牝鶏鳴きて男は戦意高揚

牝鶏鳴きて男は戦意高揚
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」220/通算651 2023(令和5)年9/11/月】2001年9月11日の「9.11アメリカ同時多発テロ事件」から22年・・・その余波で小生の小さな会社も吹っ飛んだ。1945年からの米国を核としたキリスト教的な戦後体制が完全に終わり、イスラム教国が元気になっていった歴史的事件と言えるだろう。
<イスラム過激派テロ組織アルカイダによる攻撃で、日本人24人を含む2977人が死亡、2万5000人以上が負傷した。アメリカの歴史上、最も多くの消防士および法執行官が死亡した事件であり、殉職者はそれぞれ343人と72人だった。また、この事件を契機としてアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界中でテロ対策が強化された・・・>(WIKI)

今は「反米、反民主主義」で相性が良さそうなイスラム諸国と習近平・中共、プーチン・ロシアが、米国民主党政権の腰砕け的外交政策に乗じて世界秩序のガラガラポン、世界秩序の再編を露骨に進めるようになった。ウクライナの対露防衛戦争は、第3次世界大戦の幕開けなのかも知れない。戦争の時代・・・日本は日本を取り戻す好機である。

ウクライナを見ても、最前線で戦うのは男の仕事、銃後の守りは女の仕事ではあるが、女は「男を煽る、力付ける」役割もあるようだ。先の大東亜戦争では、母親や嫁さんから「家のことは私に任せて、あなたはお国のために頑張って」と励まされて出征することになっていた。後顧の憂いなく戦って、と。本心は皆、泣きたい気持ちで「生きて帰ってきて」だが、それを言わなくてもお互いの涙を見れば以心伝心・・・女の涙を見れば男は「絶対生還するぞ!」となる。そういうものだろう。

多分大昔から男は女に弱い。表向き、外面、建前は男尊女卑のようなイスラム教徒も、それが公序良俗、秩序になっているから従っているだけで、家に帰ると奥さんにベタベタという人もいるらしい。「男は女に弱い」のはなぜか? 男と女のそれぞれの事情を考えてみた。

人間は女から生まれ、オッパイで育つ。子供にとって母親は絶対的な存在である。種付けをして餌を持ってくることになった父親は偉そうにしているが、そもそも女から生まれたのだから、女に立て付くとか、女を虐待するのは邪道と蔑まれる。

男は子孫を残すためにあちこちにタネをばら撒く習性があるが、畑である女は精々5人、10人程しか産めないし、多産といっても医学が発達する1950年頃までは乳幼児はやたらと死んでしまって、少年少女に成長するのは精々2人3人が当たり前だった。このために有史以来、男は畑である女をできるだけ多く確保し子作り子育てのために縄張り争い=戦争が絶えなかったろう。

弱い男は駆逐され、強い男があちこちにタネを蒔くから部族は人口を保てる。新大陸の先住民は害獣とされ、白人キリスト教徒に情け容赦なく駆除された。1945年まではそういう時代で、米国人にとって日本人は駆除すべき蛮族(猿、あるいは精々中2のガキ)と見なされていて、原爆の実験台にされた。

弱肉強食の世界では、女は強い男になびく。強い男とはエサを持ってくる能力があることが大事で、容姿は二の次三の次、不細工でも「三日で馴れる」と現実主義である。「赤毛のアン」で有名なL.M.モンゴメリ女史曰く「美しい男に心惹かれたが、生活力が怪しかったので諦めた」と、手堅い牧師を伴侶にした。冷静で賢明な選択だ。牧師さんが精神を患ってしまったこと、息子さんが第一大戦で欧州で戦死したのは想定外だったが・・・人生は時に過酷だ。閑話休題。

末っ子の小生は乳離れが遅かったせいか、「私は士族の出」とプライドが高く、汗水流す労働を「憂き世のバカが起きて働く」と軽侮する母を「変人・・・親父は気の毒だ」と思っていたが、小生は母を憎んだり嫌ったり侮蔑することは一度もなかった。母が呆け始めて足腰が弱ってきた晩年はせっせとケアしたが、それを苦痛とか面倒とは全く思わなかった。三つ子の魂百までも、恩返しとかマザコン的な潜在意識があったのだろうが、今でもよく分からない。息子というのはそういうものなのか? 女に優しくする、餌をせっせと運ぶ・・・それは男の性(さが)なのか?

