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日本における携帯電話(船舶電話・航空機電話を含む)の歴史

おっちゃん、仕事で30年以上前から携帯電話は使っていた。
個人で所有したのは、確か1994年だったと思うからもう30年くらい携帯電話を使用していてその進化していく様子を見ていた。
ショルダーフォンは、使ったことはないが仕事で使っているところを見たりしていたし、携帯電話を持つ前はポケベルも持っていた。
個人で携帯電話持っていたが通話料金も高かったので、携帯電話は主に受信で使い、携帯電話を持ってすぐにPHSが出て来て、携帯電話より通話に制限があるものの通話料金が安かったのでPHSで発信するといった感じで携帯電話とPHSとの2個持ちをしていたころもある。
技術の進化だけでなく、この30年間で電話料金の変化や一般の所有者の普及率の変化、様々な変化を見て、日本における携帯電話の歴史を追ってみたいと思う。
日本における携帯電話(船舶電話・航空機電話を含む)の歴史

『前史』
1949年:警察無線の登場
太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導により、1949年に警察がパトロールカー用に警察無線(PR-1超短波無線機)を導入。超短波帯で初めて周波数変調を採用し、これが戦後の日本の陸上移動通信システムの嚆矢となった。1970年代にはこれを発展させた移動警察電話も実用化されている。

1950年:電波法施行
GHQの指導により無線電信法が廃止され、1950年6月に電波法・放送法・電波監理委員会設置法(電波三法)が施行された。これにより現在の無線通信制度が整えられた。

1952年
*日本電信電話公社が設立

❝1953年:港湾電話の登場
1953年3月に、日本船舶通信が、船舶向けの港湾電話(通称、ハーバー・サービス 1959年に「船舶電話」に改称)を東京湾・大阪湾(スケルチ方式)でサービスを開始。1973年3月に自動交換内航船舶電話に移行し、サービス終了。❞

1954年 - 1967年:列車電話の登場と自動車電話の基礎研究
1957年に近畿日本鉄道が特急ビスタカー(大阪駅─名古屋駅間)において、200kHz帯の誘導無線方式で列車電話サービスを開始(現在は廃止)。1960年には日本国有鉄道(現、JRグループ)が東海道本線の特急こだま・つばめにおいて400MHz帯の誘導無線方式でサービスを開始した。1965年には東海道新幹線で漏洩同軸方式の列車電話が登場した(後の1982年に開業した東北新幹線・上越新幹線でも採用、2021年廃止)

東北新幹線の列車公衆電話
(2014年)

1954年に日本電信電話公社電気通信研究所が、自動車電話の基礎研究を開始。1961年には手動交換接続方式、1967年には自動交換接続方式の自動車電話システムを開発。これらは商用サービスとしては実用化には至らなかったものの、1968年の三陸沖北部地震を契機として、1970年に都市災害対策用無線電話システム(現 災害対策用可搬型無線システム)として実用化された。

❝1964年:手動交換内航船舶電話の登場
1964年に船舶向けの手動交換内航船舶電話(スケルチ方式)が横浜港・神戸港で、1958年にパイロット方式のものが瀬戸内海・駿河湾で開始された。1986年(昭和61年)3月にサービス終了。❞

1968年:ポケベルの登場
無線呼び出し(ポケットベル)は日本では1968年にサービスが始まった。1980年代後半、通信自由化により新電電(NCC)系のテレメッセージ各社が参入。それまで独占状態にあったNTTとのシェア争いが発生し全体の加入数は増加した。またそれまでは音声通知機能が主でビジネス用途がほとんどを占めていたが、同時期に数字のメッセージが送信可能となり、1992年頃から個人間で数字の語呂合わせや暗号でメッセージを送り合うブームが到来し、一般層にも本格的に普及し始めた。後にカナのメッセージも送信可能になるとブームは更に加速し、1996年には加入数のピークを迎えた。しかし1990年代後半以降、携帯電話での文字転送サービス(ショートメール)及び電子メールの普及も相まって、1998年頃から急速に携帯電話に取って代わられた。

初期のポケットベル
NTTドコモ インフォネクストB55 (1998年)

1970年:大阪万博でワイヤレステレホン・テレビ電話を出展
1970年3月から9月にかけて開催された日本万国博覧会(大阪万博)の電気通信館において、携帯型の無線電話機「ワイヤレステレホン」を出展し、一般加入電話と通話をするデモンストレーションが行われた。微弱電波を使用していたこともありコードレス電話と、携帯電話の両方の性質を持つものであった。またテレビ電話のデモンストレーションも行われた。

❝1973年:船舶電話の統合
1979年3月に、地域ごとに方式が異なっていた船舶電話を廃止し、サービスエリアを日本沿岸全域(沿岸から50~100km)とする自動交換内航船舶電話サービスを開始。1993年(平成5年)9月30日にサービス終了。❞

『黎明期』
1979年:コードレス電話と、世界初の自動車電話の登場
1979年4月、日本電信電話公社が600-P形電話機をベースとしたコードレス電話のレンタルを開始した。1984年にはMCA方式が、固定電話端末の自由化により1987年には無線局免許が不要な小電力コードレス電話が制度化され、日本でコードレス電話が普及していった。

1979年12月3日、日本電信電話公社により、世界初の自動車電話サービスが始まった。小ゾーンのアナログ方式(第1世代移動通信システム)で、サービスエリアは当初は東京都区部に限られたが、1980年11月25日には大阪市、1982年1月には名古屋市にも展開し、順次全国へ広がっていった。なおこの時使用されていた端末TZ801の本体の大きさは約320×230×90mm、重量は約7kg(受話器・アンテナを含めると約10kg)、消費電力50W/6Wであったこともあり自動車のトランクルーム内に設置され、まだ携帯電話とは呼べる大きさではなかった。当時の1ヶ月の基本料金は3万円、通話料金は3分で280円(基地局から320km以上の遠方は720円)であった。なおアメリカでは規格策定が遅れ、4年後の1983年10月に、携帯電話の商用サービスが開始された。

1982年 - 1991年:自動車電話・携帯電話の小型化
1982年5月25日に、日本電信電話公社は主要モジュールがLSI化された日本初のハンディタイプ携帯電話機TZ-802を世に出した。体積約1.5リットル、重量750g、消費電力35W/7Wと小型・軽量化された。この際、TZ-801型を利用する際の月額基本料が2万7000円に値下げされた。 1982年12月には、20万円で3年間の預かり期間がある保証金の制度が導入された。当時は周波数変調を用いたのみで、市販の受信機で誰でも会話の内容を傍受できるアナログ式であった。1993年には会話の内容を傍受することが困難で、周波数使用効率にも優れたTDMA方式の第二世代携帯電話(2G。PDC方式)サービスが、NTTドコモにより開始された。そして、2000年10月以降は、すべてデジタル式となっている。

日本で初めて登場した携帯電話機(ショルダ型自動車電話)は、1985年9月に日本電信電話(NTT 旧 日本電信電話公社)がレンタルを開始した「ショルダーホン」の100型である。ショルダーホンは車外でも使用できる自動車電話という位置づけであり、電話機の重量も約3kgと重かったため、携帯時はショルダーバッグのように肩にかけて持ち出す必要があった。 サービス開始の前月に発生した日本航空123便墜落事故で、救助活動にあたった捜索隊(自衛隊、警察)にショルダーホンの試作機12台が提供された。その時点で郵政省からの無線局の免許は発効していなかったが、超法規的措置の適用により提供が実現した。

❝1986年:航空機電話の登場
1986年5月にはNTTによって、日本列島とその沿岸から200海里内(約370km)の上空5,000mを飛行する航空機を対象とした発信専用の航空機電話サービスが開始され、また15年後の2001年7月には通信衛星N-STARを使用した衛星航空機電話サービス(衛星電話のワイドスターと共用)が開始された。両者ともに2004年3月にサービス終了。❞

1988年には車載・ショルダ型兼用機TZ-803Aが発表され、体積1リットル、重量1.3kg、消費電力20W/0.7Wに、1989年2月には携帯電話TZ-803B(製造 日本電気・松下通信工業)が発表され、体積400ミリリットル、重量640gと小型・軽量化が進展した。

