軸とかモノサシとか仕事とか

最近考えてることを書いてみる。

基準

何かを作る時にいろんな観点で評価したりしながらチューニングしていくわけだけど、その基準について。

見た目
フォルムのデザインだったり、色だったり、グラフィック的なことだったりするわけだけど、要は見た目。見た目をよくする。シンプルなものが好きなので、自分の場合は違和感を取り除く作業になることが多い。コンセプトとの相性もあるので、単に見た目だけでバランスすることではないけど、見た目の時点でバランス悪いのはなかなか気持ち悪くて直してしまう。

コンセプト
なんで作るのかってところに対する答えみたいなところだろうか。なにかを試したくて作ることが多いけど、形にしたくて作ることもある。なにを試すのか、なんで形にしたくなったのかが明確であると作る時に迷わない。迷わないとシンプルにまとまる。

設計
主にエンジニアリング的な意味での設計。作るものが、シンプルで合理的な設計かという感じ。設計にも試したいことが含まれたりするし、設計には思想も現れると思う。割と重視したい。

強さ
結局作るものは自分の生き様のプレゼンのような感覚でやってることが多いので、どう見られるのかという第三者的な視点を意識してる。ここをもう少し達観していきたいと思いつつも、みる人を楽しませたいというのが根底にあったりするので、なかなか無視はできない。そんな中で、強さという概念があると思う。
強いと印象に残るし、人に言いたくなったりする。伝搬して伝わる距離も長い。そんな物差しがあると思う。完璧なクオリティで強くなる場合もあるし、無骨でも強いこともある。ほかの基準とは独立した物だと思ってる。

素敵
コンセプトとクオリティの高さが相まって、素敵になるのだろうか。なんか素敵と言われるような状態はいい状態。ここは目指したい。

もっとある

たぶん、基準はもっとたくさん持ってる。自分のなかの基準を満たさないと基本的には納得できない。自分の意思でコントロールできるならば、できる限り最善を尽くしたい。

仕事との折り合い

クライアントワークでは、そもそも、自分の総合的なものづくりの価値観がほしくて依頼される場合は少なく、多くはエンジニアリングとか実現力を評価されて依頼されることが多い。そうすると、コンセプトとか見た目の部分とかは多くは最終クライアントに近いほうで担ってる。なので、そこは手を出せないので、そこありきでバランスするしかない。クオリティとか、さまざまな基準の塩梅もそこまでシビアに見てる場合は少なく、大きく見ていくつかの条件が満たされることが期待される。

コスト、機能、堅牢性。エンジニアリングだとこの辺だろう。予算内で仕様通りに作ってくれたらオーケー。

ここで問題がある。プログラミングだけ頼まれた仕事で、そのプログラムのUIとなる部分に問題があった場合、どうするべきか。支給されるデザインに問題があった場合どうするべきか。機能的な欠陥であれば、エンジニアとしてアラートを出せるが、視覚的に美しくないとか、体験として違和感があるとか、なんか違和感があるとか。。自分は出来るだけ率直にいうようにしてるし、なんなら勝手に直してしまって、変だから直しときましたーとかやったりする。お金はもらえないけど。

これをやって怒られることもある。

例えば、「この機能があることでユーザーが混乱するので、無くしてしまいました」とかは怒られる。

クライアントワークの問題

なにがいいものなのか、どこを目指すべきなのか、そういうことが、決裁者を含めた仕事に関わる全体で共有できないことが大きな問題な気がする。こちらが把握してないそもそもの目的があって、そこをインプットされてないということもあるのかもしれない。

ただ、シンプルな問題として関わる人が多いとすり合わせができなくて、結果違和感のある歪なものになることがある。もしくは、すり合わせすぎて角の取れた優しいだけのものができたりする。

おそらくここを変えていくのが、受託から共創へという考え方なのかもしれない。もっとさらに合理的な方法もあると思うが、そこは模索していきたいこと。

コミュニケーション

ここ最近、ビジョナリーキャンプの影響もあり、コミュニケーションというワードについて考えることが多い。コミュニケーションというのはひどく難しいことだなーとつくづく思う。

育った環境も価値観も違う他者と、考えを共有するのに言葉を使って表現して伝える。言葉じゃなくて図とか表とかアニメーションとか使うこともできるけど、正しく伝わってるかを確認することはなかなかできない。正しく伝わってるかを聞いたら、そこにもまたコミュニケーションが発生してしまう。

協業のコツ

自分は人と何かを作るときは、とことん任せるようにしてる。自分も自分のパートは任せてもらう。ただ、アウトプットに対しては口を出し合う。手を動かした人の熱量は尊敬に値するので、レベル感を合わせて口を出す。

全てをコントロールはできない。そこが面白いと思っていて、相手に任せた部分を受けて自分のパートもバランスしていく。

偶然性もあるし、そんなもんだと腹をくくった上で結果を楽しむ。

これは、多分1人で何かを作っててもおなじで、偶然性はあると思う。その日につくったからこうなったという要素はあるもので、ほかの日につくったら違うことになってるかもしれない。昨日の自分との協業という感じだろうか。

コントロールを放棄するわけではなくて、乗りこなすみたいな感覚に近い。

とくに何か言いたいわけではない

この文章はとくに何かゴールを決めて書いてるわけではなくて、ただ、最近考えたことを書き出してるだけなので、誰かに何かを伝える文章ではなくて、ただ、考えを定着させるために言葉にしてみてるだけです。

では、おしまい。

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