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追憶のふるさと

父方の祖母の実家に初めての訪問。
父が亡くなって4年目、話でしか聴いたことの無かった旧大野見村へ。

父の従姉妹も早くに亡くなっており、その旦那さんが出版した追憶集に不思議な縁で興味を引かれ、どうしても行ってみたくなり母を誘って車で2時間ほどの田舎へ向かった。ルーツを辿ることに興味があるし、知りたい欲もある。

初めて訪れる場所にも関わらず、何故か親しみを持てた。迎えてくれた親族のお陰かもしれない。1時間ほど、座って話をする。

祖母や父の従姉妹に関する思い出話、追憶集の中の写真や絵について、色々と話を聴く。80歳になる親戚は、一年一年が本当に大事。何か楽しみを..と農作業に加えて地域の行事に参加したり、忙しく暮らしているそうだ。

亡くなった父の従姉妹は、病気になってから油絵を描いていたそうだ。本にも載っていて、私は絵が気になっていた。昔から絵を描くことが好きだった私に、母は「誰か先祖にこういう人がいたのかな」とよく言っていたことを思い出す。母は、この人が絵を描いていたことは知らなかった。


縁とは不思議なものであり、見えない何かで網の目のように繋がっていることを知る時期が、必要なときに訪れる。

古い写真を見ながら話す時間。
そこにあるじんわりとした家族の温かみや病気の悲しみ、神秘的な謎。家族の物語は単純ではない。

帰ってから父の若い頃の写真を見せてもらい、知らないことだらけだと気付く。その向こう側にある物語を大切にしたいと思った。父は、何が好きだったんだろう。

母に聞いた話を元に家系図を書いてみた。複雑すぎて難解すぎて途中で分からなくなった。昔はこんなものだったんだろうか。兄弟も多く、更に養子や育ての親など、登場人物が非常に多い。しかし、謎解きをしているようで楽しい時間だ。

不思議と家族の中でこんなことに興味があるのは私と母だけである。祖母の家に咲く花と、実家に咲く花が同じなだけでも、繋がりのロマンを感じることができる。彼女の絵にも、同じ花が咲いていた。

見えない何かを信じたい気持ちは、誰かを失う度に増えて、そのうちに自分も見えなくなっていくんだろうか。そのとき、気持ちだけは残っていくんだろうか。


ルーツを探る旅は、縁という網目を見つめる旅。この宇宙の謎を解くような神秘的な時間が、やはり好きなのである。その中にいる自分をとても小さなものにも感じるし、決して無くてはならないものにも感じる。

ありふれた言葉だが、やはり人は何か役目を持って生まれてきているのではないか。そしてそれは未来にも繋がっているのではないか..

古い写真の中の風景や、小さな花の名に思いを馳せつつ、初めて父の写真を御守りにすることにした。

#日記