❝1988年:マリネットグループ参入
1988年9月に東京湾マリネットが、1989年12月に関西マリネットが、1991年4月に瀬戸内マリネットが船舶電話サービスを開始した。1989年11月16日には日本船舶通信が、自動交換内航船舶電話の後継として親会社のNTTの自動車電話・航空機電話とシステムを共用した新内航船舶電話サービスを開始し、マリネットグループに対抗した。新内航船舶電話サービスは1999年(平成11年)3月31日にサービス終了。❞

1989年4月にDDIセルラーグループが世界最小・最軽量の携帯電話「マイクロタック HP501」(体積221ミリリットル、重量305g、連続待ち受け時間 8時間、製造 モトローラ)を発売したこと機に、1990年には日本移動通信(IDO)がさらに小型・軽量の「IDOハンディフォン ミニモ」(大きさ54×16×27.5mm(体積203ミリリットル)、重量298g、製造 松下通信工業)を発売。1990年11月にはNTTも世界最小・最軽量(体積150ミリリットル、重量230g、連続待ち受け時間 8時間、製造 日本電気・三菱電機・松下通信工業・富士通)の小型携帯電話「mova TZ-804」を開発し、1991年4月に発売した。

自動車電話100型
(ショルダーホン、TZ-802型自動車無線電話用移動無線機)
TZ-802型自動車公衆電話
(1984年)
マイクロタック HP501の同型機(MicroTAC 9800X)
日本電気 TZ-804 後期型 (mova N)

1987年:携帯電話サービス開始
1986年には電波法が改正され、自動車以外でも自動車電話が使用できるようになり、特急列車や高速バスにも自動車電話が設置された。また公衆電話型の自動車電話も登場した。

そして1987年4月には、NTTによって携帯電話サービスが開始された。システム・端末は自動車電話と兼用であった。

阪急6300系電車に
設置されたmova方式の列車電話(2010年)
西武鉄道レッドアローに
設置されたmova方式の列車電話(2011年)

1988年 - 1994年:通信自由化による新規参入
通信自由化に伴い、1988年から1989年にかけて、それまでNTT(旧電電公社)が独占していた自動車電話事業に、旧・IDOや旧・DDIセルラーが新規参入を果たし、初期費用や通話料金などの価格の引き下げ競争が始まった。それまでの自動車電話のユーザーは企業の経営幹部層(エグゼクティブ)などにほぼ限られていたが、土木工事現場の連絡用などにも使われ、ビジネスユースに広がるようになった。

1989年11月には十勝テレホンネットワークが簡易自動車電話サービス「コンビニエンス・ラジオ・フォン」(CRP、簡易陸上移動無線電話通信)を、帯広市及びその周辺地域で開始した。自動車電話の普及が遅れていた地方都市を中心に、1990年にはテレコム青森・釧路テレコム・山口ニューメディアセンターが、1993年にはテレコム八戸・長岡移動電話システム・テレネット遠州が各地域でコンビニエンス・ラジオ・ホンのサービスを開始した。

1989年12月に日本シティメディアが東京都内で世界初のテレターミナル方式の無線パケット通信サービスを開始。1997年2月には関西シティメディアが大阪府周辺でサービスを開始した。

1992年7月には、NTTが移動通信事業部門(自動車電話・携帯電話・無線呼出・船舶電話・航空機電話)をNTT移動通信網(現 NTTドコモ)とその地域会社に譲渡し、各社が営業を開始した。

1994年には携帯電話新規参入の第二弾として、4月にはデジタルホングループ(現 ソフトバンク)が、6月にはツーカーグループ(KDDIの前身の一つ)がPDCデジタル方式(2G)で参入し、競争が激化していった。1996年にはデジタルホン・ツーカー間の相互ローミングを目的としたデジタルツーカーが設立されるなど、郵政省により新規参入を優遇する政策・指導も行われた。

TU-KA TH-781
(日本電気、1998年)

1988年
*1988年には車載・ショルダ型兼用機TZ-803Aが発表され、体積1リットル、重量1.3kg、消費電力20W/0.7Wに、1989年2月には携帯電話TZ-803B(製造 日本電気・松下通信工業)が発表され、体積400ミリリットル、重量640gと小型・軽量化が進展した。

※日本移動通信(IDO、現・KDDI(auブランド))及び関西セルラーなどDDIセルラーグループ各社(現・KDDI/沖縄セルラー電話連合(各auブランド))が新規参入。NTTの独占体制が終わる。

1989年
※1989年4月にDDIセルラーグループが世界最小・最軽量の携帯電話「マイクロタック HP501」(体積221ミリリットル、重量305g、連続待ち受け時間 8時間、製造 モトローラ)を発売したこと機に、1990年には日本移動通信(IDO)がさらに小型・軽量の「IDOハンディフォン ミニモ」(大きさ54×16×27.5mm(体積203ミリリットル)、重量298g、製造 松下通信工業)を発売。1990年11月にはNTTも世界最小・最軽量(体積150ミリリットル、重量230g、連続待ち受け時間 8時間、製造 日本電気・三菱電機・松下通信工業・富士通)の小型携帯電話「mova TZ-804」を開発し、1991年4月に発売した。

1992年
*NTTよりNTT移動通信網各社(現・NTTドコモ)へ移動体通信事業移管開始。

『普及期へ』
1993年:2Gサービスの開始
1993年3月にNTTドコモがPDCデジタル方式(第二世代携帯電話(2G))の携帯・自動車電話サービスを開始し、世界初のデジタル携帯電話を使ったデータ通信サービス(2,400bps)を開始。1994年6月には日本移動通信(IDO KDDIの前身の一つ)もPDCデジタル方式の携帯・自動車電話サービスを開始し、高速データ通信サービス(9,6kbps)を開始。1Gでは音声通話しかできなかったが、2Gではデータ通信・パケット通信が可能となった。

1993年
*NTTドコモ、初のデジタル方式(PDC)携帯電話開始。

1994年:買取り制導入
1994年には、自動車・携帯電話機の買取制度(携帯電話機の売り切り制 通称、端末の自由化)の導入とともに、初期費用、回線利用に必要な料金の大幅な値下げが行われ、通信業界全体の大きなターニングポイントとなった。端末機の供給でも家電メーカーなどが加わり、20社近くが名乗りを上げた事もあり、競争はさらに加速され、結果、携帯電話が広く一般に普及する下地が作られた。日本国内の1992年での携帯電話機・自動車電話の稼働台数は約170万台。全人口に対する普及率は約1.4%にあたる。

1994年
*デジタルホングループ(現ソフトバンク)、ツーカーグループ新規参入。

1995年 - 1998年:PHSブーム、多機能化の萌芽と新規事業者の撤退
PHS・携帯電話の普及と通話料金の低価格化による競争の激化により、新規参入事業者のコンビニエンス・ラジオ・フォン・船舶電話のマリネットホン・テレターミナル事業者の全社が携帯電話事業者に事業譲渡し、携帯電話サービスに統合された。なお当時は携帯電話事業者では加入者の急増により携帯電話用の周波数帯域がひっ迫しており、事業譲渡によって従来のサービスで利用していた周波数帯域を携帯電話に転用するという狙いがあった。

1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、有線インフラに壊滅的被害が発生した中、無線の強さを発揮した携帯が改めて見直された。一方で当時の携帯電話は一部地区を除いて119番への接続が出来ず、また被災地周辺では繋がりにくい状態が発生するなど、複数の問題点も露呈した。

そんな中、1993年に第二世代デジタルコードレス電話として開発されたPHSが、1995年にはついに簡易型携帯電話サービスとして開始された。端末や通話料の安さもあり若年層を中心に電話の新しいスタイルとして普及した。

1996年4月にはPHSで、携帯電話に先駆けてショートメール(SMS)の一種、セルラー文字サービス(DDIセルラー)が始まった。同年11月には同じSMSのPメール(旧DDIポケット)もヒットした。1997年6月には携帯電話でもSMSが始まった(ドコモmova)。

