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【007】LOVEBEAT

お話を伺った相手:フミヤスさん

好きな音楽の傾向:テクノ
好きなクラブ:一番すごいなと思ったクラブは青山MIX、最近いいなと思うのはCIRCUS TOKYO、思い出がしぬほどあるのは大阪心斎橋にあったnuooh、ずっと好きなのはやっぱasiaとMOGRA
行く頻度:すっかり月1とかになってきたような、、、
よく頼むドリンク:ビール
音楽を聴く手段:Spotify、Apple Music
現在の職種:会社員(メーカー)

周辺の人に音楽遍歴を聞くこの企画、何故か「tofubeatsとの出会い」が裏テーマになりつつありますが、そのタイミングでフミヤスさんにお話を聞けることになりました。マルチネレコード周りの話を削り切れなかったため、普段より長尺でお届けします。


(tofubeatsと間違われた話)「tofubeatsが東京でライブした2回目とかだと思うけど、その時会場の外でだらだらしてたら知らん人に話しかけられて『この後ライブっすね、頑張ってくださいね』て。『誰?誰?いや出ない、出ないっす』」
「tofubeats、当時そんな顔知れ渡ってなかったから。まだメジャー感なかった頃だからたぶん(見た目が)寄ってたんだと思う」
「存在は知ってたんだけど、ちゃんと聴くようになったのはこの後な気がする」
「2008年頃、インターネットでクダを巻く人がみんなTwitterを始めて、巻いてる一部の人が大学のOBで、マルチネの存在は知ってて」
「マルチネからだとDJ newtownしかリリースしてないから、DJ newtownとtofubeatsが同一人物だって知らない頃だった。(そんなことある?)あるんだよ、情報がなかった頃だからあるんだよ。見たら直ぐ気付いたよ

「(大学生になって入った)ユーロロック研究会、リスナーとかDJが居る当時珍しいサークルで」
「学校に何個も何個も軽音楽サークルがあって、ビートルズ研究会とかジャズ研とかメタルとかの専用サークルとかある中、どこにも属せない音楽のオタクが集まるみたいなところがユーロロック研究会
「ユーロロックって大陸のプログレとかなのね。元々はそうなんだけど、気が付いたら(プログレ関係なく)音楽オタクのたまり場になってて」

「ちゃんと音楽聴くようになったの、ユーロ研入ってから。音楽オタクがめっちゃいて、(自分が)全然興味ないジャンルとかも好きな人達がいっぱい居て」
「俺はただの『電気グルーヴとクラフトワークとYMOが好きで入ってきたやつ』だなって、音楽全然詳しくなかったコンプレックスがあって。人がいいと言ってるやつは全部聴いたろぐらいの気持ちでちゃんと聴いていた時期があって。もちろん好き嫌いとかあるから全部しっくりくるわけではないんだけど、一旦は理解できないのは自分が悪いと思って」
「先輩がライブでやった曲とか知らない曲は、とにかく渋谷のTSUTAYAに行って借りるっていう。一番ひどい時期は当日で借りて上のスタバでひたすらCDをコピーして返すジャニスの次にレンタルCDが充実していたので」

「ユーロ研はDJする人が多くて、(クラブは)先輩に誘われて行った。DJって集客するじゃないですか、バカ正直だからわりとほいほい誘いに乗っていたの」
「ユーロ研に入ってきた後輩が『Gassyoh』という不思議な名義でDJをしているていう話を聞いて、彼が『今度マルチネレコードっていうところから曲出したんで聴いてください』って言ったのがたぶんきっかけで」
「仲のよい(大学の)同期にimoutoidっていうやべーやつがいる』『今度ライブするから観に行こうぜ』て誘われたのが決定打」

「中学1年生のとき吹奏楽部入りたてで、先輩たちが演奏したT-SQUAREの『TRUTH』(当時のF1中継のテーマ)がかっこよかった。吹奏楽部で4曲ぐらいT-Squareの定番があって
「(吹奏楽部で)本当はドラムをやりたかったんだけど、お前身長でかいから、て言われてトロンボーンになった。トロンボーン、中学生だとリーチが足りなくて奥まで届かないので」

