思考するプロ

最近考えていることを文章に起こしてみる。

全体の構成としては、序盤は自分のことを語る。こういうことをやってきたんだと。でそれなりにやってきたということを語った上で、自分の感覚でなにかを語りだす。特に答えもなんもないまま終わる。。

プロまでの1万時間

このフレーズは聞いたことがある人は多いと思う。自分はいつだったか、高校生ぐらいの時にこの言葉を知ったんだろうか。割と信用しているものさしで、とにかくプロになるには一定の努力というか時間が必要であるというニュアンスで認識している。逆に言うと一定の時間をかけて努力を積み重ねると、ある程度のところまでは行けるというニュアンスも持っている。

プログラマーとしての自分

小学4年生にN88-BASICの触りを親戚に教えてもらい、小学5年生から結構本気でN88-BASICに取り組みはじめ、その後割とずーっとプログラミングをしてきた印象がある。どのぐらいのペースでやってたかわかんないけど、ニュアンスとしては大学生のころにはプロまでの1万時間は達成していて、C言語でMacintoshのプログラミングをやっていた。これが自分の中でのプロまでの1万時間のものさしになっていて、やっていくとそれなりになるという感覚の基準となっている。

アプリ開発

高専の4年生ぐらいから、Macでプログラミングをやってて、シェアウェアを作って売ってたりした。それは結構楽しくて、その後しばらく続けていた。そのためにデザインを学びたいとも思ったし、見様見真似でデザイン的にかっこいいものを目指して作ったりしてきた。iPhoneのアプリみたいな市場の大きさはなく、日本のフリーウェアシェアウェアはあまりかっこいいのがなく、海外の事例を見ながらGUIとかについて考えていた。この感覚は、iPhoneが登場したあとも常にあって、アプリ開発者であるというプライドはあって、感覚を磨いているつもり。この関係でデザインを学んで修行してる。

メディア・アートとの出会い

大学からはメディア・アートという分野を知り、そこで活動したいという感覚が芽生えたので、作品を作ったりしている。作品を作って発表する。このサイクルは一定の間隔で続けていて、コラボも含めるとかれこれ長いことやってきたと言えると思う。アートでは食えないという状況もあって、純粋にアート活動をしてきたとは胸を張って言えないが、アーティストの支援もやってきてることを含めると、アートのことを考えて制作に携わる経験はかなりある。

エンジニアリング+デザイン+アート

この3つのワードの関するものづくりとかに長いこと関わってきてる。

エンジニア的思考は自信のあるところだが、デザイン的思考についてもそこそこ慣れ親しんでいる。同時にアート的思考はもっと長い時間をかけている印象がある。自分のなかではそれらを分けて考えたことはなくて、地続きになっていてどこまでがどうという区分けはなかった。

デザイン思考、アート思考

ここ最近、上記のワードをよく聞くような場面に出くわす。非デザイナーがデザインの思考を取り入れて新しい事業を考えたり、イノベーションを目指す。それに限界を感じてさらにアート思考なるものが語られている。

まだ全部読んでないけど、以下の突破するデザインの中で語られている分類がピンとくる。

デザイン思考は、問題解決型の思考でアウトサイドイン。
意味のイノベーションは、個人の主観によるものでインサイドアウト。

ビジョンを考えるような作業は後者であるので、インサイドアウト。アート思考と呼ばれるものも、同じくインサイドアウトだろう。

自分の中では、デザイン的な思考もアート的な思考も分けずに存在していたし、どちらも割と自分一人で考えることが多く、その後人にそれを喋って鍛えるというステップを踏んでいた。おそらくそれは、意味のイノベーションで語られているような思考方法を全般的にやろうとしてたのかもしれない。

ここ最近の学びで、こういう思考の種類を使い分ける時に、意識的に分けて使えるのかもしれないと知った。

アート思考というものについて

自分自身もアーティストであるとして語るとしたら、アーティストというのは一人でひたすら考える生き物だと思う。自分の表現として全くの白紙の状態からなにかを作り出し、それを展示という形でプレゼンテーションする。しかも、それを10年以上の長い期間継続している。

つまりこれは一人で思考するプロなんじゃないかと思う。

イノベーション的思考とは同じではないけど、似たところがあると思う。独自性というのはアートの分野では重要だと思うし、だれかと同じような作品を作らないように独自性を極めていこうとしている。そうすると、ある種人に共感をしてもらえないような思考を重ねていくこともある。そういう思考については、身内の限られたパートナーには話せるかもしれないが、誰にでも話せるようなものではない。その状態でひたすら、一人に近い状態で思考を重ねて確信へと変えていく作業。

これのプロになるには、1万時間では足りないというか、一日にかけられる時間が限られるので、期間としては他のスキルと比べて長くかかると思う。ニュアンスとしては倍ぐらいかかるんじゃないかと思う。つまり他のスキルで言えば2万時間の価値があると思う。

イノベーションの分野で語られるアート思考とここで言ってることがイコールなのかよくわからないけど、とにかくアート的な思考は「一人で思考し、その思考を積み重ね、それを作品に込めて人に発表するぐらいの確信まで持っていく」ということだと思う。

現在の世の中

はっきり言ってスマホやらなんやらで、スキマ時間がとにかくない。そしてデジタルツールによって効率が高まりすぎて、忙しすぎる。思考する時間が思うように取れないと自分は感じている。それは自分の人生のフェーズが進んでいるからとか、子供が生まれて単純に自分の時間が少ないとかそういうこともあるかもしれないけど、たぶん、思考する時間が減ってるんじゃないかと思う。

仮に時代が進むにつれて思考する時間が減っていると仮定する。

これってやばくないかと普通に思う。

全員が一人で思考する必要はないんだけど、思考する人がいないと、イノベーションは起こらないし、本質的な更新が行われないということになる。組織における意思決定ということを考えると、ある一定の割合で思考する人がいて、似たようなところまで思考がたどり着いていないと、その意思は決定されず、埋もれてしまう。

意味のイノベーションという思考方法を知ったとしても、思考する時間がとれないとなにも始まらない。

検索ではでてこない答えを探す思考。これは価値が高く、これからもっと価値が高まるのだろうと思った。

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