しかし当初は携帯電話との相互通話が不可能だったり、電波が受信しにくいという制限があったことや、携帯電話端末・料金の値下げなどによって次第に苦戦し、携帯音声通信サービスの日本国内での市場では、契約者数ベースで携帯電話に大きな差を付けられ、短いブームを経て衰退に向かう。

ドコモPHS 633S(シャープ)
・ウィルコム AH-K3001V(京セラ)
・ウィルコム WX310SA(三洋電機)

1995年7月に山口ニューメディアセンターがコンビニエンス・ラジオ・フォンのサービスを終了。エヌ・ティ・ティ中国移動通信網(現 NTTドコモ)に事業を譲渡した。1997年7月1日には残っていた6社全てがサービスを終了し、NTTドコモの地域会社・セルラーグループの地域会社に事業を譲渡した。

❝1996年:衛星電話の登場
1996年3月、航空機電話・船舶電話サービスの置き換えを目的として、NTTドコモにより日本の領海内専用のN-STAR衛星電話(現 ワイドスター)を開始。❞

WIDESTAR DUO可搬タイプ

1996年5月、ドコモの「デジタルムーバN103HYPER」(製造元:NEC)が発売され、着信メロディ機能が携帯電話としては世界で初めて搭載され、プリセット楽曲から選択できた。同年9月には日本移動通信(現KDDI)も、携帯電話としては初めて自分で作曲したメロディを着信音にすることができる 「メロディ着信音作曲機能」を搭載した端末を発売した。

1997年12月、NTTドコモの携帯電話に接続し、データ通信機能を使用して低額でメールを送ることができるメール専用端末 「ポケットボード」(シチズン時計)が発売。その後各社・各キャリアが追随し、「フォトパレット」(au)、 「コミュニケーションパル」(シャープ)、「Pocket・E Cam」(九州松下電器/DDI Pocket)・「Sky e pad」(J-Phone)、「POCKET mopera」・「キャメッセプチ」・「キャメッセボード」・「CHASPY」(NTTドコモ)、「Cara」(セイコーインスツルメンツ/ツーカー)、「Browser Board」(シャープ/ドコモ、コミュニケーションパルのOEM、携帯・PHS両対応)、「パルディオEボード」(NTTドコモ/シチズン、PHS用)などが発売され、高機能な電話帳や、スケジュール管理機能、高画質なカメラの採用、着信メロディの作成機能などで他社製品との差別化を図っていたが、2004年頃からのパケット定額制の普及によりブームは収束。

ポケットボード(1997年)
PocketPostPet
(カシオ計算機、2000年)
フォトパレット
(松下通信工業、2000年)

1997年12月には船舶電話の東京湾マリネットが日本移動通信(現 KDDI)に、1998年6月には関西マリネットが関西セルラー電話(現 KDDI)に、瀬戸内マリネットが中国セルラー電話(現 KDDI)に経営を譲渡し、同日をもってサービス終了した。

1998年7月、DDIセルラーグループの関西・九州・沖縄セルラー(KDDIの前身の一つ)が、第2.5世代携帯電話(2.5G)としてcdmaOne方式を導入。相互ローミングのため、日本移動通信(IDO KDDIの前身の一つ)も1999年にcdmaOneを導入。

1998年7月には日本シティメディアがエヌ・ティ・ティ移動通信網(現 NTTドコモ 2000年にテレターミナルのサービスを終了)に、関西シティメディアが関西セルラー電話(1999年にテレターミナルのサービスを終了)に事業を譲渡し、テレターミナル事業から撤退した。

1996年
*地域指定方式が廃止。

*デジタルホン、携帯電話初の全画面液晶タッチパネル対応機種を発売。

1997年
*各携帯電話事業者がショートメッセージサービスを開始。デジタルホングループの「スカイウォーカー」は携帯電話初の電子メールが利用可能。

1998年
*DDIセルラー、初のCDMA方式cdmaOne開始(IDOは1999年に開始)。

❝1998年:携帯電話海上利用の解禁
船舶電話とのすみ分けの都合で、海上での携帯電話の利用が禁止されていたが、1998年のマリネットホン廃止に伴う代替措置として平水区域での使用が認められた。1999年には新内航船舶電話サービス廃止に伴う代替措置として、沿岸区域(概ね領海《沿岸から12海里、約22km》を指す)まで緩和された。基地局の配置に依存するので確実に領海内で使用できるとは限らないものの遭難の救助要請にも使われている。❞

❝1999年:船舶電話のサービス終了
1999年3月、衛星電話ワイドスターに置き換える形で、船舶向けの新内航船舶電話サービスを終了。❞

『インターネット/カメラ/電子マネー/テレビとの融合』
1999年 - 2000年:世界初のインターネットサービスとE-mail、カメラ内蔵携帯
1999年2月にドコモがiモードを、同年4月には旧DDIセルラーグループ・IDOが「EZweb」を開始し、世界に先駆けて携帯電話を使った携帯電話IP接続サービスが提供された。これまでの受け身で既存メディアが流す情報に接するだけの状態から人々の姿勢や生活を大きくを変えた。

それまでのSMS(ショートメール)に代わり、携帯メール(キャリアメール)も始まり、新たなコミュニケーションの手段として顔文字や絵文字が登場した。こうした着メロ機能があったり、ネットやメール対応した多機能携帯を、いわゆるフィーチャーフォンという。

それまで、通話専用端末で、小型化、通話音質と電池持ちの向上に重点が置かれていた携帯電話が、インターネット端末へと変貌を遂げ、質量130g程度までの大型化を許容しながら、液晶ディスプレイなどを中心にして、技術革新が進んでいった。従来は、モノクロだった液晶画面は、2000年からカラー画面化が進み、大画面・多色表示・高精細化が進んでいった。 このころから、ストレート型から折りたたみ型にすることで大画面を搭載したNEC製端末が人気となり、2001年からはNEC以外の他社も、ストレート型から折りたたみ型へと形状を転換していった。またこの頃から音楽聴取やゲームも携帯ですることが一般的になり、携帯カメラで動画撮影やテレビ電話も行われるようになった。

さらに、折りたたみ携帯電話のアンテナ形状についても、アンテナを先端からヒンジ部に移した2000年夏のドコモのP209iS(松下通信工業製)を皮切りに、2002年以降はヒンジ部設置が主流になり、伸縮式から固定式へと変わっていった。その後、2001年の世界初3G機種のドコモのP2101V(松下通信工業製)がアンテナ内蔵型を採用し、3G機種では内蔵型が一般的になった。1990年代後半以降に主流となっていたLEDによる着信・受信時の光るアンテナについては、通知ランプに置き換えられ、2000年代前半のドコモのNEC機種のようにiモードのロゴを光らせる演出をさせる機種もあった。

NTTドコモの折りたたみ型で初のカラー液晶を搭載したN502it(NEC(当時)、2000年)

1999年9月、京セラが世界で初めてカメラ付きPHS「VP-210」をDDIポケット(現:Y!mobile(ソフトバンク)から発売した。翌2000年11月には、J-PHONE(現・ソフトバンク)とシャープが写メールの前身サービスを世界で初めて開始し、シャープ製の世界初のカメラ付き携帯電話「J-SH04」が発売された。これによって携帯カメラで撮影した画像をメールに添付し、友人らに送ることが一般的になった。また、2002年にはJ-PHONEが動画をメールで送れる「ムービー写メール」を開始した。この写メールは、普通名詞と化し、「写メ」、「写メる」などの新語が登場した。

世界初のカメラつき携帯電話(PHS)、DDIポケット VP-210(京セラ、1999年)
世界初のカメラ付き携帯電話
となったJ-PHONEの J-SH04
(シャープ、2000年)

