そんな私たちのお話。(私たちのみ、名前公開)※編集するかも

ブラウザバック推奨。暗い話です。
不快にさせてしまったら申し訳ございません。



今回は、これの関連の会話を記事にあげようかなと思います。

メンクリで心理テストやったよレポの番外編です。


誰が話しているのかの会話の区別
※ちゃんと記憶も意識も連続的にあります。

冥(メイ)ちゃん [  ]  
憂(ウイ)ちゃん 《  》 
杳(ハル)ちゃん 『  』
 私「    」













[ねえ、杳。そこまであの子に嫌味言わなくていいんじゃないの]
『……貴女は言えないでしょ冥。あの子を殺そうとした貴女が言えること?』

《………どうして追い詰めるような言い方を、するの、杳?》
『貴方には関係ないでしょ。憂』


心理テストをしたメンクリ後のあの日の夜。

私の死体が山積みになっているあの薄暗い底無しみたいな空間に響く、喧嘩口調。私はそれをぼぉーっと、小さく息をしながら、凍りついたように眺めている。

杳ちゃんが私に対して、特性系に関する事や嫌なだったこと・辛いことを思い出させて、同じようにそっくりそのまま言われて、母親らへんの身内に、私がありもしないことで想像して謝り倒しているのを、杳ちゃんは見下しながら感情のない目を私に向けている。

(…杳ちゃんは、怒鳴ったり詰ったりしない。感情が泣き声は出てしまうような、抑えきれないほどのような怒りの出し方はしない。そっくりそのままだとはいうけど、まだ優しいほうだ。)


そして、眠っていたはずの杳ちゃん以外の2人がわざわざ起きてきて、私を守ってくれている…珍しいというか初めてというか。

あの心理テストの結果の事実は、
少しはあの2人は報われたのかもしれない。

メンクリは終わった後の帰宅途中。
いつのまにか側には起きてきた2人がいて。初めて柔らかい表情を見た。

笑ってはいなかったのかもしれないけど、
どこかホッとしたような、安心したと言ったような、そんな目をしていた。

いつもだったら、冥ちゃんは私を見るなり罵倒に近い言葉を吐き捨てるのに。憂ちゃんは心底呆れ返った冷たい目を向けるのに。それに対して私は何も言い返せず言葉も出ずにただ座り込んだまま。

私以外の彼女たちは私の弱みを握っている。

私から割れた人達だからかもしれないが、どんな言葉を言えば、私が抱える恐怖や不安・過去の暗い思い出やらトラウマを想起するか。怯えるか、言い返せなくなるか(そもそも文字上ではまだしも、対面だと言い返しというのができない)、従うか。


……無言が続く。


それもそのはず。
私たちは互いを互いに嫌っている。
許そうとか、抱きしめようとか、優しい言葉をかけようとかは思わない。

冥ちゃんと憂ちゃんは別でお互いを嫌いではなく守ろうとしているみたいだ。

しばらく無言が続いて自然に解散となった。
こんな会話をしたよーっていう、あれです。
オチが見つからないや。


今の私よりも彼女たちの方が、十分に私をやれるとおもっている。私に限りなく近い私だから、そんなに不自然ではないはず。思考とかは違うだろうけど、うまくやれるよ。きっと。

解離しない限り、私という自我や意識や自己が内界で本格的に眠ることは無い。だから今は大丈夫。きっと。多分。もちろん、内界の人たちが人格さんになっても全然問題はない、はず。

時々、この肉体の人生を誰かにお願いしたいときもあるし、手放したくはなるけど、周りから私(透花)は心は強いって言われてるしきっと大丈夫。
そもそもこんなこと願うのは私が当事者でないくせに。おかしい。

…でも、もしもの時は、お願いします。





ちなみに過去の私とは言えど、彼女達は完全な私ではない。それは内界の皆とも共通して通じる訳だが、戻っても私になるわけではない。きっと。

私の過去の経験や思い出・分離した感情なども含めても、きっと彼女たちの私情や感じる想いはあるだろうから。


私で合って私ではない。
限りなく近い私ではあるだろうけど、私ではない。
彼女たちのそれぞれ抱える感情や想いや信念や意思がある。

だから、割れた時点でインナーチャイルドだとしても、アダルト・チャイルドだとしても、もう彼女らは私とは別人であると私は『認識』する。

意識的にかもしれない。

でも、私ではない。私じゃない。
私でありたくない。これは、私ではない。
別人であって、過去の私は今の私じゃない。
もう散々だから。思い出すのは辛いから。
過去の想起ぐらいは、視点は私でなくさせてくれ。

そう、願ったからかもしれないなぁと。

今じゃないのだからいいのだろうかという心情があるのははっきりいってある。過去の出来事や思い出から人格化するのはわからない。まだまだ解離については勉強中の身であり、一生勉強すると覚悟の上であるから、軽はずみなことは書けない。

これから先、当事者の皆様には不快な思いをさせてしまうかもしれない。

小中高の想起される過去の思い出や出来事の視点が、私からの視点である時とそうでない時があるように。全体像であるときと、断片の思い出の想起になる時があるように。断片で思い出す時は顔がもやがかかっている時もあるから、声で判断するように。

本当に全体を思い出すとかはありありと、思い出せるのに。でも、関連した思い出が付随されていたり、本当に私が体験したことなのか、よくわからない時があったり。


あの頃は麻痺してたから何も感じなかったけど、
思い出すたびに、心が感情がすごく苦しくて辛くて逃げ出したい。麻痺したからの反動なのかはわからない。そうであったら、少しは安心するのだけれども。



そうでなければ、これは一体なんなのだろう。



小中高の頃の出来事は思い出そうとして思い出す。

近くに誰かがいれば、関連したものを思い出したりもする。でもそうでなければ日常的に思い出そうともしない。だからだろうか。

時々、今までどうやって私は過ごしてきたんだろう?っという感覚に陥ることはある。でも少しだけ。出来事も思い出も、私が思い出そうとしない限り、今と未来に生きていて、過去は少しずつ少しずつ、風景も感情も私という視点の体験も風化していくものなのか。他人事のように思えてしまうのか。

それがADHD の忘れっぽいに含まれているのかはわからないけど、何かが違うような気がしているけど、よくわからない。

人は忘れる生き物だとは言うだけれどもね。

映画でキャラクターが過去の思い出を想起するように、無音で会話はなく、ただ相手の表情だったりがフラッシュバックするシーンみたいな。

何を話していたかだなんて忘れるものだろうか。


今の感情なのか、過去の思った感情なのか、もうよくわからない。誰が思ったのか、私の感情なのか、よくわからない。確かなのは、記憶は今まで飛んだことはないということが安心材料の一つであることぐらい。

忘れっぽいにも程があるんじゃないのかなって思ったりもしたり。そもそも、もう終わったことだから悩んでたって仕方のないことだと思うのもあったり。


願ったことだとはいえ、怖い。

でも、日常生活には支障はない。
だから大丈夫。まだ大丈夫。

解決はできないけれど、自分たちだけでなんとかやれる範囲ではあるから、きっと大丈夫だろう。


不快にさせてしまったら、
ほんとうに申し訳ございません。