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アニメPSYCHO-PASSの槙島聖護の心理考察

アニメPSYCHO-PASS に登場する槙島聖護
彼の思考は私の内面(無意識にある闇)と似ており自分の思考をより理解するため彼なりの善、その目的と意図をセリフと共に考察しました。

INFJ(ILI)の思想や人間観察についてなどもよく理解して頂けるかと思います。
ネタバレも含みますので閲覧ご注意ください。

推定性格タイプ
槙島聖護
Ni-ILI  5w4 △548 INFJ


(※アニメのネタバレ注意)
↓↓↓










⭐︎まずPSYCHO-PASSの世界の個人的解釈から⭐︎

人間の精神が数値化され管理される社会=シビュラシステム
有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていました

シビュラは「集合的無意識=直観Ni」を意味しているような気がします。
アニメを見始め、すぐピンときました。
人間の魂がひとつの全体になるという、いわばINFJの願いのような設定。

INFJは直観で判断を行い、善悪、倫理については法律や常識より絶対的にそれを指標として頼りにします。
つまりINFJの直観=シビュラ=法=自分の思想(宗教)です。

PSYCHO-PASSは人間に「絶対的な法としての直観」が与えられたそんな社会。
しかし皮肉にも実態は精神のバランスと将来の方向性を自動化させ人間の自律を失わせた管理社会です。

槙島聖護は「免罪体質者」としてシビュラに認知されないのは何故か?


彼は自分の直観=シビュラを元々備えていたからでしょう。
INFJは自らの精神の闇(無意識、時間の終わり)に意識をおきます。

精神は死に近い意識の場所‥
想像すれば分かると思いますが「あなたは死にますよ」と自分に時間がない事を突然知らされた時、人間の精神はどうなるか?おそらく否定し混乱するでしょう。
そんな時間の概念に意識をおき自分の精神バランスを取っています。

「本はね、ただ読むんじゃない、自分の感覚を調整するためのツールでもある‥何が読書の邪魔をしているか考える‥何故そうなのか考える、精神的な調律‥チューニングみたいなものかな」

「紙に指で触れている感覚や本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」
アニメPSYCHO-PASSより
槙島聖護セリフ
「何故だか僕にもわからない。子どもの頃から不思議だったよ。僕のPSYCHO-PASSはいつだって真っ白だった」
アニメPSYCHO-PASSより

人間が直視できない心の闇を見る視線は己の闇も冷静に直視しなければならない 闇から人間の精神(無意識/闇)を子どもの頃から分析し理解するようになります
失敗はあまり恐れず、好奇心が先行していました
失敗が直観(洞察)の精度を増していきます

槙島聖護は直観が強いが故にシビュラから精神が自律しているからと関係を免除された人、つまり自らの闇の認識と精神バランスを保つ自制心、直観で判断を下せると認定(法免除)されたINFJの1人だと感じました。

私もなぜこんな精神(闇)の場所にいるのかよくわかりませんが、気がついた時には人間の魂を眺める視点がありました。

なぜシビュラに対抗しようとしたのか

「落ち着かないかね?君のそういう普通なところ‥凄く良いと思うよ
僕も君もごく普通で本質的にはありきたりの人間だ。
自分の事を欲張りだと思った事はないよ。
当たり前の事が当たり前に行われる世界、僕はそういうのが好きなだけでね」
アニメPSYCHO-PASSより

免罪体質者として孤独で寂しいから対抗したのではなく、彼なりの目的と善があったと思います。

INFJは自分の直観を独自の思想として小さい頃から構築していきます。
それが己の人格を強固にさせますがTiが発達するにつれ、まわりに「世の中に流されず自らの意志で決断し未来に責任を持つ事の大切さ」を伝え始める‥
私もそうですが、なぜかINFJとタイプされる歴史上の人物は同じような思想になるような気がします。
直観で受けたものを世の中に‥というのは芸術や小説、アニメ作品であったり思想であったり‥
そう考えるとNiとは面白いですね。
(話が逸れました)

