株式会社リクポを退職しました

はじめに

2020年5月末で取締役CTOとして勤めていた株式会社リクポを退職しました。いままでの人生で、こんなに熱量高く物事に没頭した経験が無かったので備忘録として振り返りを書こうと思いました。
 キャリアという点においても特殊な道を歩んでいるので、これを見た方の何かのきっかけになれば嬉しいです。

早速振り返っていきます。

振り返り 「ジョイン時期」

19歳の頃、私は複数の事業会社でエンジニアインターンをしていました。その頃、自分は名のある会社に入って、ソフトウェアエンジニアとして安定した生活ができれば良いと考えでした。

当時私は、引っ込み思案で臆病でリスクを取らず、堅実に物事を考える性格で、特に大きな夢もなく、自分の仕事が誰かの役に立てば良いなぐらいにしか思っていませんでした。

そんなある日、株式会社リクポ 代表取締役社長の木崎さんと出会って、
オフィスに遊びに行かせてもらえることになりました。
会社には4名しかメンバーがおらず、私が想像していた「会社」とは程遠い組織でした。

そこで代表の木崎さんから会社のビジョン、 "検索がいらない" サロン予約アプリ「requpo(リクポ)」の構想、木崎さんの強い原体験などのお話を聞いて、ものすごく心が躍って、その場で学校を休学し、親にもそのことを伝えて会社にフルコミットすることを決めました。

今思い返すと、この意思決定は自分の臆病な性格にブレイクスルーが起きた出来事だと思っています。当時は何も背負うものもないし、楽しそうという本能でそんなに深く考えていなかったのかもしれません。

当時の私は、スタートアップの "ス" の字も知らなかったので、意思決定後に「スタートアップとは」などと調べて、親に説明した記憶があります。親にはとても不安視されているのを感じていたのですが、基本的に自分が決めたことには責任を持つと言う家庭の方針なので、頑張ってと強く背中を押してくれました。

振り返り「ジョイン後」

創業期のメンバーの中にはエンジニアがおらず、私が1人目のエンジニアとして、ジョインしました。私は、事業会社でインターン微修正を解決するレベルの実務経験しかなかったのですが、どこから湧いてくるのかわからない根拠のない自信に満ち溢れていました。

サービスのリリースに向けて、木崎さんとデザイナーさんが設計してくれた仕様をひたすらコーディングして形にする仕事をしていました。
経験がほぼ無かった私は毎日課題にぶつかりながらもリリースに向けて日々奮闘していました。当時は毎日18時間ぐらいコードを書いていました。
ご飯を食べるかコードを書くか寝るか、そんなシンプルな生活を続けていたのですが、ご飯は1日5食ぐらい食べていたので、気づいた頃には15kgぐらい増えていました...。

22:00にオフィス(コーワーキングスペース)が閉まるので、みんな同じ時間に退社して、ほぼ毎日みんなでラーメンを食べて、マックで将来について語っていたのですがそれがあまりにも楽しすぎて、仕事をしていると言う感覚が全くありませんでした。昼間は業務で足元がいっぱいだったのでこれが良い息抜きになっていましたし、メンバーの団結力にもつながっていたと思います。

ジョインして1~2ヶ月経った時に、代表にCTO(最高技術責任者)やらない?と言っていただいて、2つ返事でやりますと言った覚えがあります。
初期はエンジニアとしての業務しかしておらず、有名なCTOの発信などをインプットする程度でした。
今思い返すと、実務経験がほぼ無い私にCTOを任せてくれた木崎さんにとても感謝しています。木崎さんは会社を4社(リクポ含む)立ち上げているシリアルアントレプレナーで自分が逆の立場だったらその意思決定は出来るかなと何度か考えたことがあります。

振り返り「初サービスリリース」


そして、ついにサロン予約アプリのリクポが完成して、リリース日を迎えました。リリースしてTechCrunchに載ったり、1日中みんなでエゴサーチをしたり、とても興奮し続けた1日でした。ようやくスタートを切れたとホッとして、ドッと疲労が襲ってきたことをすごく思えています。

