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早大生インフルエンサー図鑑 Vol.1 ~9浪はまい~

突然だが、これから早稲田大学の門をくぐる新入生は、早稲田大学に対してどんなイメージを持っているだろうか。

僕が新入生だった時のイメージは

「どんな人でも受け入れてもらえる、世界一多様性のある大学」

だったことを覚えている。

そして今回、早大生インフルエンサー図鑑の記念すべき第一弾に登場していただいた9浪はまいさんは、早稲田大学の「多様性」という言葉がまさしく当てはまる人物だと思う。

27歳で早稲田大学に合格するまでの間に、どんな人生があり、なぜ早稲田を選んだのか。今回はもはや9浪という言葉が固有名詞化している、はまいさんにじっくりお話を伺わせていただきました。

それでは、本編スタート。

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じーお(以降「じ」) 「本日はよろしくお願いします!」

はまいさん(以降「は」)「こちらこそよろしくお願いします!」

早稲田にたどり着くまでの“空白の9年間”

じ ではまず、新入生の最たる疑問でもある、どうして早稲田に来るまで9年かかったのか、早稲田にたどり着くまでの9年間を含めたはまいさんの半生を教えてください

は じゃあ、ちょっと、半生を反省して…笑 これってダジャレとかって言っていいんですか?笑

じ 全然大丈夫です。笑

は 僕は、兵庫県の丹波市というところに生まれました。そして、18歳まで丹波篠山で育ちました。で、15歳の時に偏差値が41の高校に進学しまして。商業科なんですけれども、そちらで、だいぶイジメられてしまって、野球を2年生の9月に辞めたんです。

で、辞めた後に、彼らをどうしても見返してやりたいと思いまして。でもその方法が当時の僕には全然わからなくて、どうすればいいんだろうなと思っていたんですけど、暴力だけはふるいたくなかったですし、そんなことをしても自分の人生が壊れてしまうだけなので。

当時は現実逃避のためにネットゲームをしていて。結構ゲームしている人って暇な大学生が多いんです。そこで、同志社大学に通っている大学生から大学の情報を提供してもらって、あっ、大学に行くっていう選択肢があるんだな。って。そこで初めて大学に行くっていう選択肢ができました。僕は、父親が10歳の時に倒れて、そこからほとんど母子家庭で、早く働いて母親を楽にさせてあげたいなと思っていたんです なので、大学に行くっていう選択肢がなくて、親族も誰も大学に行ってないもんですから、初めてそこで、親には悪いけど大学行かせてもらおうと。

近畿大学、大阪経済大学とか受けたんですけど、まあ、落ちてしまって…笑 で、大阪産業大学に進学しました。ですが、高校とあまり変わらない感じで…内心、思い描いていた大学生活と違ったので少しショックを受けて、他の大学生がどういうことしているのか知らなかったので、他の大学と交流できるサークルに入って、他の大学の学生に会ってみようと思いました。

で、6月くらいにいろんな大学が集まって交流するイベントがあって、そその時に、たまたま一緒のチームの中に同志社大学とか京都大学の学生がいて、その人たちが受験の話をしていて、人格的にも優れた方で。それを見て、僕はすごく眩しくなって、この人達はもう18歳にして努力してきたんだなと、自分は何もしてこなかったなと。なんで勉強しなかったのかなと自分を責めるようになりまして。自分にないようなものを持っているような人を見てとても眩しく感じました。僕は昔はとても感情的になる人でして、感情的になって自分の弱さを認めずに責任転嫁をするような、人の悪口ばっかり言うような人間だったんですけど、それが凄く恥ずかしくなって。

彼らは、努力してきたから自分に余裕もあるし人に優しくできるんだな、人の痛みがわかるんだなって思うと、自分もこういう人間になりたいなって思って、そのために勉強しないといけないなって思うようになって、勉強するようになりました。

1年生の5月6月くらいから勉強を始めて、2年生の時に受けた龍谷大学の編入試験に合格して3年生から龍谷大学に編入しました。

龍谷大学に編入し、卒業。しかしここからが本当の戦い

龍谷大学の生徒は知的で大人びていて、僕は好きでした。あの環境は僕は合っていたと思うんですけど、就職活動で失敗して…笑

1年ちょいで人並みの大学にこれたのだから自分は凄いと勘違いしてしまって、あと自分は凄いと認めたくて、大手マスコミばかり受けて、見事に全敗して… 7月8月になると現実が見えてきて、自分はロクな仕事に就けないなと思いまして。人生どこで間違えたのかなと考えたときに、やっぱり勉強だなと思って、その時期から再受験を決意して、就活より受験勉強に力を入れ始めるというよくわからない状況になってしまいました。笑

