何歳まで生きられるのかはわからないが、自分に残された時間は、たぶんあと30年位か。
いや、下手をすると、不治の病にかかったりして、短くなる可能性のほうが高いだろう。
そもそも健康寿命という指標があり、それを計算にいれてしまうと、実はもう残り20年もない。
いや、寿命など、捕らぬ狸の皮算用。
「もしあと1週間で死ぬとしたら」みたいな本を、立ち読みしたり。買ってしまったり。
平易な哲学書をひもといたり。
実は、約一年前に結論は出ている。
紀元前の偉人のこの名言が心に沁みた。
やりたいことがあるなら、今すぐ、自分のために時間を使おう
同意。理屈も通っている。
しかし、ここからが本題。
人生は多様。
考え方もさまざま。
時間の使い方も。
心底やりたいことがある人もいれば、やりたくないことばかりの人もいる。
自分のために時間を使うといったとき、
○どうしてもやりたいことがある
○どうしてもやりたくないことがある
どうしてもやりたいことがある人は幸せだとおもう。
哀しいかな、どうしてもやりたくないことが増えてきた。つまり、「無為」に憧れるようになってしまった。
「無為」は、なにもしないでブラブラしている こと。
「無為」の類語をみてみよう。
評価はヒドイものだ……。
怠ける、手抜き、ものぐさ…
無気力、その日暮らし、風太郎…
緩慢、ゆるゆる、のんびりなど、
軽蔑からスローライフ的な見方までの広い類語がある。
○仕事をどうしてもやりたくない→
○転職もしたくない→
○おカネは必要
○思い出を残したい
残ったのは、
おカネを稼ぎ、思い出を残したい
ということになった。
あらゆるめんどくさいことを止めたいが、おカネが必要だ。
生きた証とは、家族や友人との思い出だ。
ただ、今日も「無為」に憧れる自分がいる。
ブラブラ、あてのない旅に出たいのだ。
どうしてもやりたい となったら、有給とって、旅に出てしまいますよ、ハイ……。