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8ハウス、太陽・冥王星

私のホロスコープの8ハウスには、
天秤座の太陽と水星と冥王星があり
太陽と冥王星のオーブは6度程。
水星もいて、9ハウスギリギリ手前な位置。

自分の中でそれらが実感できることを
書いていこうと思う。
誰かの参考になったらいいな。


・何故か奢られる側
・お金は旦那頼り
・不労所得
・太陽期の修羅場
・オカルト好き
・若いうちから宗教
・護られている感覚
・重い話、下ネタに抵抗がない


8室はよく、もらえる部屋といわれている。

確かに貰ってる生活のようだ。

未だに多額ではないが実家からの金銭的支援があったり、友人と食事に行っても、
独身時代は何故か奢られる事が多かった。
たまに、今日は私が奢るよ〜なんて言えば、
いいよいいよと断られ、結局割り勘になったりする。流石にママ友に奢られるなんてことはないけれど。

私自身はパート等の仕事に出る事もなく、生活にかかるお金は旦那氏が稼いでくる
そのお金を私が管理して、家計を回している。
一応自由に使える事になってはいるけれど、
家のローンや子供達やニャンニャン達にかかるお金で生活に余裕などない。
そんなわけでほぼ自分には回ってこない。

というより、人が稼いだお金をおいそれと使えないと言うのもある。
使う権利があったとしても、
専業主婦で「お金を稼いでいない」後ろめたさで。

専業主婦がノー賃金であって良い訳がないのだが、
あからさまに使うと旦那氏に
チクチクと文句を言われるのは想像できるので
使いたくないというのもある。
せいぜいお菓子を買う程度だ。
しっかり考えて使わねば家計は回らず、
自由なようで全く自由ではないと感じる。
この辺もなんか8ハウスっぽい。

8ハウス的に、何かをもらう為に何かを提供する
という意味では、家事育児、シモの相手の見返りに、
という事なのだろうかとも思うが
この辺はもっと抽象的で、エネルギーのようなものと交換しているような気がしてならない。
よって、自分が健康で、精神も安定していて、
というのはとても大事なのではないかと思う。

生活以外の、自分の娯楽や趣味にお金を使いたいと
思う時には、不労所得という面で、
自己資金投資で増やしたお金から捻出したもので
楽しみ、精神を落ち着かせている。

きっと惑星の状態が良ければ、
ランチや習い事にジムにと無理なく通える
優雅な奥様にもなれたのだろうが、
どうも自分はそうではないらしい。

大体25歳から35歳頃の
太陽の年齢域はどうだったかというと、
一言でいうなら濃い時期だった。
旦那氏と出会って、交際して、結婚した時期であるが、それはまあ酷いものだった。
出会って交際したてで浮かれていたら、
数ヶ月後にはデートDV(当時そんな言葉も無い)の日々。

会うのが苦痛で仕方がなかったのが
正直な気持ちであった。
何故付き合ってるのか、何故別れないのか、
数少ない友人にも言われたものだけど、
怖いし、私自身が相手に執着していた面があり
できなかったのだ。

挙げ句の果てに結婚までしてしまう。
その後の旦那氏の浮気まで発覚しちゃってね。
新婚なのにサレ妻というなんとも残念な状態に。
旦那氏に反省してる様子もなければ
謝罪の言葉もなかった。
他にも、旦那氏実家の金銭問題とかあったよ。
危うく借金被らされるとこだったよ。
えらいところに嫁に来ちゃったと思った。

この辺の事は長くなるから書かないけど、
まあなんというか、人も憎んで罪も憎む日々。
出刃包丁で人を何十箇所もブッ刺して、
バルコニーから突き落として
破れた頭蓋骨を踏みつけるような妄想を
1日に何度も繰り返すと言って伝わるだろうか。

いかにも蠍座的な感じだね。
このまま結婚生活を続けるのか、それとも?
それを考えながらずっと過ごしていた数年だった。
火星期を迎える頃には火星期なりの問題が発生して、
太陽期に悩んでいた事など、
良い意味でどうでもよくなって、
まあ自由にやってくれよとドンとしていれば
いつの間にやら波風は立たなくなった。

話を戻すと
あの頃は病んでも仕方のない状況だったのに、
妙にメンタルが強くて病気にもならない。

結婚する前は、言われるがままに
自分が悪いのかもと思っていた時期もある。
その上、自分が変わったら相手も変わるかも
と思ってしまう。
DVの仕組みってすごいなぁと思う。
側からみれば、バカじゃないの?って感じだろう。

しかしそんな経験を経て私も、
自分が悪いのではない事と、
人はそうそう変わらないという
当たり前なことを学んだ。
いかに地雷を踏まずに平和に持ち込むか、そこを
天秤座の水星が頑張っているような気がする。

金星期の最後までは、山谷あっても平和に、
いい加減に生きてきて、
良い人に囲まれて楽しく暮らしてきた。
出会う人は皆、基本的にはいい人だったこともあり、
どんな人でも話せば理解し合えると信じていた。
だけど、そうじゃない人達もいるんだなぁと
悟ったのが太陽期。

そういう意味では、
騒動を乗り越え生活が落ち着いた頃に
自分の世界がひと回り広くなったと感じた。
とても感慨深いものがある。


オカルト好きである事で、
小学生の頃には父親がたまに買ってくる
月刊ムーを何度も読み返していた。
中学生になると友達に誘われるがまま、
単に面白そうという理由だけで
仏教系の宗教団体に入り、
つい最近まで在籍していた。

教団の中で関わる人達が
コロナ騒動と高齢化で空中分解のようになり、
徐々に離れていく。
私もすっかりご無沙汰していて、
朝・夕の読経も何年としなくなっていた。

教団組織の、上から下へ繋がる構造自体が
今の時代とズレていると感じるようになり、
友達が抜けると同時に脱会した。

元々月刊ムーから入っているくらいなので
魔術や占いにも興味があった。
しかし周りの人間には受け入れられないことはわかっていたので、そういった面は封印していた。

入った宗教団体では、占いまじない的なものは
「人を惑わす」ため、しない方が良いとされていた。

自分自身も長らく、人生は修行と捉え、
常に自分と対話すること、
因果応報というように因は自分にあり、
ひいては自分の過去世にあるという
考え方をしていた。
それを一つ一つ解決する事が、
今世を幸せにし、来世を明るいものにする。
霊界にいる先祖代々にまで
自分の身体と心の行いが影響するものと信じていた。

いわゆる普通の日常生活からの実践・体験から得る
「気付き」を大切にしていたので、
祈祷など、自分以外の何かを使うことは
「気付き」のない解決へ導くため、根本的な解決にはならないという教団の考え方に従って、
それらに手を出すことはなかった。

自分にはご先祖様が常にそばにいて、
苦しい時も見守ってくれている。
そう信じて過ごしてきた。
と同時に、悪い事はできないとも。

これは、私のASCのサビアンシンボルが
水瓶座5度「先祖の委員会」であるのも
関係しているのかも知れない。
今は、自分の家系や先祖という枠を超えたもっと大きなあらゆるものという感覚が強い。


重い話や下ネタに抵抗がないというのは
8室水・太・冥に関係あるのかわからないけれど、
誰も知らないような重い話を
打ち明けられたりする事も全くイヤではない。
またそういった場面も少なくない。

下品な話題も求められれば
抵抗なく話す事ができるけれど、
これは星並びに関係しているかはまだわからない。


どうでしょう。何かの参考になりますように。
また思いつく事があれば、書いてみたいと思います。

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