シビュラの社会は「人間が思考を放棄し宗教(法)が洗脳した社会」とも取れ、彼の理想はシビュラの正体を暴き、洗脳を解く事で人類の魂を解放させること、そして自ら決断できる人間こそ独立した存在(自分)だと証明したかったのではないでしょうか。
彼にとって「冷静に決断できる事」が「人間として当たり前のこと」でした。
これが彼の真の目的であり理想ではないか‥
私ならそう思いますし気持ちはよくわかります。

「僕はね、人は自らの意志に基づいて行動した時のみ価値を持つと思っている。だから様々な人間に秘めたる意志を問い正し、その行いを観察してきた」


「そもそも何をもって犯罪と定義するんだ‥君が手にしたその銃ドミネーターを司るシビュラシステムが決めるのか?」
アニメPSYCHO-PASSより

INFJが重きを置くのは「善と悪を自分の責任のもと判断できるか」そして、それは善なのか、じゃあ悪とはなんだ?のような矛盾を常に心におき考えています。
それが知りたくてどんな魂を持つ人間なのかと四六時中まわりを観察し、意識の中で概念を動かし分析しています。
観察対象はほぼ通りすがりの人から仲が良い人まで制限はありません。
多くの人と関わる事で新たな知見とパターンを知り、心理的な問題を解決し自他の魂、精神性が向上する事を願いとしています。

「科学の叡智はついに魂の秘密を暴くに至り、この社会は激変した‥だがその判定には
人の意志が介在しない。君たちは一体何を基準に善と悪を選り分けているんだろうね」
アニメPSYCHO-PASSより

科学的に精神や意識までも数値化した結果、管理された人間社会がこれなんだと皮肉めいています ね。このセリフからも「自分が免罪体質者だから」と孤独が理由でシビュラに対抗している訳ではないという事が伺えます。

INFJは精神世界を神秘と捉えており、それを全て科学で説明するのは意味がないとも思っています。「言葉」で解釈したいと考えるため哲学的になるのです。
この作品が、その『科学』を表現しているのがドミネーター『犯罪係数』です。
数値化する事で精神は味気ないものになってしまった‥と落胆しているようにも見えます。

「僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい‥せっかくだ、君にも問うて見るとしよう。刑事としての判断と行動を」

「僕を裁けるものがいるとしたら‥それは自らの意志で人殺しになれる者だけさ」

「さぁ殺す気で狙え」
アニメPSYCHO-PASSより

槙島聖護は人間を「シビュラの信託のままに生きる者」とそれに逆らい「決断できる者」とに分けて評価しています。
これは私自身、魂を観察する時に注視している部分です。
そして彼は後者こそ自分が求めている人間だと考え、それを確かめるため常守朱に銃を渡し、自らの命さえ犠牲にしても「決断と意志の重さ」をはかれるのか試したのです。

「デカルトは『決断ができない人間は欲望が大きすぎるか悟性が足りないのだ』と言った」


「もしも君がパスカルを引用したなら、やっぱり僕も同じ言葉を返しただろう」
アニメPSYCHO-PASSより

彼は哲学や本から度々引用しますが、これは彼のNi-Tiに説得力をつけるため表現です。
同じ方向の思想であれば自分の哲学構築の力になりますが、違う思想であれば全く受け付けないか、馬鹿にするために使ったりする程この独自思想の部分(芯)は頑固で全く譲れません。
子どもの頃から哲学的に現実を解釈しているので思考を言語化すれば一気に独自思想として溢れ、それが強烈な自己になります。
それ故にINFJキャラは時々「理想のためなら世界を滅ぼす」悪役になるのかもしれませんね。
それほど自分の思想を軸に生きています。

