人の死が教えてくれること

小学四年生の時、K君という少年が転入してきた。K君は明るくて優しくて賢い少年だった。あっという間にクラスの人気者になった。

夏休みに入ってから、K君が坂道を自転車で下っている途中にマイクロバスに轢かれたと噂で聞いた。出校日とは別に緊急で出校した記憶がある。K君の容態は最悪だった。頭の骨が砕けていたそうで、1〜2日重体と言われてから亡くなった。

事故の次の日の様子について校長先生が司令台の上で「 K君の顔の腫れが、事故当日よりも少し引いていた」と笑顔で話していた。当時の私には医療のこともさっぱり分からなかったから、校長先生の言う通り、K君の容態は良くなっているのだと思った。今思えば校長先生も、生徒を不安にさせないようにどう話せばいいのか分からなかったのだろう。校長先生はK君がもう助からないと分かっていたのだろう。

K君と私は同じクラスだったが、あまり話したことはなかったし、仲が良かった訳でもない。K君が亡くなったことを担任の先生から聞かされて、クラスが暗い雰囲気になった。正直、私はあまり悲しくなかった。死についてもよく分かっていない年頃だったからだ。

それから、K君のお母さんが数回、同学年のみんなにプレゼントをくれたことがあった。購入したものや手作りのものだった。それも、お母さんなりの供養のような行為だったのかなと今なら分かる。

K君のお葬式に学年全員と担任教師で行った。その時にもらった紙パックのオレンジジュースが常温でぬるかったのを覚えている。なんでそんなことを覚えているんだろう……。

K君は自転車のブレーキに手を掛けずに、ハンドルのみをギュッと握り、坂道をスピードを出して走っていた。その坂道はうちから近かった。その坂道を自転車で通る時、私はブレーキにまで指を掛けて走るようになった。次第にその坂道だけではなく、どの道を走る時もブレーキにまで指を掛けて自転車を運転するようになった。30代になった今でも、自転車のハンドルを握るとK君を思い出す。別に仲が良かった訳でもないのに……。

K君が亡くなった翌年のお盆から、毎年欠かさずK君を思い出すようになった。お盆は亡くなった人が返ってくると知ってからそうしている。同級生たちの記憶から、だんだんとK君が薄れていくのを可哀想だと思ったからだ。実際、25歳の同窓会でK君の話をしたら、誰だっけ?と言われたことがあった。なんで私はK君をそこまで思うんだろう。自分でも分からなかった。

30歳で私も親になった。男児の母親になった。
息子が自転車に乗るようになったら、必ずブレーキにまで指を掛けて乗るように話そうと思う。

親になり、我が子を失う怖さを知った。K君のお母さんの悲しみが少し分かった。同級生全員に手作りのプレゼントを作っている途中、何を考えていただろう?感謝?憎しみ?悲しみ?……お母さんの心の中のぐちゃぐちゃの気持ちが、プレゼントを80人分作ることによって少し整理できたのか……。あのお母さんはあれから元気なのか……。同級生の1人が最近スーパーで見かけたらしく、元気にしていたと聞いてホッとした。

K君のことで私が忘れずにいるのは、初めて亡くなった友達だったことと、K君と親しくなくても私には同じクラスの仲間という意識があったからじゃないかと思う。

K君が生きていたら、きっと素敵な青年になっていて、結婚して子供がいただろう……なんて考える。

これからも毎年お盆にはK君を思い出して、そっと供養します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?