あれから1年

去年の今日起きた津久井やまゆり園の事件の痛み、自分の中では全く風化されず、心にそのまま埋まっている感じです。

事件後の急性期の段階では、今の勤務先の病院にご協力頂き、できる限り(と言っても微力ですが)の関わりをしました。

事件当日、負傷者の方々は救急病院に搬送されました。そこで救命された方々は、一命をとりとめたものの、事件のために既に戻れる施設を失っている状態でした。しかし、救急病院には何日も入院できる準備はありません。傷の状態と、抱える知的障害のことを考えると、どこの病院でも受け入れられるという状況でもありませんでした。でも、本格的な行き先が決まるまでの間だけでも、入院が出来る場所はどうしても必要でした。その時に今の勤務先の病院の精神科部長をはじめ、スタッフの皆さんにご尽力頂いたのでした。

行政レベルの動きが始まってからは、嘱託医でもなくなった僕に直接的に関われることはほとんどなくなりました。自分で色々考えたことに反しないように日々の診療を丁寧にすることと、勉強することと、事件後に書いた文章をリトルプレスにして本当に少しずつですが配ったりすることをしていました。

この1年で、事件に関して色々な人が色々なことを発言したり書いたりしています。中には「え?」って思うものもあったりするし、僕のリトルプレスももしかしたらそう感じる人がいるかもしれません。でも、良いと思うんです。そんなに簡単に正解が出ない、いや、もしかしたら正解なんてない問題かもしれないから、考え続けて、対話し続けるということ自体が、1番大切なことで、1番タフさが必要とされることかもしれないと思うからです。

普段僕は、もう本当にごく普通に暮らしています。でも、ふとした時、診療の一場面とか、何か作品に触れた時とか、もっと些細な場面でも、感性のバランスが1年前を境に少し変わった感じがしています。それくらい自分を揺さぶることだったのだと思います。

事件直後に衝動的に書いた「いろいろな目線」という文章をもう一度読んでほしく思い、ここを更新しました。対応の部分などは1年経過して、もう過ぎたこともあるけれど、僕が伝えたい「目線」自体に変化はありません。

『いろいろな目線』⇒ https://note.mu/ghoshino/n/nd5f96069d7fa

少しだけでも、ジワリとだけでも、何かが伝わることを願います。


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