1999年
*NTTドコモとIDO、アナログ(ハイキャップ)方式終了。

*デジタルホン・デジタルツーカーグループが統合しJ-フォングループに。社名も「J-フォン」を冠したものに変更。

*携帯電話からのインターネット接続サービス(携帯電話IP接続サービス)「iモード」、「EZweb」、「J-スカイ(現・Yahoo!ケータイ)」開始。

*NTTドコモ、携帯電話初の和音着信メロディ対応機種を発売。

*NTTドコモ、携帯電話初のカラー液晶機種を発売。

*道路交通法の改正に伴い、運転中の携帯電話等の使用が原則禁止となる。

*1月1日 — 2時をもって携帯電話・PHSの番号11桁化(0a0-bc-defgh → 090-abcd-efgh、070-abcd-efgh)。

2000年
*DDIセルラー・IDO、アナログ (TACS) 方式終了。これによりアナログ方式は全キャリアでサービス終了。

*沖縄セルラーを除くDDIセルラーグループ各社が株式会社エーユーに統合(関西セルラーを存続会社として合併したため、本社は大阪にあった)。

*DDIセルラー・IDO、携帯電話初の防水機能対応機種を発売。

*J-フォン、携帯電話初のカメラ付き携帯電話を発売。

*J-フォン、携帯電話初のTFTカラー液晶(65536色)の機種を発売。

*KDDI、メモリーカードに対応し携帯電話初の音楽再生機能対応機種を発売。

*10月1日 — KDD・DDI・IDO合併によりKDDIが発足(発足の少し前の7月に、DDIセルラーグループとIDOの全国統一ブランド「au」を導入)。

*11月1日 — KDDIがガク割サービスを開始。

2001年 - 2004年:世界初の3Gサービス
2001年1月サービス開始のNTTドコモのiアプリを皮切りに、各社でJavaアプリケーションに対応した携帯電話が登場し、ゲームや地図などのさまざまアプリが登場していった。

2001年5月には日本において、世界初の第三世代携帯電話(3G、W-CDMA)の商用サービスがNTTドコモで始まった。2002年12月にはVodafone(現・ソフトバンク)でW-CDMA方式の3Gサービスを、2002年4月からKDDIがCDMA2000 1x方式の3Gサービスを開始した。

ただし、2Gから3Gへの移行期には、アナログ(1G)からPDC(2G)への移行期と比べて、すでに多くの人々が携帯電話を利用していたことから、2005年ごろまでのドコモやVodafoneの黎明期の3Gサービスでは多くの問題点が露呈した。

2001年10月に本格的にサービスを開始したドコモのFOMAでは、初期の端末はPDC端末と比べて重く、電池の持ちが悪い上、サービスエリアが狭く、料金も高かった。また、2004年のFOMA900iシリーズの登場以前のFOMA端末は、PDC端末と比べ、カメラ画素数やiアプリの性能が低かった。このため、すぐには普及しなかった。その後も、FOMA端末は2005年ごろの機種まで、PDC端末と比べて、OSが未熟で、キーレスポンスが遅くなりがちだった。さらに、着うたフル対応端末の導入が2006年夏で他キャリアより1~2年遅れた。

日本テレコムを買収してJ-PHONEを引き継いだイギリスVodafoneは、2002年12月に3Gを試験的に導入していたものの、Vodafone 3Gで本格的にサービスを開始するまで2年かかった。また、2004年~2005年のVodafone 3G対応携帯電話は、Vodafoneイギリス本部の意向があり、それまでのPDC用端末とは全く異なる、世界共通のUIを導入したことで、日本のユーザーにとっては使い勝手が悪くなった上、ソフトウェアの不具合も多発し、ユーザーの離反を招いた。この3G導入時の失敗により、Vodafoneは写メールで人気を伸ばしたJ-PHONE時代からは一転して、人気が低落した。その結果、Vodafoneはわずか3年ほどで日本撤退を決め、2006年にソフトバンクに携帯電話事業を譲渡することになる。

一方、従来のcdmaOneとの下位互換性が高く、2002年4月に3GのCDMA2000 1xを導入後も、2003年11月のCDMA 1X WIN導入まで、あえて大々的に3Gサービスを強調しなかったauでは、比較的スムーズに3Gへの移行が進んだ。

このころ、フィーチャーフォンの高機能化、サイトやアプリのリッチコンテンツ化が進んでいたが、家庭用回線のフレッツ・ISDNやフレッツ・ADSLのような定額の料金プランはまだなく、パケット通信費が青天井で、月額数万円~数十万円という高額請求になる、いわゆる「パケ死」が社会問題化した。特に、パーソナルコンピュータと接続してパソコンと同じインターネットに接続していた人の間ではデータ量も料金も膨大になった。そこで、2003年11月には、auがCDMA 1X WIN導入に合わせ、パケット定額制を導入し、2004年からドコモやVodafoneも3G回線のユーザー向けにパケット定額制を導入していった。

NTTドコモのFOMA1号機のP2101V(松下通信工業(現・パナソニック モバイルコミュニケーションズ)、2001年)
au初のカメラ付きCDMA2000 1x機のA3012CA
(カシオ計算機(当時)、2002年)
Vodafone 3Gが本格的に開始された世代のVodafone 802SE(ソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ(現・ソニーモバイルコミュニケーションズ)、2004年)

当初カメラ付き携帯電話導入に消極的だったauやドコモも、2002年から本格的にカメラ付き携帯電話を発売し、力を入れるようになった。カメラの画素数は2000年~2001年ごろは、トイカメラ並みの10万画素クラスだったが、2002年には30万画素クラス、2003年には100万画素以上のメガピクセルカメラで、オートフォーカス、QRコードなどが読めるバーコードリーダーを持つ携帯電話が登場。その後も画素数競争が白熱し、画素数でコンパクトデジタルカメラに匹敵するものとなり、コンパクトデジタルカメラやレンズ付きフィルムの市場を駆逐していった。

これに合わせて、2003年ごろから、高価格帯の携帯電話では、コンパクトデジタルカメラのように横向きに構えられる回転2軸ヒンジの折りたたみ型や、スライド型などの形状を採用した機種も数多く登場した。また、2002~2004年ごろの一時期には、折りたたみ端末を閉じた状態でも撮影ができるように1.0インチ前後の大型カラー画面のサブディスプレイを設けた機種が数多く販売された。また、第3世代携帯電話の登場とともに、テレビ電話用にサブカメラを設けた機種も発売されていった。

着信メロディも流行し、プリインストールや自作だけでなく、専用サイトから人気アーティストの最新楽曲のMIDIをダウンロードできるようにもなり、従来の単音から、2000年ごろには3、4和音、2001年ごろには16和音、2002年ごろには32和音、2003年ごろには64和音と各メーカーが競うように和音数を増やしていった。

しかし、2004年以降は着信メロディに代わって、AAC形式などでミュージシャンの実際の楽曲がダウンロードできる着うたや着うたフルが主流となるにつれ、和音数の多さは重要視されなくなり、着信メロディのダウンロードや自作機能も廃れ、その代わりにauのLISMOに代表されるような音楽配信サービスが登場していった。

2003年12月にVodafoneが投入したV601Nで、日本で初めてアナログテレビチューナー内蔵携帯電話が登場した。その後、地上波アナログテレビ放送が受信できる端末がVodafoneで数機種発売された。画面が表示されるアナログテレビ付き端末はVodafone以外には広まらなかったが、2004年からは、ドコモやauでも、放送が受信できる携帯電話として、ラジオチューナー内蔵携帯電話やマルチメディア放送のモバHO!(2009年3月停波)に対応した携帯電話が登場した。

世界初のメガピクセルカメラ付き携帯電話のJ-PHONEの J-SH53
(シャープ、2003年)
日本初のアナログテレビ付き携帯電話のVodafone V601N
(NEC(当時)、2003年)

モバイル決済の先駆けも登場した。2000年代初頭に、ソニー(現・ソニーイメージングプロダクツ&ソリューションズ)が開発した非接触型ICカード技術の「FeliCa」の携帯電話搭載についての開発がNTTドコモや端末メーカー数社の間で進められた後、2004年夏に、ドコモから初めておサイフケータイ(「iモードFeliCa」)に対応したFeliCa搭載携帯電話が4機種発売され、携帯電話がプリペイドの電子マネー端末として利用できるようになった。おサイフケータイはドコモの商標であったため、当初のおサイフケータイ対応機種はドコモのみだったが、2005年からは同じ「おサイフケータイ」の商標で、auとVodafone(現・ソフトバンク)からも対応機種が発売されるようになった。