どういうわけか、小生は昔からインテリ女が大好きである。野性的なカルメン女も好きである。友から「曽野綾子の旦那って誰だっけ?」と問われたので「三浦朱門だ」と答えたら、側にいたいつも明るい女の子が「もう私、話についていけない!」と声を上げた。こういう可愛い女も好きである。曽野氏はローマ・カトリック信者だが、広宣流布の達人、哲学者として尊敬している。大したタマである。

自民党の高市早苗さんは知性、野生、可愛さが揃っているようで、何となく我が家の愛犬ビーグルみたいで好きである。ペットロスを形見に昇天してしまったが・・・早苗さんはペットとしては良いキャラのよう。派閥の領袖とか総理・首相の激務に耐えられるか? 英国初の女性首相サッチャーは迫力があったが、3人目の女性首相トラスは3か月もたなかった。首相とか大統領などはタフで狡猾で賢く忍耐強くないと務まらない仕事か? デキル側近がすべてお膳立てするから知性とか体力は並でも務まるのか? 凡人、老人でもOK? そのうち調べてみよう。

小生が苦手な女は、話題のベストセラーを読み、人気のTV番組を見て、それが世の中の正義正道正論、それ以外は無知蒙昧邪道だと固く信じているタイプである。濁りがないから頑固傲慢、宗教とか○○イズムの熱烈支持者みたいで、信心に一点の濁りもない。異論を許さず、反論する。付き合うと疲れるだけだから君子危うきに近寄らず・・・と晩年になって悟ったところで♪It's too late・・・牝鶏鳴きて家庭崩壊、結婚を躊躇う人、諦める人が増えそうで、このままでは国家の弱体化は免れまいに。

櫻井よしこ先生は最終版のTVニュース番組「NNNきょうの出来事」のキャスターとして知っていたが、「困ったことになりそうで大丈夫でしょうか?」といつも不安そうに朴訥に話しているお姉さんという感じだった。今は舌鋒鋭い論考で、まさに君子豹変、反中露の日本愛国派勢力のオピニオンリーダーの一人になった。WIKIで経歴を見ると――

<1945年〈昭和20年〉10月26日 - )は日本のジャーナリスト。本名は櫻井良子。ベトナム民主共和国・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。終戦後、大分県中津市に住んだのち、母親(小千谷市出身)の郷里に近い新潟県長岡市に転居した。県立長岡高校卒業後、慶應義塾大学文学部に進学するも中退し、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。
英字新聞クリスチャン・サイエンス・モニター東京支局などを経て、1980年5月から1996年3月まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた>

小生は2004年あたりから産経新聞を読み始め、2005年には櫻井氏の著書「日本が犯した七つの大罪」(新潮文庫)を読んだが、氏は後記にこう書いている。
<改革の旗印を掲げて国民の支持を得た首相が、その言葉の裏で妥協を繰り返し国民の期待を虚しくしてきたことは、何よりも日本の真の再生を思い描いてきた人々の心を深く傷つける。しかし、だからと言ってここで失望し、絶望し、立ち止まるわけにはいかない。改革を実現して、この国をもっと公正な国にすることを諦めるわけにはいかないのだ。

誰に見られても恥じることのないフェアな国にしていくために、個々の事案を継続取材し、さらなる問題提起をしていきたいと思う。諦めずに問題を追及し続けることの中から日本再生の可能性が生まれ、それはやがて大きく育つだろう。私たちが誇りにする国ができるまで、私は希望を失わないだけの勇気を持ち、報じ続けたいと思う。2005年2月25日>