「短時間でこれだけエリアストレスが上昇‥ハァ‥📲行けるね、計画に修正はない‥バカだな‥大変な事はこれから起きる‥」


「これは啓蒙のための道具だったんだ‥人が人らしく生きるために家畜のような惰眠から目を覚ましてやるために‥」
アニメPSYCHO-PASSより

無意識は精神の核であり闇、ここから言動の動機はほとんど説明できるといえます。
表面的には違った言動でも無意識を辿れば同じ問題を抱えている事はよくあります。
だからこそ人間は無意識を見てはいけないもの(恐れ)だと認識しています。
槙島はこの無意識にある人間の真の欲求を少し突き、感情がどう言動に繋がるのか、どう波及するか、どういう結果になるのか予測しタイミング良く罠を仕掛け反応を確認します。

これはINFJの戦略で、無意識が表面にどう作用するのか観察と実験を日々繰り返します。
そして何か問題があればその都度修正し、状況に柔軟に対応します。
INFJがマイペースでPに見える行動の部分かもしれません。
動く時は、伝えるタイミングを重視します。
知らない方が良い真実も多いからです。

こういった心理的な遠隔操作はINFJキャラのNiコントロールとして定番です。
(例えばハリーポッターに対するダンブルドアの関わり方でちょうど良いタイミングでハリーに助言するなど)
この目的は本来「魂の成長」で、主人公がボスキャラと戦闘できるように「成長」させなくてはいけないのです。
人生もまた同じ、皆迷いながら魂を成長させていると言えます。
INFJはその成長の小さなキッカケを作りたいと人間関係の中でいつもバランスを取る役目を担っています。
例えば敵対同士の仲裁、上下関係の調和など、バランスを保てるように裏から働きかけますが知らぬふりをしています。
目立つ事はあまり好きではありません。

悪役キャラの場合は「洗脳、支配のためのコントロール」になる事が多いです。
そしていつもその行動の背後に別の大きな別の目的(理想)が存在するのは共通していますね。

槙島は人間を操る事で社会に事件そのものを認識させシビュラシステムの不備と「こんな社会はおかしい」と世間に訴えたかった。
そして人間に「幻想から目を醒ませ!」と伝えたかったのでしょう。

「何者としても振る舞うことの出来る君自身が、結局の所は何者でもなかった。君の核となる個性は無だ、からっぽだ、君には君としての顔が無い」

「のっぺらぼうだからこそ、どのような仮面でもかぶることが出来たというだけだ」
アニメPSYCHO-PASSより

この言葉は幻想に囚われ「自分軸」を持たない人間の顛末はどうなるのかという警告が込められています。
「自分」を持たず誰にでもなれるのは実は無意識にある魂そのものを認めず否定している事になります。
そしてそれに気がつかない人がほとんどです。
「何にでもなれる」と自ら夢と希望の生へ向かって誰もが生きています。
しかしその夢が大きいほど挫折すると心が折れやすく恐れる気持ちが「自分の存在を証明する何か(夢)」に縋りたい、信じたいと思わせます。
幻想とは見せたいものを見せ、未来に希望を持たせてくれるものです。
しかし幻想に囚われすぎてはいけません。
囚われるあまり自己と現実がどんどん離れて行き足元が見えず動けなくなっていきます。
「夢と現実の乖離」は「意識と無意識(精神の核)の乖離」でもあるのです。
「何にでも染まる自分(夢)」から「自分(精神の現実)」を取り戻さなければいけません。
弱くて惨めな自分を否定せずありのまま受け入れる事、そして自らの意志で決断し前に踏み出していく事です。

ハリー・ポッターに登場する「みぞの鏡」もそうですが、こういった「幻想」の描写はINFJ作品に多い気がします。

世の中の「幻想」(たとえばカルト宗教、独善的な支配など)は精神にどう影響するのか、それは心の支えになっているのか、人間は何を望み、何を見ているのかINFJは常に観察と分析し、人々に何度も警告します。