日本史の用語集とか見たときに、見たことない単語ばかりで、これ全部覚えるとか超人だな…って。でも、そんな超人に肩をならべないと、これから先ずっと負けた気になったまま人生を過ごさないといけないだろうと思いまして、人生のコンプレックスの根本が勉強にあるなと、その時気付かされたんです。

で、就活は10月までずれこんで、証券会社に入社しました。ですが、今度は仕事のために勉強が必要になりました。でも、受験勉強しながら会社に通う気満々だったので、あ、これは両立できないなと思って、10日で辞めました。笑

辞めてすぐ、予備校探しを始めて、地元の予備校に決めました。とてもいい塾長さんで。そこに入ってから並行して就活をして、配置薬、置き薬の会社に入りました。そこで全社1位のセールスマンになって、多い時には49万の給料をもらえるようになりました。

じ それって、「23日間で6万しかもらえない会社」ですよね?ずっと疑問だったんですけど、どういう計算だったんですか?

は これは、よく使うんですけど、上司の給料なんです。会社を続けるために誰かが未払いにならないといけない、そこで上司の給料がカットされていました。

じ 日本の闇みたいな会社ですね…

は 上司も納得してないんですけど、田舎は学歴社会じゃなくて、正社員という肩書が大事なので…

じ しかも、田舎だとクビとかの話ってすぐに出回りますもんね…

は そうなんですよ、僕が会社辞めたのも10日で広まったんで。「車止まってる~ あっ、あの子会社辞めたんや~」って 僕はそういう閉鎖的空間は得意ではなかったので

それで貯金が300万になったら辞めようと思っていたので、300万に到達した時点で会社を辞めて、平行していた予備校に通い始めました。

しかし、私が会社を辞める半年前に経営者が変わり、経営方針も変わってしまいました。今まで大学に行こうしていた受験生を集めて「大学に行くな。行っても意味はない。」などと洗脳するような。その時に一旦は辞めようかと思ったんですけど、とりあえず続けて。そのタイミングで、職員さんが1人辞めて、事務として働いてくれたら授業料を免除すると言われて、受けました。でも、そもそも価値観が違うので、結局不和が生じて辞めました。

ラスト1年。背水の陣で挑んだ早稲田受験

じ で、いよいよ増田塾に移ったということですね?

は そうですね、もともと国立志望だったんですけど、ラスト1年で早稲田しかないなと。合格する前の年にも早稲田は受験したんですけど全敗でした。でもキャンパスの雰囲気とか、多浪に寛容な雰囲気がいいなと思って、ここなら人生やり直せるかなと。

で、早稲田に向けてのノウハウが欲しいなと思って増田塾を選びました。

じ 国立志望だったのに、なぜ早稲田に切り替えたのですか?それに関西にも同志社や関学みたいに優秀な大学もたくさんあると思うんですよ

さらに、疑問なんですけど、関西を出ようと思った理由と慶應を選らばなかった理由が知りたいです!

は 同志社を選ばなかった理由と関西を離れたかった理由は同じで、関西に残ってると親戚にいろいろ言われるだろうなと思ったことですね

地元の閉鎖的な環境が嫌で逃げてきた自分からすると、近くにいたくないと思いました。あと関西の人の特徴としてある、パーソナルスペースを侵害するようなイジリが嫌だったのもあります

じ なるほど、じゃあなぜ慶應を選ばなかったんですか?

は これはステレオタイプみたいなものなんですけど、慶應はお金持ちが多そうで…笑 話が合わないだろうなと思って…笑

じ 確かに。笑 僕もその理由で早稲田を選んだけど、早稲田もお金持ち多い気がします。笑

は 国会議員のご子息とかも平気でいるんでそこは関東に出てきてビックリしましたね

じ 今おっしゃられた、早稲田に出てきて驚いたこととかありますか?

は まずはお金持ちが多い。笑 庶民が努力して入るバンカラな大学というイメージでしたが意外といない…笑

僕、今家賃が24000円の家に住んでるんですよ 3帖の物件だったんですけど

じ えっ!?24000円!?それって寝るだけじゃないですか!

は そうですね、寝るだけなんですけど、そういう生活している人も多いんじゃないかなと思っていたんですけど全くいませんでしたね…

じ 僕も相場よりは安い部屋を借りているので気持ちは凄くわかります

は あとは、本当に精力的にいろんなことにチャレンジしている人がいるなと思いました。これはイメージ通りでしたが、想像を超えてきました。さらに、人間性が素晴らしいと思いました。ちょっと僕は学歴厨なんでそう思うだけかもしれないですけど…笑 素直で、努力してきてる人ばかりなので人にも優しいですし、人の悪口とかいう人はまあいないなと思いました そうじゃないですか?

じ そこは… ノーコメントで。笑

は 笑 でも地元に比べたら歴然の差かなと思うんですがそれは?

