あなたの気持ちが1000年生きてるのさ
悲しいことや嫌なことがあったとき、ネガティブな感情は結構すぐに消化することができるけど、それでもふと喪失感に駆られる瞬間があるのは、悲しみや怒りからではなくてもう会えない人や修復不可能になってしまった関係性がまだ正常だった頃に思いを馳せてしまうからだと思っている
要約すればBLEACH46巻の巻頭歌である
ん?
たとえば、中学の頃に友達にハブられたこととか、好きだった男の子に嫌われて会うたび舌打ちされたこととか、高校の頃に友達とグループ決めで嫌な思いをさせたこととか、就活が全然うまくいかなかったこととか…当時は「もうこの世の終わりだ!」レベルで苦しんでいたけど今となっては瑣末な悩みだ
その一方で、嬉しかった記憶や楽しかった記憶は綺麗なまま脳内のメモリーに保存されている
しかも、年々風化するのではなく美化されていくのだからタチが悪い
もうわたしは自分でそのとき何を言われてどう感じたのかを鮮明には思い出せないのに、「素敵な記憶A」として先祖代々語り継がれる童話のように残り続けている
代を重ねるごとに脚色されたストーリーは簡単に上書きできない
もうとっくに味がしなくなったガムの味をぼんやりした記憶を辿りながら思い出し、「たしかこんな味で美味しかったんだよな」と悦に浸る異常者である
幸せな記憶はどうやって風化させればよいのだろうか?はたまた美化されていくことが風化なのだろうか?
たとえば友達や恋人や家族みんなが全力でお祝いしてくれた誕生日があったとして、その次の年の誕生日もそこそこに楽しかったけど「去年の誕生日には敵わないな〜」とか、みんなはそういう思考回路にならないのだろうか
もう何年も何年も何年も、幸せの上書きができなくて困っている
毎日そこそこ楽しくて、そこそこ幸せなはずなのに「この過去より素晴らしい出来事はない」といった刷り込みがずっと消えない
決して不幸ではないのに幸せの最高到達点を上書きできない事象だけが増えていき、勝手に生きづらくなっている
あー神様はやく連れ出して
ここから
センチメンタルな日記書いてしまったけど、本読まないから文が拙い
お手軽に生きれたらいいな もっと
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