「‥目の前の危機を正しく評価できなかった。その意味では君たちもあの哀れな羊たちと等しく愚かしい」


「良いですね、客席からも観戦しがいのあるゲームになりそうだ」

「僕はここで起こった出来事そのものに興味があるのでね、第3者の視点で観察するのが1番なんです」

「自覚がなければ反省のしようがない」

「やはり君にはこれ以上の成長は期待できないようだ」
アニメPSYCHO-PASSより

槙島聖護は自分が「おもちゃ」と呼ぶ人間の復讐心や欲望の先、その人間性が冷静に危機を判断できるか、死を意識し絶望した時、何を思いどんな行動をとるのか確認したかった‥そして最後に審判を下すという事を自ら行なっていました。
「おもちゃ」は彼に選別された見込みのある人間(魂)でした。
槙島は彼らにチャンスやヒントを与える事で、自らの闇を受け入れ、真の意図(成長)に気付くことを促してきましたが「失敗」の自覚もなく、精神の成長はもう難しいと判断すれば皆、殺すか狩場に送っています。

槙島は彼らの人間性と救えなかった魂に憐れみ残念がっていたんでしょう←INFJキャラが利己に走る理由はこれが多いです。
神にでもなったつもりで憐れみ審判する行動はINFJ悪キャラによくあります。
夜神月もその1人でしょうか。

INFJキャラが行う審判‥これは心を閉じる「INFJ Door slam」と呼ばれる部分でも説明がつくと考えています。
私個人的には「自分と合わない、迷惑をかける」という理由ではなく、相手の無意識領域に強い抵抗があると直観で感じ取り「精神の成長をこの人とは共にできない、難しい」と判断した時ですが、その時そっと心の距離を閉じ、これ以上は精神に介入しないようにします。

「図星を言われて否定したくなる」のは無意識への自己防衛から来ています。

人生において「気がつく事」が精神の学びなので、無理にこじ開けようとすると人格を崩壊させ「精神の死」に繋がります。
無意識は強大な負のエネルギーと恐れを持っており、それはその領域を最も重要視しているINFJが理解されにくい所です。

アニメで利己的に描かれるINFJの殺人(審判)は「魂の成長を拒み、生きる気力がなく死を望んでいる人間」が「死」を選ぶ事を受容する(許す→殺す)という意味合いもあるかもしれません。
なぜなら本当に「死」を望むなら、己の感情や価値観で本人の意志と決断を止めようとは思わず、それすら尊重したいと考えるかもしれないからです。

「肉体の老いは克服した‥あとは心ですか?」

「人は恐怖と対面した時、自らの魂を試される。何を求め何をなすべくして生まれてきたか、その本性が明らかになる」

「あの狡噛という男だけではない、あなたにも興味があるんです遷宮時さん‥あなたもまた本当の自分と直面する事になる」

「仰せの通りです、あなたの命の輝き 最期まで見届けさせてもらいますよ」
アニメPSYCHO-PASSより

恐怖、時間の終わる時、死に対して人間は泣いて逃げるのか、命乞いをするのか、笑い飛ばすのか、黙って受け入れるのか、冷静に判断できるのかそれすら高いところから槙島聖護は傍観していました。
INFJは彼と似た立ち位置で人間の精神を意識(概念)の中で観察しています。
五感による観察(表情や仕草など)はほとんど必要としません。
Niは人間の無意識にアクセスするツールのような存在。深く魂へそのまま意識が同化し(憑依するような形)想像力で他者に共感します。

PSYCHO-PASSには、メンタルトレースという言葉が出てきますが、同じような事を思考で行い相手の心理や言動、そこから人物像と闇(無意識の問題)を洞察していきます。
死は人間が自分と向き合う最期の時間でINFJはその時間の概念に立ち、人間は人生を通して苦難や死にどう立ち向かうのだろうか‥いつもそこに強い関心と興味を持っています。

「どこかの誰かが『愚かな人類ども』と言ったとして、その人類には当然自分自身も含まれている。人間について知りたいと思ったら、人間を見ているだけではいけない
人間が何を見ているかに注目しなければ
君たちは何を見ている?
僕は君たちを見ている
信じられないかもしれないが、僕は君たちのことが好きだ
昔からよく言うだろう?
愛の反対は憎悪ではなく、無関心だ
興味がなかったらわざわざ殺したり、痛めつけたりはしないんだ
余計な事ばかり考える
緊張しているのか‥相手を甘く見過ぎて踏み込みすぎた‥‥なんてね」
アニメPSYCHO-PASSより

