「ありえないデモ」の反社会的なコールについて ①


トランスマーチで、新宿の街を練り歩いた「ありえないデモ」のこの反社会的なコールを見てください。

何が「ありえないデモ」なんでしょう。ありえないってこちらのセリフですよ。

「私の名前は私が決める
私の性別 私が決める」

まず、初めからおかしいです。
名前は基本的に親がつけるものです。好むか好まざるに関わらず、一生付き合っていくものです。

ただ、その名前であることによって社会生活上の不都合が生じる場合のみ、裁判手続きで変更できる場合があるというだけの話です。そして性同一性障害による改名はほとんどの場合で認められますので、現状の制度で特に問題があるとは思えません。何が不満なんでしょうか?

「性別は私が決める」なんて論外もいい所です。
性別をなんだと思っているのでしょうか?
自然の摂理に反するとしか言いようがありません。
性同一性障害の人が性別を変更できるのは、あくまで疾患の救済であるだけで、個人の自由意思では変更できません。基本的に性別は生まれた時に決まっているものであり、生涯不変のものです。

それらを「自分で決める事ができる」と主張することは、つまり神にでもなるつもりなのでしょうか?

そして「MY BODY, MY CHOICE」はそもそも、女性の中絶の権利を謳ったスローガンであり、意味を根本的に取り違えています。完全に用語の盗用であり、確信犯です。

「ノンバイナリーはノンバイナリーだ!」
は進次郎構文であり、意味はありません。

「トランス女性は女性だ!
トランス男性は男性だ!」
はお決まりのアレですが、

「子どもの性別 勝手に決めるな」
からだで性別 勝手に決めるな」
ていくらなんでも反社会的すぎませんか?

GID特例法では、性別変更の条件を成人の18歳以上に設定されていますが、これは日本社会において法的な責任能力を問うているものです。仮に未成年者の性別変更が認められたとして、誰が責任を負うつもりなんでしょうか?そもそも第二次性徴の段階においては、不可逆的な身体の治療を行うことにも慎重であるべきとされており、未成年に対する安直な治療は様々なリスクが指摘されています。性別適合手術の権威であるガモン病院ですら、最近、体の発達が不十分な20歳未満の治療を断るとの声明を出したばかりです。

医学界がそのような見解を表明しているのに対して、一方的に未成年の性別変更を認めろと主張することはあまりにも医学の常識ともかけ離れており、身勝手と言わざるを得ません。
何より、無条件に年齢の要件を緩和してもよいかのような主張が広まることで、親が勝手に男の子を女の子として育てたり、女の子を男の子として育ててしまう児童虐待・人権侵害にも利用されかねません。

そして、極めつけが「からだで性別 勝手に決めるな」ですが、これは

「ペニスのある女性を認めろ!」
「子宮と卵巣のある男性を認めろ!」
「ペニスのある体で女湯に入らせろ!」
「トランスレズビアンなので、女性と性行為して子供を作らせろ!女同士でも子供は作れる!」

などと言っていることと同義であり、
反社会的を超えてもはや犯罪的な主張といえます。

確かに治療中・移行中でもパス度の高く、性自認の性別で一定の社会生活を送っている人はもちろんたくさんいるでしょうが、それができている人はそもそもそんな主張わざわざしません。

はなから、反社会的なメッセージを発する意図がないと、出てこない言葉なのです。

これはやはり文字通り、「ありえないデモ」なのです。


このコール文にはツッコミどころがあまりにも多く、1回のnoteに書ききれるものではないので、数回にわけて書いていこうと思います。

それでは、次回お楽しみに…



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