何を書きたいんだこれは

自分が恐れているものを(例えその時点での理解が正確でないにしても)明確に言語化しておくことで恐怖に立ち向かうことができるし、それを是正することもできる。その過程で正確な理解へと変わることもある。

恐怖に名をつけラベルを貼り、見えるようにしてしまうことで人はそれに立ち向かうことができる。
迫る締め切りには立ち向かえるようなものだ。

見えない恐怖には立ち向かえず、ただ漠然と怯え立ち竦むだけになってしまう。恐怖を感じるそれがなんであるか、何に恐怖を感じているのか、それをなんと呼ぶか、どこにあるか。
自分を見つめることと知識をつけることの両輪がそれを可能にする。

学ぼう。知ろう。それに恐怖する必要はないのだから。


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