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若者は年寄りの言葉を聞きたいか・年寄りの言葉は若者に響くか? それをnoteで確かめよう。

 本日日曜日の午前中、いつものテニスの後には、コメダ珈琲店でテニス仲間といつものおしゃべり。
 私:最近noteを始めたよ。
 A:何かを書き留めるノート、それとも車のノート?
 私:最近、Lineで「noteって何」って聞かれて説明したでしょ、そのnote。
   広告がないから読みやすい。
 A:「noteを始めた」じゃわからない。
   「広告のないブログのnote」とか言ってくれなきゃ。
 私:noteを始めて見てわかったのは、同年代のユーザーがいないこと。
   若者が老人に聞きたい言葉がない。
   老人が若者に伝えたい言葉がない。
 A:若者だけの世界だね。
 私:そうならないためにも、あなたもnote始めないか。

 一昨年、若い女性のQちゃんも老人グループに加わってテニスをした。その後、いつものようにおしゃべり。おしゃべりが終わって、彼女から「中島さんからすごくいいこと聞いた。ちゃんと聞き取れなかったので、詳しく教えて?」
 困った。思い出せない。Aさんに聞いても思い出せないと言う。中島さんは老舗大企業の元労組委員長。時々名言が出てくる。
 我々にとっては普通の会話。普通の会話の中で聞いた言葉は、その場ですぐになるほどと腹落ちする。そして忘れる。
 会話が終わって帰り道、彼が何と言ったのか聞かれても、もう忘れている。「そんなことはない」と反論した言葉なら覚えているが。と言い訳しながらも思い出そうとする。思い出せないのが悔しいから、いつまでもその出来事を覚えていて、ここに書くことになる。

Qちゃん

 我々年寄りにとっては普通の会話でも、若い人にとっては新鮮な響きを持つ言葉があるようだ。彼らは年寄りの言葉をもっと聞きたいかもしれない。我々にも若い頃があった。そう言えば学生の頃、北陸の由緒あるお寺を訪ねたとき、一人の仲間が若い僧の説明に物足りなさを感じ、「お年寄りの住職の説明を聞きたい」と漏らした事がある。
 年寄りの方も若い人に伝えたい言葉がある。しかし、家では年寄りの言葉など、誰も聞いてくれない。もし、もしもだよ、若い人が熱心に聞いてくれるなら嬉しい。しかし、noteの世界は若者だけの世界だよね。我々老人の出る幕ではない...というのは年寄りの思い込みに違いない。若い子が我々を「友達」と思ってくれるはずがないというのは思い込みだった。実際、我々の近くにQちゃんがいるではないか。noteはそのような場になれるかもしれない。チャレンジしてみよう。


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