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「箕輪の剣」第3話

第3話 野盗退治

 文悟丸の身支度のため、一夜の猶予が必要だった。
 上泉秀綱一行は、ここ真勝寺に宿が設けられた。里見家には武芸に飢えた者が少なかったが、それでも数名、教えを求めて押し掛けてきた。その相手は、ふたりの供で十分だった。上泉秀綱は正木時茂とともに杯を交わし、北条との戦さのことを尋ねた。
「北条の狙いは武蔵国と安房上総である」
 正木時茂は明言した。
 安房上総を狙うのは、海を挟んで三浦半島に対峙するためだ。江戸湾の制海権を得る目的もある。しかし、里見の抵抗は、それを圧していた。
 いまや武蔵国は脆弱だ。関東管領の非力が、すべてといってよい。大義名分のため、北条は古河公方も取り込もうとしている。
「武蔵は、長くありませんな」
 上泉秀綱は見通したように呟いた。そのあとは、間違いなく上野国である。
「その場の戦さで負ける気はしませぬ。しかし、長い戦となれば、小国は不利です」
「であろう」
「当方はすでに武田とも戦っております。もしも北条が進出したら、背と腹に迎え撃つことは、まことに厳しい」
 正木時茂は杯をおいた。
「越後に逃れた関東管領とは、長野家では通じておいでか?」
「委細は存ぜぬが」
「もしも通じているなら、ひとつ策がある」
「はて」
「これは、里見のためにもなるのだ」
 上泉秀綱も杯をおいた。
「越後の長尾弾正を知っておろう」
「ええ、関東管領様が庇護されておりますゆえ」
「この者、不敗の者として知られる。これを関東へ導くことが適えば、北条など」
 正木時茂は随分と以前から、このことを考えていた。里見義堯にも進言している。ただ、伝手がないのだ。ゆえに一度だけ、里見義堯の名で書状を出したことがある。その返事はない。
「どうだろう、長野家ならば、関東管領様にこのことを訴えることが出来まいか」
 悪い話ではない。長尾弾正少弼景虎という人物の風聞は、上野の者ならば、よくも悪くも、些かの興味がある。関東管領の被官だった者にとっては、主家を保護していることから好意的だ。景虎にしてみても、上州箕輪城で北条・武田に抵抗を続ける長野信濃守業政という名前に興味を持つことは間違いない。
「なるほどな」
 思わぬでもなかったが、もし、長尾景虎が関東へ出陣したら、どうなるだろうか。
 やってみる値打はある。
「武蔵殿」
「ん」
「文悟丸様のことで、長野家と当家は、形式的に切れてしまうだろう。しかし、北条に抗し得る者として、これからも通じては貰えぬか」
「それは、こちらこそ望む処です」
 この上総行きで、大きな実入りがあったとしたら、正木時茂という人脈をつないだことだろう。武芸者として、ひとりの陪臣として、信用に値する人物に出会えたことを、上泉秀綱は心より喜んだ。
 翌朝。文悟丸と、その供である女官三人とともに、上泉秀綱は久留里を辞した。女官は元々、由宇姫に従った者ばかりだ。それぞれ名を、浅黄、桔梗、松葉という。実は三人とも、里見家へ行く前は、上泉秀綱の新陰流を学んでいた者たちだ。男女の貴賤について、上泉秀綱はこだわっていない。修練の場はいつも屋外だから、女は穢れているなどという古い考え方が秀綱にはない。実戦ともなれば、女だって立派に戦えることを、上泉秀綱は知っていた。
 兵を鍛えているのではない。武芸を磨いているのだ。だから、戦国における男尊女卑という発想は、少なくとも上泉秀綱の思惟には含まれていなかった。極めて合理的なことだった。
 久留里から松戸までは、それほど難儀はなかった。ただ、子連れの旅は、思うより日数を要するのである。
 太日川を渡ると、そこは武蔵国だ。
「少し、寄り道をしてもいいかな」
 上泉秀綱は岩月を廻りたいと云った。岩月城は、太田三楽斎資正が支配している。噂では、太田道灌の智謀を受け継ぐ者という評判だ。が、無論、いまの上泉秀綱が目通りを許される立場ではない。
「城下をみれば、城主の人となりが見える」
 上泉秀綱の心中は、北条に抗する者を集うことにある。しかし、無為な者は、結束を乱し瓦解につながるものだ。北条に対する者として、太田三楽斎が有能か無能か、せっかくの機会なので見定めたかった。
 岩月に近付くと、農民たちがざわついていた。
「いかがした」
 上泉秀綱が尋ねると、野盗の類が子供を縛り上げているという。
「穏やかではないな。どれ、見てきてくれぬか」
 供連れ二人が野次馬を装い、様子をみた。
「おい」
「うむ」