「高1くらいでビートマニアDDRが流行り、それと前後して友人との間でYMOが流行り、電気グルーヴという面白いグループがあると聞き、(『A』が出たくらい)」
「浦和のラオックスで石野卓球のMIX-CD『DJF400』を買ったはいいものの、ビートマニアのやつみたいなシンセサイザーやTB-303の音を期待してたのに出てくるのはドラムだけ2拍繰り返しみたいな、終始一貫どミニマルで
「3000円も出して買ったし仕方なく毎日ずっと聞いてたら、いつしか耳が出来上がって。『わからないけど買ったので仕方なく聞いてたらどんどん良くなってきて目覚める』みたいなの、アラフォー以上あるあるだと思う」

「『A』の『パラシュート』がすごい好きで、2001年に砂原良徳の『LOVEBEAT』が出て。池袋WAVEで視聴してやばすぎてワーッてなって同級生に長文お気持ちメールを送ったら『そうですか』て一言だけ返ってきて
「2001年やばくて、コーネリアスが『point』を出した年でもある」



「(就職後)静岡で友達が居なさ過ぎてmixiで『テクノ』て調べて出てきたイベントになんか知らんけど行ったんだよ。誰とも話さずに帰った」
「帰り際に、アオノさんっていう今でも静岡でDJやってる人から『次これあるんで来てください』てフライヤー貰って、素直だからそれまた行って」
「静岡めっちゃいいとこ。毎週毎週テクノのイベントがあって、テクノでそんな人が入んのぐらい入って。(石野卓球を生んだ)テクノの街だから
「東京のマルチネのオタクのイベントは、フロアでツイッターしてても誰も怒らないけど、静岡とか誰もフロアでツイッターしてない。携帯ずっと弄ってる人居ないの。あっ、これすることないと思ってカメラを持って行きだした

マルチネイヤーエンドパーティーていうのがあって、2010年12月。その時に『水星』のレコードの裏ジャケ、トーフとオノマトペ大臣が2人で写ってる写真を撮った
「当時オカダダのTシャツがカラーオーダー出来て送られてきた直後だったから、最後全員オカダダT着てる全員集まって記念撮影をした。だから裏ジャケの2人ともオカダダTシャツ
オカダダ箸、フライヤー、ポスターがあったんだけどあれも撮った。データまだうちにあるよ」

「そのあと(転勤で)大阪に引越して。関西すごいよかったんだよ、本町にnuoohがあったから。自分が1年しか大阪にいなかったと思えないくらい濃い時間を過ごして」
「(nuoohは)もうない。2012-13年になくなって、3年5年しかないんだな。風営法でやられたんだよ」
「(東日本大震災)震災かぶってる。『ダンスフロアでいきなりインターネットはじまった』の前日・3/11午前中に前乗りしてた人が結構いて」
「なんか思い出深すぎて。オカダダが最後『風になりたい』をかけて」
「あの時は本当にあのイベントと、そこに集ってた人たちと話したことに救われて。なので今後も似たようなことがあったらできる範囲でパーティーはやったらいいと思う、パーティーで救われる心もある

「大学生の頃同期に『川崎の工場の屋上で毎月やってるイベントめっちゃいいから行こうぜ』って言われてたのに家が遠いので行かなかったということがあり、後で年1回になったそのイベント(DK SOUND)に行くようになってから自分を呪った。お誘いには気軽に乗った方がいい

「なんか誘われてばっかすぎて周囲に感謝しかない。こうして振り返ると人の影響をバカ素直に受けていたなあって」
「大学生の頃出版サークルもやっていて、そこでユーロ研の先輩のAPOGEEにインタビューして、新入生にメッセージをお願いしたら『大学に入ったら、周りに流されてみるのもいいですよ』『自分の趣味をいっぺん消去して、周りに流されるだけ流されてみて、残ったものが自分で良いと思います』みたいなこと言ってて、それすごい自分を肯定されてる感じがしたよ。超よかった」


「高校、tomadの先輩なんすよ。マルチネが発祥した高校に居たの」という情報にめちゃくちゃ笑いました。マルチネ発祥高出身!フミヤスさん、いい話しかない。ありがとうございました。

(2024年2月某日・有楽町のビヤホールにて)

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