その後も記者会見をしたり、大学の学祭と協賛したり、会社・サービスの成長に、必死についていこうと奮闘する日々でした。木崎さんが考えて、実行する施策はどれもワクワクするようなものばかりでサービスのお話をするのが本当に日々の楽しみでした。


振り返り「2つ目のサービスリリース」


2つめのサービス "自撮りが売れる" SNS「selmee(セルミー)」サービスをリリースしました。

2つ目のサービスを立ち上げるあたりから、組織も徐々に大きくなっていったので、私の役割は、施策の要件定義、パートナー企業との連携、スケジューリング、テスト、リリースなどやエンジニア採用などを担当していました。

この頃からCTOの立ち回りについてすごく意識するようになりました。
先輩CTOの方々にどんな業務をしているのかなどを聞いて、自分の会社ではどう立ち回るとチームが最大化されるんだろうと考え実行を繰り返していました。コードを書くと言う業務から抽象的な業務に変わっていくについて、自分が貢献できているのかという悩みもありました。

その傍ら木崎さんがピッチで優勝したりなどしていて、すごいなと思う反面同じボードメンバーという立場で成果が出せていないのでは無いかという不安感にかられる日々が続いていました。
この不安感はチームで大きなことを成し、壁を乗り越えていくに連れやがて消えていきました。

振り返り「3つ目のサービスリリース」

3つのサービス いいね!でお金がもらえるSNS「Poplle(ポップル)」をリリースしました。

3つ目のサービスともなるとチーム力もかなりついていて、2ヶ月ほどでリリースすることができました。2つ目のサービスのコンポーネント、インフラ構成のコード化などが利用できた点は大きいのですが、キックオフからこの短期間でリリースまでこぎつけたのは、個人としてもチームとしても成長を感じれてとても嬉しかったです。

リリース後は体験したことのない想像以上のトラフィックに対して、インフラがボトルネックになっていたので、インフラを重点的に見るようになりました。

この時期には、自分は経営的な意思決定に関与していたので、
取締役にして欲しいと、代表にお話ししたところ快く受け入れてくれました。得難い経験を何度もさせてくれた木崎さんには心の底から感謝しています。

それから、事業の意思決定の議論をする時などに、「経営的な意思決定に関与する」ことと「経営者として経営の意思決定する」ことは明確に違いがあり、責任と重圧の大きさがまるで違いました。
会社自体はフラットな組織ではあったのですが、初期メンバーであり経営メンバーの発言、行動には凄い影響力があり、良くも悪くもそれが指針にも文化にもなりうるので、ボードメンバーとのミーティングなどでは、自分が言語化ができていない部分などの議題などを積極的に話し合うようになりました。また、月次の株主定例会では進行と事業の進捗説明をしていました。
かなり緊張感がありましたが、より一層身を引き締めて事業を進めようという強い意思を高めることができました。

ジョインした時には想像もしていなかった、何ものにも変えがたい経験をすることができました。これらの経験を通じて、多角的な視点を持つことができ、視座が高まって、今後の人生の糧になると思います。

ジョイン当時、臆病で引っ込み思案な私の性格はいつしか消えていて、挑戦することに生きがいを感じる性格になっていました。

退職する際にメンバーから、「一緒に働けて刺激をもらえた」「また一緒に働こう」「なんかあったらいつでも戻っておいで」などと言っていただけて本当にメンバーに恵まれていることを改めて実感しました。

まだまだ語りきれていないエピソードはあるのですが、
気になる方はお話しする際などに話せればと思っています。

今は何してるの?


現在は、フリーランスのソフトウェアエンジニアとして活動をしていて、
また自分がフルコミットする時に備えて、少しの間休憩をしています。


最後に

最後まで読んでいただきありがとうございました。
会社のメンバー、株主の皆様、アドバイスをいただいた皆様、関わっていただいた皆様、本当にお世話になりました。

まだ未熟な私ですが、今後ともよろしくお願いいたします。

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