(なぜみんな言いなりになってるんだ?どこを見ている?おかしな世界だとなぜわからない?何をそんなに恐れている?早く気がついてくれないか?この僕も同じ人間だ‥愚かな人間の1人だ
そういう無関心こそが「他人を必要としない社会」を作るんじゃないのか?
そんなものは「愛」とはいえないだろう
僕はいつも君たちを見ている
僕には君たちが必要だし君たちもそのはずだ‥
いつもよりなぜこんなに余計な事を考える‥僕は何か間違っているのか?いや、そんなはずはない 狡噛慎也を甘く見過ぎて踏み込みすぎたからか‥なんてね‥間違えてはいない、計画はそのままだ‥)

人間が何を見ているか、何を欲しているかを心の底にある闇(本心)で理解しようとします。
「愛しているからこそ、僕はこのくだらない幻想から人間の魂を解き放ちたいんだ」という願いや心の動きがひしひしと伝わるセリフです。
同じ事を考えるので、とても胸が痛かった部分です。
槙島聖護は簡単に操られる人間、何も気がつかない人間に絶望していましたが自分を追い詰めてくる狡噛慎也に少し嬉しくなった‥そして彼もまた同じ思考だと気がついている。

計画を前に、彼の意図を探り、自分がやってるこの行動は「正しい」のか‥という理由付けを再確認している部分です。
計画前のこの理由付けの確認はよくしています。
それにより「自分の正しさ」が独善ではないか確かめているのです。
内部に矛盾を作り外の世界の矛盾に誰よりも先に気付こうとします。
警告するため、未来に起こる結果を検証し、今この自分の言動は他人にどう影響するかどう波及するか時間を何度も行ったり来たりして脳内で戦略を確認します。
その結果、既存の枠組みを「破壊」する事で真実を突き付けるという一見理解不能なやり方をします。INFJキャラをこの観点から観察すると意図が見えて面白いですよ。

「僕はね、この人生というゲームを心底愛し
てるんだよ。だからどこまでもプレイヤーとして参加し続けたい」
アニメPSYCHO-PASSより

毎朝「ゲーム」が始まる感覚、常に人間の心理(何を考えどんな行動に繋がるのか)を観察しそれを次の戦略として使う事を好みます。
この槙島の言葉はシビュラの全知全能で共にひとつになろう、世界に神さながらの審判を下そうと誘われ、断った時の言葉ですが、自分が追求する理想そのものが「シビュラに対抗している事」そしてそれを「楽しむべきゲーム」だと人間の愚かさと、その上に君臨する宗教のような立場のシビュラを嘲笑しています。
彼の偶像(幻想)破壊欲、因習打破の側面‥個人的によく似ているところです。

「破壊の先か‥先があればよし、なければそれはそれで受け入れよう」
アニメPSYCHO-PASSより

このセリフから、槙島聖護の計画には今現在「シビュラの破壊」しかないと考えている事がわかりますが、彼にとって破壊も1つの通過点に過ぎず、とりあえず達成してから考えようという柔軟さと長期視野を持つ事が伺えます。
INJは計画に非常に柔軟でゴールも戦略も次々と変更していきます。
これは時間の先に行き、直観で行動するので彼らの目的や意図を理解するのは表面からは非常に認識しづらいです。
まだ浮上していない問題を勝手に見つけて勝手に解決しているという事を日常的にしているかもしれません(将来のリスク回避)。

