イタいとは?

私はすべてのヒト·モノ·コトの存在自体に対し、基本的にスキのスタンスでいるが、拒絶してしまうモノ·コトもある。それならその拒絶のポイントは何処にあるのか?おそらく自身の清潔を保ちたいという生理的な感情によると思う。
(1)手指、肌面、口鼻腔など外環境と感覚が接地するところ
(2)耳や思考など外環境の情報を脳内に付与するところ
これらの清潔が脅かされるモノ·コトに対して拒絶は現れるのかもしれない。

汚物や生ゴミ、虫類、小動物、排泄物、汗、垢など、物理的化学的接触が発生し得るケースでは拒絶したい感情が生まれ、場合によっては回避行動をとる。これは(1)にあたる。一方(2)は個人間でバラツキがありそうだ。

私の場合、人やコンテンツの属性に客観と主観の間ですれ違いが起こっている違和感に対し拒絶を感じる。俗語でいうところのイタい様子である。属性というのは、人種など遺伝的な要素や生活観など後天的に人間を形成する要素、まとっている雰囲気も含んでいる。

韓国人が話す日本語のねっとりとした発音や海外に移住して元の国の生活観を醸しているにも関わらずあたかもそこに住み慣れているかのような振る舞いは、その人の性格や考えを否定するわけではないが、見たり聴いたりするとヴッ…となる。また、そんな気概も思い入れも持ち合わせていないのに、無理に身の丈に合わない振る舞いをする人も同じだ。パッと出てくるのはVチューバーやマッチングアプリ、エセっぽいオネエ風やギャル風のタレント、オタク文化に媚びる陽側の人間など…。勝手にやってる分には構わないがさすがに目に触れるのはイヤだ。もちろんその人の性格や考えを否定するわけではなく、振る舞いに違和感があると拒絶感が現れる。

コンテンツの受け方においても、コンテンツのノリを界隈で留められずリアルの公共の場に引き出してたり、コンテンツの主旨と外れて受け手同士で陰湿なコミュニティを形成したりどうしても違和感が出てくるし気色の悪さを感じてしまう。もちろんに勝手やってる分には構わないし本人たちにはその時にしか味わえない楽しさがあると思うが客観的に見たときにイタさがある。受け手のノリやコミュニティに対し媚びのスタンスを取り、さらにコンテンツ自体に取り込もうとするのもなかなか気色が悪い。とくに安易な金銭搾取の臭いが残るコラボやコンテンツを映えさせる意図が諸に見受けられるものは特段に拒絶感情が生まれる。

ここまで挙げた違和感をもちろん存在自体を否定するつもりはないが、自分の思考に介入してくるのが受け入れがたい。潔癖に考え過ぎかもしれないが、これを言語化して整理しないと気が済まなかったのも潔癖のせいなのかと思う。

e-karas

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