その後、2006年には、東日本旅客鉄道(JR東日本)が2001年11月に導入したFelicaによるICカード乗車券「Suica」を携帯電話で利用できる「モバイルSuica」、また、ドコモではおサイフケータイによるクレジットカード決済の「DCMX」が導入された(#ローカル規格の問題も参照)。

NTTドコモの初期の
おサイフケータイ対応携帯電話のF901iC
(富士通、2004年)

2004年12月、3Gネットワークを利用するスマートフォンVodafone 702NKが発売された。

❝2004年:航空機電話・衛星航空機電話のサービス終了
2004年3月、航空機向けの航空機電話と、衛星電話ワイドスターを使用した衛星航空機電話サービスを終了。❞

スマートフォンは、フィーチャーフォンやPDAの更なる発展型であり、自分でカスタマイズ(機能の足し引き)できるなど、超小型パソコンとも言える機能およびオペレーティングシステムを備えている。パソコンが普及する一方でフィーチャーフォンが日本ほど高機能ではなかったアメリカでは、このあたりから、BlackBerryなどQWERTYキー付きのスマートフォンが普及を見せ始めていたが、日本では、2000年代中盤に主流だった日本メーカーのフィーチャーフォンと比べカメラ画素数などのスペックが低く、キャリアメールなど大手キャリアの各種サービスや、おサイフケータイなどに対応しておらず、折りたたみ式が主流だったフィーチャーフォンと比べ、大きくて重かったスマートフォンは、市場で大きな人気を得ることはできなかった。また、タッチパネル技術も未熟である上、パソコンに近い操作性で、当時のフィーチャーフォンの操作に慣れ親しんだユーザーには操作が難しく、2008年のiPhone 3G発売まで少数に留まった。

Vodafone 702NK
(ノキア、2004年)
NTTドコモ BlackBerry 8707h
(リサーチ・イン・モーション、2006年)

こうして、写真機能(写メール、iショット、フォトメールなど)、動画撮影機能(ムービー写メール、iモーション、ムービーメールなど)、アプリケーションをダウンロードする機能(iアプリ、S!アプリ、EZアプリ(Java)、EZアプリ(BREW)(現・EZアプリ(B))、オープンアプリプレイヤー(のちEZアプリ(J)に発展) など)、テレビ電話機能(FOMA/SoftBank 3G/CDMA 1X WIN)といった多数の機能が出揃った。多機能化により2003年頃から、電話機に組み込まれたソフトウェアの不具合(バグ)が頻発したこともあったが、キャリアショップへの持込みによるソフトウェア書き換えの導入や、エアダウンロードによるネットワーク経由でのソフトウェア更新技術の導入により端末の回収、全交換に至るものは減少している。

一方で、ワン切り、学校裏サイト、迷惑メールのような新しい社会問題も生まれた。

2001年
*KDDI、携帯電話初のBluetooth対応機種を発売。

*NTTドコモ、携帯電話初のJavaアプリケーション対応機種を発売。

*J-フォン、折り畳み・TFTカラー液晶・カメラ付・Javaアプリ・写メール・FM音源16和音という人気機能を詰め込んだハイスペック機J-SH07を発売。

*KDDIが株式会社エーユーを吸収合併。以後は同社の移動体通信事業のブランドとなる(同社の連結子会社の沖縄セルラー電話を含む)。

*NTTドコモ、自社開発の第三世代携帯電話であるW-CDMA方式「FOMA」開始。FOMA開始に伴い、携帯電話初のテレビ電話対応・動画撮影可能機種が登場。

2002年
*携帯電話の番号に、「080」が追加される。

*J-フォングループの持株・事業会社をJ-フォン株式会社に一本化。

*J-フォン、第三世代携帯電話であるW-CDMA方式「ボーダフォングローバルスタンダード(VGS)」(現・SoftBank 3G)を開始。

*J-フォン、ムービー写メールサービスを開始。

*J-フォン、携帯電話初のQVGA液晶の機種を発売。

*KDDI、着うたサービスを開始。

*4月1日 — KDDI/沖縄セルラー電話連合(各au)、cdmaOne方式の発展型第三世代CDMA2000 1xRTT方式「CDMA 1X」(現・au 3G)開始。

2003年
*J-フォン株式会社、ボーダフォン株式会社に社名変更。

*KDDI・沖縄セルラー(au)、PDC方式終了。

*NTTドコモ、携帯電話初の指紋認証対応機種を発売。

*J-フォン、携帯電話としては世界初の100万画素カメラ対応機種を発売。

*11月28日 — KDDI・沖縄セルラー(au)、CDMA2000 1x EV-DO方式「CDMA 1X WIN」(現・au 3G)開始。これに伴い携帯電話初のパケット定額制を導入。

2004年
*NTTドコモ、携帯電話初のおサイフケータイ対応機種を発売。

*11月1日 — 道路交通法が再度改正され、運転中に携帯電話等]を使用した場合の罰則が強化される。なお、自転車についても東京都では同様の規制があり、5万円以下の罰金となる。

2005年:ウィルコム、イー・モバイル参入とツーカーの撤退
2005年2月にDDIポケットから社名変更したPHS事業者のウィルコムが誕生した。また、インターネット・サービス・プロバイダ事業を行っていたイー・アクセスがイー・モバイルを設立し、2007年からサービスを開始し、携帯キャリアは4社体制となった。ウィルコムは大手携帯キャリアよりも早くから、シャープ製でWindows MobileのW-ZERO3をはじめとしたスマートフォンに力を入れ、イー・モバイルはネットブックやモバイルWi-Fiルーターを中心に展開した。

ウィルコム W-ZERO3 WS004SH(シャープ、2006年)
イー・モバイルの
Pocket WiFi D25HW
(華為技術日本、2009年)
イー・モバイルのEM chip
(SIMカード)

日産自動車やDDIなどが設立し、1999年の日産の資本撤退を経て、2000年からKDDIグループとなったツーカーが、2005年にKDDIにより完全子会社化され、2005年10月からauへの巻き取りにより吸収されることになった。 ツーカーは、3Gを導入せず、2002年ごろから、廉価モデルやプリペイド式携帯電話、ツーカーSなどシニア向け携帯電話に絞ったラインナップやライトユーザー向けの低料金プランに絞り、高性能モデルが中心のauとの棲み分けを図ったが、2000年代中盤からの3G普及への時代の変化に取り残されて、事業撤退し、2008年3月31日をもって停波した。

ツーカー最末期の端末、TT51
(東芝、2005年)

2005年
*3月31日 — NTTドコモ、プリペイド式携帯電話の新規受付を終了。

*10月1日 — ツーカーグループ3社(株式会社ツーカーセルラー東京、株式会社ツーカーセルラー東海、株式会社ツーカーホン関西)がKDDIと合併。事実上、KDDI へ吸収され、それ以降は2008年3月31日のサービス終了(停波)まで同社の移動体通信事業のブランドとなる。

2006年:ソフトバンク参入とワンセグの開始
Vodafoneは2006年3月に日本テレコムをソフトバンクへ売却して、ブランドもソフトバンクモバイル(SBM、現・ソフトバンク)に変更された。

2006年4月には、2003年12月に開始された地上デジタルテレビ放送の携帯電話・移動体端末向けの1セグメント部分受信サービスであるワンセグがサービスが開始され、これに先立つ形で2005年12月に日本初のワンセグ携帯電話「W33SA」がauから登場した。W33SAに続き、各社からもP901iTV・905SHが販売された。