じ 確かに、それは一理ありますね

バンカラジオ出演のキッカケ

じ まだまだお話聞きたいんですけど、続いてバンカラジオ出演の経緯を教えていただきたいなと思います。

は そうですね、新入生でもバンカラジオ見たことある人も多いと思うので

僕は出演する人のなかでは、3番目、準レギュラーという扱いなんです

じ 準レギュラーっていうのはどういう扱いなんですか?失礼かもしれないですけど、何か都合のいい時に呼ばれるというような印象があるんです

は 笑 そんなことはなくて、一応動画撮るときはほぼ毎回声をかけていただいてます コントの撮影のときは毎回呼んでいただいてます 動画的には僕がいた方がおじさん役的に使えますし、あとは僕にもありがたいんです。

動画を始めたキッカケは、せっかくこの歳で早稲田に入学したので、自分で情報を発信したいという欲があったんです。昔から、他人に知られるような人間になりたいと思っていて。それは地元の人だったりイジメてきた人だったりを見返すという意味で社会的地位や名声で見返したいという思いがずっとあったんです 大学入試もそうだったんですけど、大学に入ってからも成功したい、社会的地位にこだわりたいと思っていたんです。

そのためには自分の体験を発信すると引き(読者の関心)があるのではないか、と思って、Web記事を書くサークルに入ったんです。それと、本を書いて自分で出版を目指すサークルに。そこで記事を書いたり本の企画書を書いたりして、4本目の記事がスマートニュースに載ったんです。で、16000ビューに到達したんですけど、そこで記事を書くことに満足しちゃって。で、今度は映像発信しようと考えたんです。

記事にしていたのは受験記だったり、イジメの経験だったんですけど、今度はしゃべってみたらどうだろうと思ったんです。でも、自分にはノウハウもなかったんです。そんなとき、バンカラジオに「多浪トーーク」というコンテンツがあって、あそこに自分が入れば引きがあるのではないかと。で、きいたくんが武道家(早稲田駅に近くにあるラーメン屋)で働いていたんですけど、そこできいたくんに会って営業したんです。で、使っていただけることになった次の日に収録をして、そこで語ったイジメの経験談が70万再生を越えました。僕自身、内容はあると思ってたんですけど、僕だけではそんな数字は取れないと思っていたんです。すでにバンカラジオが2万人の登録者がいるからこその数字なのかなと思っています。

そこで、初めてコメント欄に温かいコメントが来ていて、自分の経験は無駄ではなかったんだなと思い、これからも動画出たいなと思っていた時に、また声をかけていただいて、そしたら、また再生数が伸びて。

で、そのあと他のチャンネルからも声をかけていただいたんですけど、バンカラジオ側としては、自チャンネル内で私のコンテンツを使いたかったらしく、他のチャンネルに出るときは私たちを通してください、代わりにバンカラジオの動画にたくさん出演してください、ということで準レギュラーという形に収まりました。

今後の展望

じ なるほど… では、はまいさん自身は今後どのような動画を作っていきたいなと考えていますか?

は 僕は今まで多くの人に迷惑をかけてきたんで、それに恩返しできるような動画を作っていけたらなと考えています。ギャグを言いながらも人の心に刺さるような動画であったりとか、自分の経験ももちろん、「こんなことあるよね」みたいなあるある動画だったり…

じ 少しここで話をぶった切ってしまって申し訳ないんですけど、はまいさんって教育学部じゃないですか、教師になろうとかは考えられてないんですか?

は そうですね、なろうと考えています。これも挑戦だと思うんですけど、教師って堅苦しいイメージあるじゃないですか。

じ そうですね、あんまり動画に出たりするような人はいないイメージですね。

は だからこそ、今まで教職を取ってるYouTuberとかいなかったな思って。だから、教職の情報も発信していけるんじゃないかなって思っていてるのはあります。

それに、本当に動画に出てるから教師になれないのか、まだ自分がやってるわけではないからわからないので、私立だったらもしかしたらおもしろいと思っていただけるところがあるんじゃないかなって思っています。

じ 普通に考えると早稲田出てたらいいんじゃないのかなって思いました。笑

は 笑 ありがとうございます。4年生になったら実習にもいくだろうし、他の職種も考えているのは確かです。

教師だけって決めているとなれなかった時のダメージが大きすぎるので、リスクを分散させておこうと。これは社会人生活や受験で学んだことなんですけど。笑

精神の拠り所がたくさんあると、そんなにダメージを受けないんで、そうすると精神的に安定するのかなと思っています。

就活もそうなんですけど、今就活してる人も、内定決まってからも「ここでよかったのかな」ってずっと悩むと思うんです。何歳になっても。けど、目の前にあるものに力を注いでいけば、それが自ずと天職になっていくのかなと思っています。