「孤独だと?それは僕に限った話か?この社会に孤独でない人間など誰がいる?」

グソン「ダンナはシビュラに愛されていいな…」

槙島「愛されてるというより眼中にないっていうのが正しいんじゃないかな」
アニメPSYCHO-PASSより

槙島聖護は自分がシビュラに認知されない理由を最初から何となく理解していたんだと思います。
だからこそシビュラに対抗できるのは自分だと感じた‥。
INFJは精神が自律している人間に「この人は大丈夫だ、関わりは必要ない」と安心しその認識から外します。
シビュラも同じ認識で槙島聖護を最初から関わりの対象外(免除)としたのでしょう。
それはある意味最初から「他と違う」と自分に強く認識させました。

時間の先を行く孤独、見える世界が周りと違う事、そして寄り添う人間の魂は無意識の中で孤独と闇が渦巻いています。
それを理解しているからこそ放てる言葉だと思います。
時間の認識が真逆の世界は世間から理解し難いと思います。
だからこそ、それに近づきたいと「人間」に強い関心を持ち反応するのかもしれませんし、こっち(闇、無意識)を理解してほしい、共に精神性を高めようとINFJは人類に啓蒙するのかもしれません。

常守朱に言った「そうか、君は‥」


この言葉は、常守朱が殺害するために追いかけて来た訳ではない事から、「シビュラの真実を知りながらも決断を任せられた独立した人間」だと槙島聖護が気付いたからではないでしょうか。
槙島が破壊するしかないと思っていたものと共存しようと抗う常守朱は、自分が愚かだと思っていた人間ではなく自分の意志で決断できる人間じゃないか‥と。
シヴュラに取り込まれるのではなく、その存在を認められ自立していることに彼は内心嫉妬したかもしれませんね。
常守朱はINFJの理想win-winの(共存)可能性を示しました。
自分の理想と未来を常守朱に、この瞬間、託したのかもしれません。

「誰だって孤独だ、誰だって虚ろだ、もう誰も他人を必要としない どんな才能もスペア
が見つかる、どんな関係でも取り替えがきく、そんな世界に飽きていた」
アニメPSYCHO-PASSより

(無意識に存在する闇、孤独な魂「本当の自分」を抱えどんな人間も孤独であり、社会に流され虚ろだ。判断を何かに依存し責任から逃れ、本当は誰も他人を必要としない。
うわべの調和で真剣に関わろうとしなくても、前向きに努力しなくても誰かやってくれるだろうという責任逃れとその認識の甘さ‥そんな人間達の世界に飽きていた)

人間を惰眠から救い、魂の解放を目的にしていましたが、シビュラの元、自らの意志で決断する自律した人間が存在したという事実が彼の魂を救った‥彼はその時心から納得し、魂は使命から解放されました。
そしてこれからの世界の行く末に少しホッとし穏やかな顔だったのだと思います。

彼は狡噛慎也(知識や情報の洞察とその扱い方、予測した捜査の進め方からINTJ)と常守朱(シヴュラに依存しない直観的な善悪の判断と自他の客観的な心理洞察からINFJ)という思考が共通した仲間に出会い、最高のゲーム(人生)を楽しみました。

狡噛慎也への想い

「さて‥狡噛慎也、君はこの問いの意味を理解してくれるかな」


「なぁどうなんだ狡噛‥君はこの後、僕の代わりを見つけられるのか」
アニメPSYCHO-PASSより

(こんなに楽しいゲームができる人間、分かり合える友をお前は他に見つけられるのか)

槙島聖護は狡噛慎也の鋭い洞察力に気がつきました。目的(シビュラの破壊)と自分の真の意図を彼のその直観で見抜いて欲しかったのだと思います。

似た思考を持つ狡噛を「面白い」と評価し、友情が芽生えていたのかもしれません。
常守朱の存在が槙島聖護の魂を使命から開放させた事で槙島自身の計画は終わりました。
殺されるならシビュラではなく狡噛慎也であってほしかった。それが使命を終えた彼の心からの願いだったと思います。

非常に長い文章で読みにくかったと思いますが
最後まで読んで頂けて感謝です🙏

INFJキャラの思考考察、また他のタイプの思考、その他考察関連をノートに上げていこうかな‥と思います
(超気まぐれですが‥)

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