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【アイマス】演者とキャラクターの境界線

皆さんこんにちは。

普通のアイドルのライブとアイマスのライブの大きな違いは、言わずもがなかもしれませんが本人として舞台に立つか、キャラクターとして舞台に立つかというところだと思います。
自分の見える範囲でですが、アイマス声優の皆さんはステージ上に立っているのはキャラクターであって自分じゃない、100%キャラクターに見えるように演じたいと言っているように思います。
ですが観客視点で見たアイマスのライブの魅力ってそこだけじゃないよなーと思いますし、キャラを演じるというところから生まれる独特の魅力もあるので、うまくまとまるかわかりませんがつらつらと書いていこうと思います。
多分ですが、結論は演者の方が一生懸命演じている今のアイマスのライブが好きということになると思うので途中が解釈違いであっても怒らないで・・・。


演者じゃないけどキャラクターでもない

アイマスに限らず演劇、ミュージカル、音楽ライブなどどれでもよく言われていることですが、舞台は生ものです。
全く同じ演目で公演をしても、毎回違うものが生まれます。
同じ曲を同じアプローチで披露するにしても、今までの積み重ねやその日の気分、観客の反応なんかでもパフォーマンスが変化することって普通にあることなんじゃないかと思います。
で、この差を生んでいるのは誰かというと演者本人です。
間違ってもキャラクターではないと思っています。
だからこそ、自分としてはアイマスライブのステージに立っているのは「○○役の△△さん」であって、キャラクターの「○○」本人ではないと思って見ています。
演者がキャラクターをどう表現するのか、というところがアイマスライブの魅力の肝なんじゃないかなと思っています。

演者本人が顔を出す瞬間

先に書いた通り、演者の皆さんはキャラクターをどうやってステージ上に立たせるのかよく考えて練習してステージに立たれていると思いますし、演者の立場として100%キャラクターになりきるんだというマインドは当然のものだと思います。
でも舞台って刹那的なもので、演者と客のコミュニケーションの中で一気に気持ちが変化していくこともあると思います。
そうした瞬間にキャラクターの顔をしていた演者の中から、ふと演者本人が顔を出す瞬間があるような気がしていて、自分はその瞬間が好きです。
ライブが触媒になって、普段は別々に動いている演者とキャラクターが交わり境界線が曖昧になる瞬間とでも言えばいいんでしょうか。
ステージ上に2人が重なって見える瞬間、お芝居のために押し殺していた自我がどうしても表に出てしまう瞬間とか色々言いようは思いつくのですが、一言でいうとエモい瞬間ってことです。(脳死)

具体的にいつ?ミリ編

具体的な場面で真っ先に思いついたのはミリオンライブ3rdライブツアーのアイルです。
ミリP皆大好きな印象があるあの場面ですが、あの時のmachicoさんは今にも泣きそうな顔をして、声を詰まらせながら懸命に歌っていました。
キャラクターの翼にはあまり重ならない表現になっていましたが、3rdツアーのmachicoさん本人の頑張りなどが脳裏をよぎって見ているこちらも一緒に泣いてしまうようなライブでした。
それを経て、今年の10thライブact1で再度アイルが披露されましたが、こちらは成長した自分たちを見てくれと言わんばかりのmachicoさんの満面の笑みにまた違った形で泣かされたライブになったと思います。
どっちもキャラクターの翼というより演者のmachicoさんにまつわる物語に泣かされているように思いますが、こういうところにライブで役者がキャラを演じる意義みたいなものを感じてしまいますね。
キャラと演者2人で作り上げてるのを感じます。

今回はmachicoさんについて書きましたが、実はミリオンライブは同じようなことを感じる瞬間が結構多いです。
なんとなくですが、演者の感情が表に出てきやすいブランドカラーみたいなものがある気がしています。
ミリオンのライブは演者と観客で一緒に公演を作り上げているという感覚を強く感じるんですが、それは演者さんの気持ちがかなり観客側に向いているからなのかなと思いますし、気持ちが向いているのでパフォーマンスに演者本人の感情が出てきやすいのかなと思っています。
個人的なおすすめは8thライブの花咲夜で披露された俠気乱舞の時の南早紀さんです。
ライブって楽しいという気持ちが凄く伝わってきてエモいです。

具体的にいつ?シャニ編

逆にシャニマスのライブでは演者が表に出てきたと感じる瞬間は少ないように思います。
これもブランドカラーだと思うのですが、シャニはコミュを大切にしていて、アイドルの深掘を楽しむのが特徴なので、コミュで表現されたアイドルをいかにステージ上で再現するかというところに演者さんがこだわってステージづくりをしているように感じています。
その結果、なりきりライブとしての要素が強くなって、演者個人の感情は表に出てきづらくなっているのかもしれません。

そんな中でも特に演者個人を感じるのは北原沙弥香さんです。
ステージで輝いている私たちを見て!であったり、演じている愛依にもっと輝いて欲しい!であったり、そういうライブに対する熱い思いをパフォーマンスから感じることが多いです。
そういう気持ちって届きますし、見る側もより力が入りますよね。

あと直近だと「我儘なまま」2日目の涼本あきほさんの「Damascus Cocktail」もかなり演者本人を感じました。
1日目との対比で全然違うパフォーマンスのものが出てきたというのもありますし、このライブに懸けてきた思いがパフォーマンス全体から感じられて感動しました。
これもキャラクターの感情ではないので、やっぱり本人が表に出てきた瞬間ということかなと思います。

さっきMUSIC  DAWNのBDを見ていて、ノクチルの「いつだって僕らは」初披露も大概エモかったなと思い出しました。
コロナ渦でなかなか動けずフラストレーションがたまっていた中での初披露でしたし、あの時の4人の表情、歌は人が演じているものであるからこそ出てきた、あの一回きりのものだったと断言できると思います。

まとめ

この記事で伝えたかったのは、自分はキャラクターが舞台上で100%再現されていることに感動しているわけではなくて、演者さんたちが一生懸命作り上げてきたパフォーマンスとそこから感じられる想いに感動しているだなぁってことかなと思います。
想いを感じられるというのは「100%キャラクターに見えるように演じる」ことから生まれる副産物かなとも思うので、演者さん達にはアイマスとして楽しいライブを作ってくださっていることへの感謝でいっぱいです。
同僚たちが少しでもわかる!とかそういう観点もあるか!とか思ってくれたらいいかな・・・。

ちなみにですが、これらの感想は配信やBDなど演者の顔まで舞台を鮮明に見れる場合の感想であって、舞台が遠い現地だと違う感想になります。
現場だとやっぱり歌が一番よく聞こえますし、やはり声優の歌の力は偉大だと感じますね。

以上です。


追伸
今回は本当に誰得記事になった気がします。
ここまで読んでくれた方がいたら感謝と多少の申し訳なさがあるような・・・。
前回の記事ですが結構簡単な言葉の組み合わせでググって4ページ目くらいに出てくることに気づきました。
やっぱり名前を出すならワンチャン見られている覚悟で書かなきゃだめだなと思いました。

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