日本をまっとうな、強靭な、誇り高い国にするのだという決意表明“宣戦布告”のよう。その2年後の2007年12月、氏は同志と共に「国家基本問題研究所」を設立した。2018年9月から月1で産経新聞に「美しき勁き国へ」を連載中の他、週刊新潮などでも舌鋒鋭い論稿を展開している。

知性、教養、哲学、弁舌、信念、熱意、先頭に立って戦う勇気、憂国の情、死をも恐れぬ愛国心・・・女は一旦こうと決めると猪突猛進するのか? 平和が続くと女はたくましくなり、男は優しく(軟弱に?)なるようだ。しかし、一朝有事には男女とも勇猛果敢になる。G7加盟国はそういう国で、一種のDNAのよう。

このところ塩野七生先生の「逆襲される文明 日本人へ/Ⅳ」「誰が国家を殺すのか 日本人へ/Ⅴ』(文春新書)を読みながら眠りにつくが、1937年7月7日生の御年86歳とは思えない迫力で、まるで現役バリバリの論稿。

2002年に氏の「ローマ人の物語」の文庫本(新潮文庫)を読み始めたのだが、文庫本では絵や写真、地図がかなりカットされているようで物足りず、と言って氏が精魂を傾けたフルサイズのオリジナル(1992 - 2006年、新潮社)は重そうでベッドで仰向けになって読むには適さないから・・・とグズグズしている間に20年も過ぎてしまった。で、今は軽い新書版の“重い”エッセイ「日本人へ」シリーズを読んでいるのだが、2020年7月20日の論稿「壊れものにつき、取り扱い注意」は大いに勉強になった。ざっくり紹介すると――

<民主政/デモクラシーは、民主主義者を自認する人々によって壊される、という思いをかみしめている・・・イタリア現政府の2年にわたる迷走を見ながら、イタリアも一員のEU全体の無機能を眺めながら。

古代ギリシアを書いた「ギリシア人の物語」第一巻のサブタイトルは「民主政の始まり」で、二巻目は「民主政の成熟と崩壊」としたのは、デモクラシーは古代ギリシアのアテネで生まれ、成熟し、そして死んだからである。なぜペリクレス(紀元前495年? - 紀元前429年)が生きていた時代のアテネでは民主政(デモクラツィア)が機能していたのに、彼が死んだ途端に衆愚政(デマゴジア)に突入してしまったのは「なぜ」か。当時の私は素朴な疑問で占められていた。

衆愚とは「民衆が愚か」ということだから、近年では「ポピュリズム」と呼ぶらしいが、表現を変えても「なぜ」には答えてはくれない。ペリクレスがたぐいまれな政治家であったことは定説だが、彼が死んだ途端にアテネ市民が愚か者に一変したというのはあり得ないから、政治担当者の資質、政治システムの構築にも要因があるのではないかと考えた。

アテネの政治制度は、市民一人一人の票で決まる直接民主制。しかも選挙は年に一度行われるので政治家は毎年選挙の洗礼を受けることになる。その制度下でペリクレスは30年以上にわたって連続当選を続けたのである。彼が当選を続けた「ステラテゴス(最高職)」とは、ストラテジー(戦略)を考え、国全体をリードしていく人の意味だから国政の最高指導者。とは言ってもステラテゴスは10選挙区から選ばれた10人で、政見が一致しているとは限らないから、10人の間での一見一致、今なら「閣内一致」をまずは目指す。

それでもペリクレスが実質上の総理大臣を続けられたのは、一にも二にも連続当選にあった。数年連続当選の人はいたが、30年も続けて当選したのは彼だけだった。当時のアテネ市民は「ペリクレス一強」は悪いことではなく、その一強の間に何をなしたかを重視する有権者だったのだ。市民の政治意識も成熟していたということだろう。(修一:当時は戦争が日常茶飯事の時代だった)

にもかかわらず、ペリクレス後のアテネはポピュリズム(衆愚)の道に行ってしまう。ポピュリズムとは「現状へ怒りと、近未来への不安」が温床になる。以前にもなかったわけではないが、ペリクレスは言葉という武器だけで「怒りと不安を希望と可能性に変える」技にも優れていたのだ。