また、2006年5月には、Vodafoneからの譲受で、携帯電話事業に参入したばかりのソフトバンクが、ワンセグが見やすいようにサイクロイド機構を採用した「AQUOSケータイ」の905SHを発売し、当時のソフトバンク社長であった孫正義が同機種発表時に使った「予想外」という言葉が注目を集めた。このサイクロイド機構を採用したシャープのAQUOSケータイは、ヒット商品となり、2007年春までに大手3キャリアで導入された。また、AQUOSケータイのヒットにより、パナソニック、カシオ日立モバイルコミュニケーションズ(日立製作所)、東芝、ソニー・エリクソンも、各メーカーのテレビブランドを掲げたワンセグ携帯電話を投入し、ハイエンドモデルから廉価モデルにまでワンセグが広く普及していった。

それとともに、ワンセグが登場する以前は、カシオ計算機のG'zOneシリーズなどアウトドアでのヘビーユースに特化した機種に限られていた防水携帯電話が、風呂でのテレビ視聴が想定されるようになったこの頃から広く普及し、さらに防塵にも対応した機種も増えていった。

ワンセグは、最大画面解像度が2005年当時主流だったQVGAであったため、2008年以降主流になったフルワイドVGA以上の高解像度画面の携帯電話では、画面の粗さが目立ったが、その後、スマートフォンが普及しつつあった2013年夏に、HD画質に対応したフルセグチューナー付きAndroidスマートフォン(NTTドコモ・富士通製のF-06E)が登場した。

日本初のワンセグ搭載携帯電話のauのW33SA
(三洋電機(当時)、2005年)
世界初のサイクロイド式
折りたたみ携帯電話Vodafone 905SH
(シャープ、2006年)

2006年
*1月28日 — モバイルSuica JR東日本の電子マネー「Suica」対応開始。

*4月1日 — 地デジの1セグメント放送「ワンセグ」開始。

*4月1日 — 携帯電話不正利用防止法が全面施行。

*4月15日 — ボーダフォン、携帯電話としては世界初のVGA液晶の機種を発売。

*6月30日 — KDDI ツーカーが新規受付を終了。

*8月1日 — ドコモHSDPA(いわゆる3.5世代)を開始。

*10月1日 — ボーダフォン株式会社、ソフトバンクモバイル株式会社(現・ソフトバンク株式会社)に買収され、ブランド変更および、HSDPA運用開始。

*10月24日 — 番号ポータビリティ制度開始。

2007年:MVNO新規参入へ
MVNOは、大手キャリアから通信網を借りることによりネットワーク維持費を削減し、広告宣伝費や実店舗が少なく、人件費が抑えられる仕組みである。

2007年11月にMVNO日本通信とNTTドコモとの相互接続協議にまつわる総務大臣裁定が下された。これに基づいて、2008年5月に総務省が「MVNOに係る電気通信事業法及び電波法の適用関係に関するガイドライン」が改定された。これによりMVNOなどの事業範囲が明確化され、また携帯電話事業者(MNO)とのレイヤー2接続も明記され、仮想移動体通信事業者(MVNO)の新規参入が促進されることとなった。

そして2009年3月に日本通信がNTTドコモと、IIJがイー・モバイルと相互接続を開始し、レイヤー2接続によるMVNOサービスを開始。これ以降MVNOの新規参入が相次ぎ、8年後の2017年9月時点ではMVNO事業者が747社に上り、携帯電話などの契約数のうち約1割を占めている。

MVNOの多くは、当初、データ通信のみのサービスで、のちに音声通話サービスを提供するようになった。MVNOのデータ通信は、インターネット接続をするのにiモードなどキャリアのサービスに依存するフィーチャーフォンでは利用できなかったため、フィーチャーフォンが全盛だった2000年代末までは極めてニッチな存在であった。そのため、MVNOの普及はSIMフリー端末の普及する2010年代を待つことになる。

2007年
*3月31日 — 13年ぶり新規参入のイー・モバイルが定額データ通信サービス「EMモバイルブロードバンド」を開始。

*4月以降 — 携帯電話事業者が新規に提供する第三世代携帯電話端末は、110番通報や119番通報のレスポンスタイムを固定電話並に向上するため、原則としてGPS測位方式による位置情報通知機能に対応。

『スマートフォンの台頭』
2008年:iPhoneの日本上陸
2007年6月にアメリカで発売された初代iPhoneはGSM方式で3G非対応だったため、日本では発売されなかったが、翌2008年夏には3Gに対応したiPhone 3Gが発表され、7月にはAppleが日本でiPhone 3Gを発売し、携帯電話事業者ではソフトバンクモバイル(現 ソフトバンク)が独占販売した。

そのころ日本ではDoCoMo2.0キャンペーンが展開され、フィーチャーフォン最後の時代を迎えていた。iPhone 3Gの発売当初は、ワンセグなどの日本向け機能や、キャリアメール(のちに対応)などのキャリアの各種サービスにも対応せず、画面解像度フルワイドVGA、カメラ画素数500万画素が主流だった当時、ハーフVGAで、200万画素止まりだったことなどスペック面の低さへの懸念から、「売れ行き失速」と報じられるなど、普及には懐疑的な見方もあった。

iPhone 3G(Apple、2008年)

2009年 - 2013年:国内メーカーの撤退戦
しかし、販売したソフトバンクは2009年から「iPhone for everybody キャンペーン」を実施し、iPhoneの購入時の初期費用を安くできるよう優遇措置を取ったことで、イノベーター以外にも広まり始めた。2009年7月には、NTTドコモから初のAndroidスマートフォンであるHT-03A(HTC Magic)が発売された。こうして携帯電話端末の主力がスマートフォンに移行することになった。2010年6月発売のiPhone 4では画面解像度がフルワイドVGAを上回る960×640ドットの「Retinaディスプレイ」になるなど、スペックも底上げされたことで、当時最新のフィーチャーフォンと遜色がなくなり、普及に拍車がかかった。

その後、2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)直後に、東日本の広範囲で携帯電話網がパンクした際、その影響を受けにくかったWi-Fiに標準で対応しているスマートフォンが注目を浴びたことや、同年6月にはスマートフォン向けコミュニケーションツールであるLINEが登場し、キャリアメールに代わる連絡手段として広く普及した。

またスマートフォンの台頭により主要な端末メーカーの勢力図も変わり、国内では圧倒的なシェアを持っていた日本メーカーがスマートフォンで大きく出遅れてしまい、フィーチャーフォン時代にシェアをほとんど持っていなかった外資系メーカーが市場シェアを伸ばしていった。2010年代以降、日本独自で時代に取り残されていった日本のフィーチャーフォンは、ガラパゴス諸島の生物になぞらえ、「ガラパゴスケータイ」あるいは「ガラケー」と揶揄されるようになる。

日本のスマートフォン市場の中でも、特に人気となったアップルのiPhoneは、2011年夏までソフトバンクのみの販売で、iPhoneを使いたいがゆえに、ソフトバンクに番号ポータビリティで乗り換えるユーザーも少なくなかった。一方、auとドコモは、ソフトバンクのみからiPhoneが発売されていた2008年~2010年は、EZwebやiモード、キャリアメールに対応できず、ワンセグなどの日本向け機能を搭載していない外資系メーカーの機種が中心だったスマートフォンには慎重で、2010年ごろから日本メーカーのAndroidスマートフォン参入により、Androidスマートフォンのラインナップを増やしていった。しかし、iPhoneを取り扱っていなかったauやドコモは、Android黎明期の国産機種の不具合多発(後述)、同時期の日韓関係悪化などもあり、iPhoneの発売までスマートフォン市場で苦戦した。
2010年夏にネットブック型のIS01を皮切りにISシリーズを導入し、同年秋から「Android au」を掲げ、鳴り物入りでAndroidに参入したauは苦戦の末、2011年10月にiPhone 4SでiPhoneを導入し、iPhone中心の展開に大きく舵を切った。2010年春のXperia SO-01BでAndroid端末としては初めてのヒットを収めたものの、その後もiPhoneを扱えず、特定のメーカーの機種を優遇せずに、日本・韓国メーカーのAndroidを手広く主力として販売していたドコモは大きく苦戦した。ドコモはiPhone未発売がたたって2012年11月には2006年10月の番号ポータビリティ開始以来最多となる21万件の転出を記録した。そこで、2013年夏モデルから、ドコモはXperia AとGALAXY S4の「ツートップ」販売で、特定のメーカーの機種を優遇して販売するようになり、2013年9月にドコモもiPhone 5s・iPhone 5cでiPhoneを導入した。それ以降、大手3キャリアともiPhoneが主力機種として展開されるようになり、iPhoneの新規購入者向けには多額の販売奨励金(キャッシュバック)が導入されるようになった。

