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TypeTrace

最近アートイベントの設営に行く機会が続いてる。石巻でのRebornに続き、あいちトリエンナーレの設営に行ってきた。自分はTypeTraceという作品に関わっている。

実はTypeTraceについては、作品が生まれるタイミングにも関わっていたので、その頃のことを振り返って書いてみる。

Phonethica

TypeTraceの原型となるアイデアを持っていたのは、遠藤 拓己さん。知り合ったとき遠藤さんは、Phonethicaというアートプロジェクトを徳井 直生さんと共に進めていた。2006年にICCでPhonethicaをインスタレーション的に展示するということで、システム開発のサポートで参加した。自分はこの時に初めて遠藤さんと知り合った。

このプロジェクトも刺激的な面白いプロジェクトで、遠藤 拓己さん、徳井 直生さん、河内 一泰さん、久世 祥三さんと素晴らしいメンバー。自分はスピーカーのシステムの制御プログラムを担当した。

この時に遠藤さんと色々話し、意気投合したこともあり、Phonethicaの展示が終わってすぐに新しい作品について話していた。それが、「自動演奏のピアノみたいに動くノートPCのキーボード」という遠藤さんのアイデアだった。

確かに動くキーボードは面白いだろうと想像できた。「そこにあたかも人がいるのではないか」という現象を引き起こすという意味で考えられたアイデアだったと記憶してる。それを聞いた時、自分としてはその作品の面白さは2つあると思った。

1つは、動くキーボードの不思議。動いてるだけで面白い。

もうひとつは、文章が構成されていく過程が全て残ることの価値だ。通常は文章というのは、最終的に編集が終わったものだけが人に見られるものだが、その編集の過程も含めて記録に残ることで、最後には消された一文なんかも含めて人に見せることができる。

この2つのうち、後者の価値についてはソフトを書けばすぐに味わえるので、まずやろうとなった。当時はマックのアプリをひたすらObjective-Cで書いてたので、サクッとマックのアプリを作った。動くキーボードの代わりに画面にキーボードの絵を出せるようにした。

これが完成したとき、まずそのアプリ自体の面白さをそのアプリで書いた。結構興奮している文章だったと思う。それを完成したアプリとともに遠藤さんにメールで送った。すると、程なく遠藤さんからもTypeTraceのデータが送られてきた。メールの本文はほとんど書いてない。再生すると、興奮さながらに文章を書いていく遠藤さんの様子が生々しく再生され、さらに「うぉーこれはやばい!!!!!」みたいな返信を書いた。この体験はやばかった。このやり取りにドミニクさんも参加して3人で興奮したのを覚えてる。

その後、本当に動くキーボードを莇 貴彦さんと共に作った。想像通りの面白さで、「そこに人がいる」という感覚がより強くなった。

そこから、TypeTraceのプロジェクトは継続していき、自分が関わらなくなった後も進んでいった。

そして、2019年。あいちトリエンナーレで展示の話が来たとのことで、呼ばれた。動くキーボードのアップデートやさまざまなアイデアの話をした。あいちトリエンナーレ全体のテーマが「情」ということ。それも含め、どんな展示の仕方がいいかを議論した。その中で、遺言というアイデアがでた。

遺言とTypeTraceというのが、正直自分の中ではなかなかうまく結びつかなかったが、たしかに書いてみると発見の多いもので、特別な時間を味わった。娘に向けての遺言をテストで書いたのだが、10分では書ききれず、20分以上書いてた気がする。その文章を書いているとき、自分は本当に死んでいくような気持ちになり、娘と会えなくなる悲しみに襲われ、涙が出そうになりながら書いていた。とにかく、その時は「生きたい」と感じたのを覚えている。なんとも不思議な感覚だった。

その特殊な感情の時間をまるまる残すというのは、何か凄く意味を感じることだと思った。それは、TypeTraceという作品をよく見せるのが目的ではなく、遺言を書くという行為をさらに強い体験にすることなんだとわかった。参加型で多くの人に体験してもらい、その特別な時間をミュージアムに展示する。人の遺言を読むというだけでもすごいことなんだが、さらにTypeTraceで見るというのはより特別なことになる。

参加して書いてみる。展示会場で様々な遺言を追体験する。是非両方体験してほしい。

間をどう感じるか

TypeTraceの10分遺言を体験したシャープさんが書いていた感想を見て欲しい。
https://twitter.com/sharp_jp/status/1150006673647394818?s=21

それに並走するうちに、私は他人の思考に同期していくような感覚に陥りました。文字を打ち直し、自分を覗き込み、次に書くべきことを待つ。見ると書くの行為に、自他の区別があいまいになるような感覚。

この感覚が引き起こせるなんてすごい!と思うが、実は自分はこの感覚には到達できなかった。どちらかというと、沈黙の時間はイライラしてしまう。早く続きが読みたいという感覚が強く、待ちきれない。間を味わえてない自分がいる。味わえない自分に劣等感すら感じる。

動くキーボードの価値

自分は今回は動くキーボードの新しいバージョンを担当した。メカの設計が重要な仕事。かつ今回はキーボードのメカ的な要素を隠蔽しようということがあったので、机ごと作ることになった。

今回は、メカ設計のプロでありアートにも理解のある日下部 理さんにメカ部分の設計製作を担当してもらった。あとは、机の設計とキーボード制御の基板やソフトの開発は自分がやり、弊社スタッフの佐藤 駿次に机の部分の製作を担当してもらった。

よくできたメカというのは、たまらない。机も突板仕上げでいいものができた。

基板はCNC切削で内製で作ったもの。片面基板でうまく作れた。

さて、キーボードが組み上がってきたので、プログラムをサクッと書いて、いとうせいこうさんのデータを再生してみた。いとうせいこうさんのタイプの様がそこに再生された。生々しい。

そして同時に感じたことがある。「間が苦にならない」。キーボードの効果によって間に想いを馳せることができるようになった。

動くキーボードというのは、こういう価値があるのかと納得した。これは展示に必要。もともと知ってたはずのことだが、改めて腑に落ちた。

しかも、今回はキーボードが溶け込むように展示される。特別なキーボードではなく、机に置かれたAppleのキーボードでしかない。メカな機構は机の内部に隠されるので、存在が消える。

最後に

是非、10分遺言を書いてみてほしい。会場で動くキーボードにて再生されることを期待する人は、パソコンでキーボードを使って入力するといい。


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Shinya Matsuyama

siro Inc.

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