『シャドウの肩代わり』と『ネガティブケイパビリティ』


オーストラリアプリザーブドフラワー
リース

 『子は親の鏡』というけれど、向き合う相手すべてに、自分が投影されている気がする。

 結局、全ては自分ごと。
 そう考えると、逆に平穏な気持ちになる。

 自分のネガティブな持ち味(影)を受け入れがたく保持していると、他の誰かが代わりに表面化させ、鏡のように見せてくれる。

 自分には関係なく感じられたとしても、ジッと見つめると当事者は自分だと気付かされる。


『子は親を救うために
      「心の病」になる 』

という書籍を読みながら、自分が過ごしてきた時間そのものと重なるのを感じた。

 その結果、

気が楽〜になった。


 

劣等感 

罪悪感
被害者意識


 これ、要らない。

 目先のことに向き合うしかないなら、重いものは自分から外して、淡々といこう。

 どうせコントロール出来ない日常は、いつだってある。
 
 どうしようもないモヤモヤ感を受け入れ続ける力

『ネガティブケイパビリティ』


 自分のネガティブをシャドウに押し込めないで認めるだけ(統合)


 誰かが自分の

『シャドウの肩代わり』

になっているかもしれない。

 
 だとしたら、自分が気付かないうちに、すべての人のネガティブに救われていると言えるかも。
 

 出会う人から学ぶだけ。

中でも、子どもからの学びは
 大きい。
 おもしろい。
 ありがたい。

 
 言葉の表面は、真実を表していない。
 行動の事実から推理していくと初めて見えてくる真実がある。

 傷つくことをいとわない子どもたちを見る時、スゴい存在だと感じる。

 『ネガティブケイパビリティ』を意識しつつ、新しい体験をどんどんしていこうと思っている。

 解決の扉は、過去にはなくて、
見えない先にあると分かるから。

 経験記憶の書き換えは、泥水でいっぱいのコップにきれいな水を注ぎ続けることに似ている。

 泥水を眺めてボーッとしているだけのことを『ネガティブケイパビリティ』とは言わない、よね?多分…

 きれいな水に変わるまで、泥水を受け入れながらも行動し続ける力。

 人と人は二項関係。
 その間に何を挟むかで三項関係が成り立つ。

 おもちゃ、教科書、習い事のスキル…
 限りなくある中でも

 私が今、おもしろいのは
『お花』と『お茶』
  
 人と共有する時間を豊かにしてくれる。

 

 来年は、この魅力にハマりたいと思っている。



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