一方、アップルなど外資系メーカーに先を越された日本メーカーも、2010年ごろから、おサイフケータイやワンセグ対応、防水・防塵、テンキーなど、当時の外資系メーカーの機種にない機能を搭載させながら、Androidスマートフォンへと進出したものの、カスタマイズされたSymbian OSなどフィーチャーフォン用OSとは全く異なるAndroidの開発ノウハウが未熟だった2012年ごろまでの黎明期の機種は、電池持ちが悪く、さらには異常な発熱、電話の誤発信などの誤作動、再起動の繰り返しなどの致命的な不具合が多かった。これにより、動作が比較的安定していたiPhoneなど外資系メーカーのスマートフォンに替えるユーザーが増えることで、日本メーカー離れが進み、さらに各キャリアのキャッシュバック、旧機種下取りなどのiPhoneの販売面での優遇措置や、iPhone人気に合わせたサードパーティーによるケースなどのグッズの拡充により、iPhoneのシェアが過半数を占めるほどにまで高くなった。こうして、フィーチャーフォンの時代にはシェアの高かった日本メーカーは、フィーチャーフォン市場が衰退し、スマートフォンに市場が移行するにつれて、シェアを落としたり、携帯電話事業そのものから撤退したりしていった。フィーチャーフォンからスマートフォンへと主力市場が急速に変化していく中で、三菱電機、三洋電機、東芝、日立製作所、カシオ計算機、NECなどそれまでフィーチャーフォンを手掛けていた多くのメーカーが携帯電話市場から撤退した。

逆に、2011年6月17日には従来の携帯電話に操作方法が近く(テンキー搭載)、音声通話もしやすい形状(折りたたみ型)で、且つ、従来の機種別に、個別のOSが使われ統一されていなかったフィーチャーフォン用OSではなく、Android OSを採用した、世界初のAndroidフィーチャーフォン(スマケー/スマートケイタイ)、シャープ製AQUOS PHONE THE HYBRID SoftBank 007SHが発売された。なお「スマケー/スマートケイタイ」は2011年にソフトバンクによって商標登録されているため、後に他社がAndroidフィーチャーフォンを発売する際、他の名称(auのガラホなど)が使用される一因となった。

スマホ時代を迎え、2010年12月にはNTTドコモが第3.9世代移動通信システム(3.9G 商業上は4Gと呼称)のLTE通信サービスXiを開始。2011年にはau系のUQモバイルによりau向けの+WiMAXを開始。2012年2月にはソフトバンクモバイル系のWireless City Planningが、ソフトバンクモバイル向けにAXGP(TD-LTE)を使用したSoftBank 4Gを開始。3月にはイー・アクセスがEMOBILE LTEを、KDDI・沖縄セルラー電話連合(au)がau 4G LTEを、9月にはソフトバンクモバイルがSoftBank 4G LTEを開始した。

対して、2012年3月にNTTドコモのmovaサービス(第2世代移動通信システム/2G)が終了。2Gを使用している自動車電話・列車電話サービスも終了した。

ウィルコムとイー・モバイルも、両社とも2010年ごろに経営が悪化し、ソフトバンクからの買収、吸収合併を経て、ソフトバンクのサブブランドのY!mobileとなった(2022年3月以前は沖縄県でのY!mobileの一部事業のみ「ウィルコム沖縄」が展開していたが、2022年4月にソフトバンクに吸収合併された)。

iPhone 3GS(アップル、2009年)


HT-03A(HTC、2009年)


GALAPAGOS SoftBank 003SH
(シャープ、2010年)

2008年
*3月31日 — KDDI ツーカー事業がサービス終了。

*3月31日 — ソフトバンクモバイルがPDC(第2世代)サービスの新規受付を終了[注 6]。

*7月1日 — NTTドコモグループが統合し全国一社体制になる。

*7月11日 — ソフトバンクモバイル、iPhone 3Gを発売。

2009年
*7月10日 — NTTドコモ、Android搭載のHT-03A発売。

2010年
*3月31日 — ソフトバンクモバイルがPDCサービス(2G)を終了。

*4月1日 — NTTドコモ、Android搭載のXperia SO-01Bを発売。

*12月24日 — NTTドコモが3.9世代通信サービスXi(クロッシィ)(LTE方式)サービスの提供を開始。

2011年
*2011年度の国内携帯電話端末のスマートフォンの出荷台数が2417万台に達し、総出荷台数の56.6%がスマートフォンとなりフィーチャーフォンの出荷台数を上回った。

2012年
*3月31日 — NTTドコモがmova(PDC方式)サービスを終了。

*7月22日 — KDDI/沖縄セルラー電話連合(au)、旧800MHz帯エリアの停波、およびcdmaOneの全サービスの終了、およびCDMA 1Xの音声サービスの終了[注 7]。

*9月21日 — KDDI/沖縄セルラー電話連合(au)とソフトバンクモバイルがLTEサービスを開始。

2013年
*11月 — これまでPHS専用だった電話番号特番の「070」が、携帯電話で公式に使用開始(割当自体は2013年当初より開始)。 

2014年 - 2015年:格安スマホ・MVNOの普及
この頃各社は「MVNO元年」と位置づけ、大手キャリアではなく、SIMフリー端末とMVNOの組み合わせという使い方が普及していく。ファーウェイやASUS、ZTE、モトローラ・モビリティ(レノボ)など、大手キャリア向け機種をあまり投入していない中国・台湾メーカーを中心に、SIMロックフリースマートフォンが日本でも多数発売されるようになった。それに合わせて、コミュニケーションアプリの「LINE」ですでに高い知名度があったLINEのLINEモバイルや、イオングループなど異業種からも含め、MVNOへの新規参入が相次いだ。イオンは月額2980円の格安スマホを販売し一躍ヒット商品となった。このあたりから、MVNOはSIMカードの販売だけではなく、SIMフリースマートフォンをセットで販売するようになり、こうしたスマートフォンは「格安スマホ」と呼ばれるようになる。

一方、大手もこのMVNOの格安プランに対抗し、2014年には、PHS事業を展開していたウィルコムおよびイー・モバイルを運営していたイー・アクセスを買収したソフトバンクは、これら2社の買収を利用し、サブブランドのワイモバイルを、KDDIは自社グループにMVNO「UQ mobile」をそれぞれ立ち上げた。サブブランドは、有名タレントによるテレビCM、大手の販売網を利用した実店舗展開やそれによるアフターサービス、既存のMVNOのネックだった通信速度、事業規模が小さいMVNOでは困難であり、大手の流通網を生かした型落ちのiPhoneの販売などで、差別化を図り、囲い込んだ。

ディズニー・モバイルのSIMカード


UQ mobileのSIMカード


Y!mobileのSIMカード

2015年にはスマートフォンの個人保有率が50%を超えていた。2012年以降、フィーチャーフォンの新機種が急速に減っていった一方、大手3キャリアが通話定額サービスを相次いで開始した2014年度には、フィーチャーフォンの出荷台数が2007年度以来7年ぶりに増加するなど、操作が容易で、音声通話がしやすいフィーチャーフォンの新機種を望む声が一定数あった。そこで、従来の操作体系をできるだけ維持しつつも、このころにはすでに広く普及していたスマートフォン用のAndroid OSや部品を使うことで、開発コストを抑えた、Androidフィーチャーフォン(ガラホ)が、2015年のau向けのシャープ製AQUOS K SHF31を皮切りに登場し、富士通コネクテッドテクノロジーズ、パナソニック モバイルコミュニケーションズ、京セラも追従していった。

auのガラホ AQUOS K SHF32
(シャープ、2015年)


