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勉強だけできたらそれでいい?

小学校受験


兄が田舎ですでに入っていたこともあり、私も大学附属の学校に行かねばならない流れが自然にできていた。
いわゆるお受験だ。

先述のように、頭の出来を最重要視される義両親の手前、母が教育ママになるのは必然であった。
幼稚園児にして、泣きながら勉強させられる日が始まった。
お受験の世界では早生まれはハンデだ。
できない私に母は厳しかった。
人生で一番勉強に泣いたのではないかな。
塾は行かず、母の教育のみ。
テストをパスし、抽選も当たったので、無事に兄と同じ学校に入ることができた。

小学校

低学年、わりと社交的だった。(その後に比べたら、、、という話)
同じクラスの子達は男女共に友達になれたと思う。相変わらず気が強かったし、気の強い女の子が多かったのも良かった。
ただ相変わらず成長も遅かったから、担任には心配されていた。


あなたは運動ができない家系だから、と入学してから母にずっと言われ続けた。
習い事もやったが、ピアノ・習字・ECCと、全く体を動かさないものばかり。
それも、3年生になる前に中学受験のための塾に入ったタイミングで辞めた。今思うと辞めるのが早すぎる。

運動できない代わりに勉強を頑張りなさい、勉強をするものが一番偉い、と言われ続けた。


親が家を建てたので、バス通学から地下鉄通学になった。地域の子が集まる学校ではないから、転校とかではなく。同じ通学ルートの子どもたちは、一応グループ化されていた。

引っ越した先のグループで、私は嫌われた。というか、そのうちの1人が私のことが大嫌いで、ハブられていたが正しいか。よそ者だし、元々クラスも違うので、仲良くはなかったな。
でも子供の間の話なので、お家に呼ばれたりはするわけで。子供ながらにその社会性が問われるの苦手だったな。今思うと、無理に行かなくて良かったのにね。


学校が大嫌いだった。
兄が受験期に入り、学校をときどき休むようになると、私も休んだ。特に病気でなくても、行きたくなかったら行かなくていいという母の方針で、ちょくちょく休むようになった。
やるべきは塾の勉強であって学校のではなかったし、母も学校が嫌いだったから寛容だったらしい。
冬には兄の受験のため、テレビが禁止された。学校の話題についていけなかった。ジャニーズにみんながハマっていても、私はわからなかった。

兄もそうだから中学受験をするのは当たり前のことだった。塾に行くことに抵抗はなかったし、学校よりはるかに好きだった。

塾の勉強が第一で、学校のテストなんて満点で当たり前で、学校の宿題なんて時間の無駄だ、と言われて育った。
学校の先生からしたら、受験しない同級生たちからしたら、とてもとてもとても嫌なやつだっただろう。最後の担任には事あるごとに意地悪をされていたので、あれはいじめられていたと思う。

塾では同じ学力レベルの子たちだけでクラス分けされる。同じレベルなのがわかっているから、仲間だしライバルだ。会う頻度も毎日ではないし、仲間はずれにするとかはない。塾の友達は好きだった。勉強はできる方だったし、やればできるのがとても楽しかった。


ただ私には有名校に行った兄がいて、さらに有名で優秀な学校に行った従姉妹がいた。父方の祖父母に比べられ続けて、私も当然トップ校に行かねばならなかった。私の一つ下の従兄弟も相当優秀だとプレッシャーをかけられていた。
毎週のテストで順位が一桁でないと母に怒られた。

中学受験


私が受験シーズンに突入する前、母がげっそりして倒れた。10キロくらい一瞬で痩せていたし毎晩吐いていた。何事か全然知らなかったが、流石に隠せなくなった母に、父親が不倫をしていると打ち明けられた。小学校5か6年の時。そのうち父親が家を出た。
母と父とどちらについていくか、父に聞かれた。
迷わず母を選んだと思う。
多忙で家を空けることの多かった父が、義両親から守らなかったくせに、子供の教育で不安定になる母を責める権利はない。

そんな一大事でも、私は勉強しないといけない。修学旅行もあったし、どうしたらいいのかわからなくて、順調だった成績もスランプになった。
勉強していい成績を取り続けること、母を泣かせない・自分も母の前で泣かないことに、必死だった気がする。

受験シーズンはスランプから抜けてはいなかったけれど、地元では名の知れたトップ校へ受かって無事に終わった。
本当はチャレンジした県外の一番難しかったところに行きたかった。
補欠だったものの繰り上げ合格したし、本当は引っ越して行きたかった。
けど、父親からどこにいくか塾に電話がかかってきて、地元の第一志望に行きますと答えた。
馬鹿ではなかったから、12歳にして空気をちゃんと読んだ。
母はいきなり専業主婦を辞めないといけなかったし、私が負担をかけてはいけない。

そんな小学生。
今思うと、県外に行く選択もよかったかもしれない。父親にその費用を払わせることができただろうし。
ただ、その選択をしたおかげで、小学生の頃からの友達が今も仲良くしてくれている。

当時大好きだった、メゾピアノのベリエちゃんが最近よく話題になって嬉しい。

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