俺の思う、優しさ。

けどこれができない。原因は「経験不足」と「怠惰」。己の実力不足、体力不足で人に優しくできないというのは本当に情けない気持ちになります。とても悔しい。もどかしい。イライラする。うん「悔しい」が強いですね、この気持ちは。結構これ本気で言っています。自分の都合で人に優しくできないのなら現世を生きるなよ、とすら感じる。

もちろん、0ポイントではないです。けれどレシーブできず落としたボールがたくさん転がっている。力負けしたボールや、遠いと思って諦めたボールが足下に散乱している。それを見る度、悔しさを感じるし、未熟を感じます。

優しくありたいんです。ただそれだけ。

ここ半年ほど、自分の優しさが薄れてきている感覚を肌で感じます。それがすごく嫌。たぶん、ここが満たされていないことにかなり引っかかっている。この半年は周りから褒められることが増えてきた時期です。創作等に関してたくさんの「いいね」や「順調な20代」といった声までいただくようになりました。ありがたいし、その言葉の意味もそれなりには理解、自覚しているつもりでいます。けどね。その評価を受ける御大の根本で、優しさがすり減っている実感のある内は、このままではマズイという不安が増長するばっかりなんですよねえ。後ろ髪を引っ張ってくる妖怪は、たぶんこいつだと思うんだよな。

もう少し書こうと思いましたが、やめた。とりあえず、ここ最近の自分の鬱々さは、「人に優しくできない自分への憤りと悔しさ」っぽいぞとしっぽを掴んだところまで。共生社会を、よく生きたい。

ここまで夜の道を走りながら考えていたのですが、結論が出かけ、家の近くで徒歩に切り替えていたところ、少し先にいた高校生の男女が体を寄せ合ってちゅーしてた。路ちゅー。

負けそう。

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