NTTドコモのガラホ 
らくらくホン F-02J
(富士通コネクテッドテクノロジーズ、2016年)


ソフトバンクの
ガラホ DIGNOケータイ 501KC
(京セラ、2016年)

2014年6月にはNTTドコモが、12月にはKDDI・沖縄セルラー電話連合(au)とソフトバンクモバイルが、従来のG.711よりも高音質な音声コーデックAMR-WBとEVS(auのみ未対応)を使用した音声通話サービスVoLTEを開始。一部のガラホもVoLTEに対応した。

2015年
*4月1日 — ソフトバンクモバイル、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併。

*4月24日 — 2017年以降、日本のメーカーがガラケー生産中止を発表。

*6月1日 — NTTドコモが、移動体通信事業者として初の音声通話定額制サービス「カケホーダイ&パケあえる」を提供開始。大手2社も追随した

*7月1日 — ソフトバンクモバイルは、商号をソフトバンク株式会社に変更。親会社のソフトバンク株式会社はソフトバンクグループ株式会社に商号変更。

2016年 - 2018年:総務省による指導
総務省は2016年4月、「スマートフォンの端末購入補助の適正化に関するガイドライン」を発表。本体料金を格安にし、その代わり毎月の費用から請求することで安いと錯覚させる「実質0円」商法の禁止を指示した。実質0円商法は大手3社の慣習となっていたため激震が走り、MVNOが勢いづいた。ただし抜け道的手法でその後も実質0円商法は続いた。

2018年8月、総務省が「モバイルサービスの提供条件・端末に関する指針」を改正し、携帯電話事業者が中古スマートフォンにおいてSIMカードのSIMロック解除に応じることを義務づけられた。大手3キャリアでも、総務省の指導などにより、端末との分離プランの導入や、ある程度の料金の値下げが進んだ結果、大手キャリアからMVNOへの顧客流出に歯止めがかかった。MVNOでもこの頃よりFREETELやDMM mobileの楽天モバイルへの吸収、BIGLOBEのKDDI傘下入り、LINEモバイルに対するソフトバンク出資(その後傘下に)といった業界再編が起きている。

また総務省は、IoT・M2M向けデータ通信専用機器の需要を見込み、2017年1月にM2M専用の電話番号を020帯に割り当てた。

2018年1~3月期には、ガラホを除くフィーチャーフォンの出荷台数が0になった。2026年3月31日(予定)のドコモのFOMAの停波をもって、日本の3G携帯電話は、25年の歴史に幕を下ろすことになる。

パナソニックは2016年冬モデルで投入した初のAndroidフィーチャーフォンであるドコモ向けP-01J以降、後継機が発売されておらず、事実上日本の携帯電話市場から撤退。シャープは同年、台湾の鴻海精密工業の傘下となる。2018年には富士通がブランド売却を表明した。iPhone上陸より10年を経て従来からのメーカーはソニーと京セラのみとなった。

2016年
※9月13日 — ソフトバンクが大容量のデータ通信ができる料金プラン「ギガモンスター」受付開始。後に、その他の大手2社も同様のサービスを展開。

2018年
※3月31日 — ソフトバンク・ウィルコム沖縄がPHSの新規契約受付けを終了。

2019年:楽天参入とワンセグ裁判
2012年のソフトバンクによるイー・アクセスの買収後、MNOは3キャリア体制になっていたが、2014年にNTTドコモ回線を使ったMVNOとして携帯電話業界に参入した楽天が、2017年12月に携帯電話キャリア事業への新規参入を表明し、2019年10月に自社でネットワークを整備するMNOに転換、サービスを開始。これにより、再びMNOは4キャリア体制となった。

MNOとなった楽天モバイルの
初の自社ブランド端末であるRakuten Mini
(Tinno Mobile、2020年)

2010年代より各種ネット動画サイトの普及や海外製スマホでの非搭載などで衰退傾向にあったワンセグであったが、この年、その命運を決定付ける判決が出た。NHKは「ワンセグ携帯電話は、テレビ放送が受信できる機器である以上、所有者はNHK受信料を支払わなければならない」という主張をしてきたが、大手携帯電話キャリアでは受信料についての案内をしてこなかったため、家庭用のテレビを持たない世帯でも、ワンセグ付き携帯電話の所有者の多くが受信料を支払わないままNHKのテレビ番組を視聴できていた。このワンセグ付き携帯電話のNHK受信料が争点となった裁判が行われ、2019年3月に最高裁判所で、NHKの主張が認められた。これにより、ワンセグの衰退に拍車がかかった。

2020年:5Gの導入
日本の携帯電話の通信周波数は、諸外国よりも一足早く3.9G通信に参入していた。ところが、5Gでは大きく遅れを取っていた。調査では、5Gの利用者数は1%未満と極めて低かったほか、関心自体が低い傾向が見受けられた。2019年秋にラグビーワールドカップ2019に合わせ、NTTドコモが5Gプレサービスを実施し、2020年3月にようやく大手3キャリアで5Gサービスが導入された。また、2019年10月からMNOとなった楽天モバイルも2020年9月から5Gを導入している。ただし、4Gと比べるとサービスエリアは狭く、今後のエリア拡大が課題となった。

なお、端末面では、同年には、日本で人気の高いiPhoneでは初めて5Gに対応したiPhone 12シリーズ4機種が大手3キャリア(2021年4月には楽天モバイルでも発売され4キャリア)で発売され、5G対応スマートフォンの普及が始まった。

これまでサブブランドを持っていなかったNTTドコモは、菅義偉内閣の値下げ要請を受け、2020年12月に、新プランの「ahamo」を発表し、ソフトバンクやKDDIもahamoに追従する動きを見せている。KDDI系のMVNOブランドであったUQ mobileは、それまで同ブランドを展開していたUQコミュニケーションズからの事業承継によりMNOとなった。

2020年
*4月8日 — 楽天モバイルがMNOサービスの正式サービスを開始。

2021年 - 2022年:2年縛りの終了
2021年1月末にはソフトバンク(旧 ソフトバンク・ウィルコム沖縄連合)が提供するPHSサービスが法人向けテレメトリングサービスを除いて提供終了した。

総務省の指導により、NTTドコモは2021年10月以降、ソフトバンクは2022年2月1日(一部法人向け除く)、auは2022年3月31日をもって2年縛りを廃止した。

2021年
*1月31日 — 一般利用者向けのPHSのサービスを終了。

2022年
*3月31日 — auが3GサービスのCDMA 1X WINおよびVoLTE非対応機種のau 4G LTEサービスを終了。

2023年:京セラの個人向け携帯電話の一部の撤退とFCNT(旧富士通)の買収
2023年5月15日、1989年から30年以上に渡って、携帯電話を製造してきた京セラが、日本国内の個人向け汎用携帯電話事業から撤退すると表明した。また、時をほぼ同じくして、2021年11月から京セラ製のBALMUDA Phoneの供給を受けてきたバルミューダも、同年5月12日に携帯電話事業からの撤退を表明した。なお、京セラによると、法人向け携帯電話およびタフネススマートフォン「TORQUE」シリーズは事業を継続するとしている。

さらに、同年5月30日、1991年に携帯電話事業へと参入した富士通から、2018年に事業を継承したFCNT(旧社名:富士通コネクテッドテクノロジーズ)が東京地方裁判所に民事再生法の申し立てに入ったことを発表した。負債総額は1,431億円だったという。  その後、LENOVOからの出資を受け、新会社であるFCNT合同会社が、FCNTのブランドと合わせて製品開発や販売、サービス事業を承継することになった。

これで個人向け携帯電話・スマホを手掛ける純日本国内メーカーは京セラ(個人向けはTORQUE2023年度で新規開発を完了、2025年度で供給と販売を終了予定)と、ソニー(スマートフォンのみ)の二社を数えるのみとなった。

2023年
*3月31日 — 全てのPHSのサービスを終了。

2024年
*1月31日 — ソフトバンクがSoftBank 3Gを終了。

2026年
*3月31日 — NTTドコモがiモードおよび3GサービスのFOMAを終了(予定)。

[Wikipediaより抜粋]

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