『学校に行かない』という手段を通して学ぶ体験
学びとは何だろう…。と、再考する機会に恵まれた。
狭義の学びは、学問と括られる領域で
各教科に分割した知識を通して得られるもの。
広義の学びは、生きている中で体験する全てが内包される、無限の領域。
学校に行かない(行けない)子に、学びの機会と場を与えることが必要だということは全く同意している。
その上で、私自身が勘違いしないでおきたい一点がある。
学校に行っていない子は、
行かない(行けない)現実だからこそ学べることをしっかり学んでいる
ということ。
そして、学校という場だからこそ学べることを見つけた時に、人は動くものだと教えてもらった。
『青春したい!』
なんてステキな動機。
『青春』も『不登校』も、教科書が無い。
一人ひとりがオリジナルな体験をする無形のものだから、まとまるはずもない。
生きることを学ぶ
よりよく生きるために学ぶ
偶然の出来事から学ぶ
致し方ない境遇から学ぶ
強制的に学ばされて学ぶ
どこにあっても、人は『学び』から外れることはない。
教科書を開いて学んでいる時ですら『今、その人が実際に何を学んでいるか』は
他者には分からない。
多岐にわたる思考が展開されているかもしれない。
自分ですら気付かないこともある。
ただ、その事実を忘れないようにしたい。
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