 野盗はこのあたりを荒らしている輩で、土地では煙たがられる存在だ。数にして、およそ二〇ばかり。若い者が多いが、頭目のような男は壮年だ。その頭目の腰かける切り株の近く、柿の木に吊るされている子供に、ふたりは見覚えがあった。
「あの追剥ぎのガキだ」
 どうするか、目配せした。あれくらいの野盗なら、二人でもなんとかなるだろう。しかし、騒ぎを起こしていいものか。結局、ふたりは上泉秀綱に判断を仰いだ。
 上泉秀綱は笑いながら
「土地の者が困っているなら、助けてやればいい」
 そして、文悟丸に向き直った。
「若様、人の上に立たれる者として、覚えて貰うことがございます。それは、その土地で暮らす者が幸せであることが、領国の安定につながるということです。岩月は他国、見過ごすことも出来ましょう。されど、こういうこと、いい機会です。よく見て置かれませ」
 野盗へは供のふたりが向かうこととし、上泉秀綱は文悟丸の脇に控えた。その後ろには、浅黄・桔梗・松葉が固めた。
 野盗たちは酒を煽っていた。誰も恐がって寄りつかないという、油断の表れだった。そこを、ふたりが急襲した。
「なんだ、手前ぇらは!」
 野盗たちは驚き、反撃してきた。供の者たちは、上泉秀綱に鍛えられて三年ほどの経験がある。戦場でも戦ってきた。この程度の野党は、敵ではない。たちまち半ばを斬ると、野盗たちは逃げ出す者もいた。
 が、頭目はゆっくりと立ち上がり、鎖鎌を手にした。
「いかん!」
 上泉秀綱が走り出した。ふたりにはまだ、鎖鎌を相手にした戦いを教えていない。
「ふたりとも、退け」
 上泉秀綱の声に、ふたりは二歩後退した。
 そこへ、鎖分銅が飛んできた。身をよじって避けたが、ひとりは太刀を絡め取られて奪われた。
「こっちだ!」
 上泉秀綱は笄を抜き、頭目へ投げた。一閃した笄は、鎌を握る左手の甲へ深々と刺さった。
「ぎゃっ」
 頭目は、きっと、上泉秀綱を睨んだ。そうこうしている間に、ふたりの供は文悟丸のところまで退いた。太刀を奪われた供は、小刀を構えて、上泉秀綱と頭目の戦いを見守った。
 上泉秀綱は鞘を左手に持った。
 頭目は、左手を隠すように半身となり、鎖分銅を回転した。乾いた風切り音が、徐々に早くなった。その間合いは、先ほど供の者が太刀を取られたので見当がつく。そのギリギリのところに立って、上泉秀綱は鞘を前にした格好で半身となった。鞘は、誘いだ。鎖分銅が飛んできても、鞘を引けば無傷である。
 これは、もう、新陰流とはいえない、戦場の剣だった。
 ビュッ。
 鎖分銅が真直ぐ飛んできた。上泉秀綱は鞘を左下へ引いた。そのときである。鎖の軌道が変わり、鞘を目がけ追ってきた。一歩、大きく後ろへ飛んだ。鎖は生きている蛇のように、そこから軌道を変えて、上泉秀綱の眉間へ向かってきた。
「たっ」
 軌道を変えたとき、鎖は減速する。
 上泉秀綱は態と鞘で鎖を絡めた。そして、引っ張った。頭目は一歩前に出て、鎖を弛ませた。上泉秀綱は姿勢を崩すことなく、更に鞘を回して鎖を絡めた。
 びんと、鎖が張った。
 頭目は左手を後ろに引いた。瞬間、鞘を地面に突き刺して、上泉秀綱が前に出た。頭目が鎌を投げる直前、上泉秀綱の太刀が眉間を割った。血が噴き出し、頭目は視界を失った。
「どこだ」
 上泉秀綱は頭目の右側をすり抜け、素早く左手に廻り、切っ先を振り上げて手首を吹き飛ばした。そして、縦に太刀を一閃した。
 勝負はついた。頭を割られて、頭目は倒れた。
 鎖に巻かれた鞘にはかなりの傷がついたが、幸い亀裂はなかった。
「おい」
 柿の木に吊られた娘に、上泉秀綱は声を掛けた。
「これは、どうしたことだ?」
「おれは、あんたの弟子になりたい。そう思ったから、あいつらに一応の筋を通したんだ。そしたら、ガキのくせに生意気だと、散々殴られて、吊り下げられた。今夜にも斬られるところだった」
「そうか、よかったな」
「なあ、旦那」
「弟子になるなら、言葉使いから直せ」
「あ……いいんだな?」
「だから、言葉使いだ」
 笑いながら、上泉秀綱は縄を切った。尻餅つく娘を助け起こすと
「上州箕輪城主・長野信濃守様の家中、儂は上泉武蔵守である」
「おれ……わたしは、東原地の百姓、伊助の娘・くま」
「くまか、家来になるか」
「はい」
 文悟丸は、この間、唖然としていた。剣をまだ握ったことのない子供なら、無理もない。
「浅黄」
 ようやく、文悟丸は口を開いた。
「あの者は、鬼神か?」
 浅黄は笑った。
「鬼神ではございません。剣の達人です」
 文悟丸は、まだ驚いたままだった。
 
 野盗の騒ぎは、岩月城に知らされた。検分の士が駆けつけたとき、既に上泉秀綱一行はこの場を去ったあとだった。


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