反対にポピュリズム時代のリーダーは、怒りと不安を煽り立てるのを特技にしている。「国民のニーズを汲みあげ、国民に寄り添う」という大義名分で。こうなると2500年昔の(ペリクレス後の)アテネは今のイタリアになる。現政府の主張は「五つ星」と名乗るポピュリストたちによるものなのだから。

具体的には、これまでの政府が行ってきたことはすべて壊す。公共事業でも全部ストップ。すでに民営化されていた企業も国営に戻す。反対論は多かったが、コロナ騒ぎに乗じて火事場泥棒のように国営化は増える一方。ポピュリズム政権下では、怒るのと不安に駆られるのは「国民の権利」とされ、権利に伴うはずの義務を口にする人はマスコミでもいなくなった。マスコミは結構簡単に口を閉じるのだ。

(修一:2020年当時のイタリアは「五つ星運動」と「同盟」の連立でコンテ政権が発足。バラマキ福祉で財政赤字が拡大し2021年に辞任し、2021年2月にドラギ政権発足、2022年10月にメローニ「イタリアの同胞」党首がイタリア史上初めての女性首相としてメローニ政権が発足している)

この政府や各国がコロナ禍被害への補助金を交渉しているEUがまた欠陥が多い。民主主義を唱えているのに、人口数千万でも数百万でも平等に一票。民主主義を唱えながら民意を反映しているのかどうか? その上、EUでは税制が国別で、オランダやアイルランドは多国籍企業の多くが税金の払い先にしており、事実上の脱税天国のよう。これではEUが健全に機能するはずもない。

実情がこれではロシアや中国と比べて、どこに民主政国家の利点を指摘できるのか。われわれはペリクレス後のアテネと同じに、国民のニーズを満足させることと、その国民に寄り添うことだけを考えて実行した挙句に自滅していくしかないのであろうか>(以上)

ここまで来ると、男女の性別を越えた哲学者の風情がある。2021年夏に転倒して大腿骨骨折したそうだが、もう2年も経ったから続編を期待したい。2022年秋に「書きたいテーマはあるが、最早体力がない」と弱気になっていたが、今年の1月末には松山で講演し、「日本の20代に入ったばかりの若い人をイタリアに呼びよせるため個人財団を作りたい」と語ったという(産経)。曽野綾子氏のように口述筆記でも正論を発信続けて欲しいものだ。

歴史や古人から学ぶ、学んで国家や民族の諸々の今の問題、課題に有効な「解」「方向」を示す・・・政治家や学者、財界などのリーダーの理想系だが、言うは易く行うは難し、余程の人でないと国民を従わせることはできない。国民自体が問題意識、危機感を持っていなければ、いくら説いても糠に釘、暖簾に腕押し、馬耳東風で、一歩も前進しないのではないか。余程のショックがないと民は目覚めないが、「中共は危険、距離を置くべし」ということはようやく分かってきたようだ。初めの小さな一歩でも、大きな前進である。

Bloomberg2023/9/10によるとイタリアのメローニ首相は「一帯一路離脱を中国に非公式に伝えた」とこう報じている。
<メローニ首相は中国の巨大経済圏構想「一帯一路」に関する投資協定から離脱する方針を中国の李強首相に非公式に伝えた。
インドでの20カ国・地域首脳会議(G20サミット)に出席した両首相は9日に会談し、メローニ首相がイタリアの離脱方針を李首相に語った。事情に詳しい関係者が匿名を条件に明らかにした。イタリアは2019年、一帯一路協定に正式に署名していた。
一帯一路は習近平国家主席が旗振り役となって進めている政策だが、習主席は今回のG20サミットを欠席。メローニ首相は中国による貿易報復を警戒し、協定離脱の決定をどのように中国側に正式に表明するか決めるまで時間をかけている>

戦老の小生としては大歓迎だが、李強首相はどう対応したのだろう。李強・・・ただのポスト習か? それとも改革開放派か? 気になる存在である。   
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