過去があるから今がある

じ いやぁ…ほんとお話聞けてよかったです、早稲田って凄く多様性のある大学だと改めて感じました。社会に一度出ていると人間としての厚みが違いますよね。

は いやいや…笑 結構、動画とか見てもらうとわかると思うんですけど、自分って「作ってる人格なのかな」って思っちゃうんですよね。

本当の自分ってドス黒いところもあるんですけど、でも、動画ではいいところしか見せてないわけじゃないですか。

じ それは仕方ないのかなって僕は思います。笑 僕は人間には2種類いて、黒い部分が表に出る人と、出ない人がいると思ってます。出ていても好かれる人もいるし、出なくても嫌われる人もいるので、それは何とも言えませんが…

少し関連した話になるんですけど、長い期間浪人してたら性格も曲ってしまう人も多いと思うんですけど、なぜはまいさんはやりきれたのですか?

は もう一度大学受験しようと思ったのが龍谷大学4年生の時だったって言ったと思うんですけど、もう、本当にコンプレックスが凄くて…笑 

関関同立以上に行って大手企業に行った人と比べたときに、同じだけ生きてきたのに、それこそ人間としての厚みがないというか、何もしてないなと。

このまま普通に生きても大学4年間ずっとコンプレックスあったのに、一生抱え続けるなと。しかも、それを当時は親や環境のせいにしてたので、いい歳して親や環境のせいにしたくなかったので、そういうのは自分で断ち切るしかなかったので、勉強で作った後悔は勉強でしか取り返せないなと。

じ それを、27歳で早稲田に合格するまでずっと持ち続けられたということですか?

は そうですね、まあ仕事しているときも、最初から大学に行くことしか考えてなかったので…

じ 今バイトなさってるんですか?

は はい

じ なのに、と言っては失礼かもしれませんが、24000円の家賃なんですか?

は そうですね、9浪目の時に貯金が底をつきそうで、12000円の物件に住んでたので大丈夫なのもありますし、アルバイトって学生の皆さんにとって大切だと思うんですけど、僕はあまり長期的な価値は見出せなくて、それこそ、バイトで月10万稼いで6万の家に住むくらいならバイトは月5万で家賃は24000円でいいから、その分の時間を勉強だったり、やりたかったYouTube創作活動に使った方がいいかなと僕は考えています。そっちの方が将来的に名声だったり価値のあるものになるんじゃないかなって思っています。

勉強でも同じだと思っていて、もちろん人の力もあるんですけど、僕、教職の単位も含めてまだ1単位も落としたことないんです。やっぱり、勉強って大事ですし、知能って財産だと思うんで、アルバイトで消費するなら生活の質を下げてもいいから勉強だったり、創作活動だったり、将来的に見て自分のためになるものに使った方がいいかなと思っています。 

じ なるほど… 今日お話聞かせていただいて、人生って何歳からでもやり直せるんだなって思いました。

は 繰り返すようですけど、知能って財産なので。10年前も大人でしたけど、10年前とは考え方も違いますし、受験勉強で得たこと知識が判断の材料になることが増えました。

じ それは例えばどういうものがありますか?

は 例えば国語だと、常識に異を唱えるものが多くて、そもそも常識とは何ぞや、そしてその常識は人と接するときに役立ちます。そして、書く力にも繋がりますし、英語だと海外の価値観にも触れられます。日本史だと、歴史に触れることで失敗の事例にたくさん触れることができます。だから、文系3科目の教養があるということは将来人生で失敗するリスクを下げることができると思っています。

じ ありがとうございます。

僕の中で聞きたいことは聞きつくしたので、最後に、新入生の方へメッセージをお願いします。

は この度はご入学おめでとうございます。いろんな思いを抱えて大学に入る方も多いと思いますが、この大学は挑戦に寛容な大学ですのでいろんなことに挑戦してもらいたいです。失敗が糧になるので。失敗したうえで軌道修正しつつ、挑戦を続けていってほしいなと思います。大学には失敗を咎めるような人はいないでしょうし、いたとしてもしつこく咎めるような性根の腐った人はそんなにいないですし、関りを断つことは割と簡単です。自分のやりたいことをやって、いろんな人と触れ合って、悔いのない4年間にしてください。

じ ありがとうございます。次に、もう1年頑張ろうと決意した人へのメッセージもお願いします。

は 春から浪人を決めた方って、多分凄い挫折を味わってると思うんですよね。多分本人にしかわからないし、言葉にできないような挫折だと思うんですけど、浪人よりつらいことって人生でそうそうないので。僕も9浪の間いろいろありましたけど、受験が1番つらかったです。でも、それを乗り越えて第一志望の大学に行くってことは自分に勝ったということですし、それって自分を支えてくれるんですよね。だから、浪人期間に遊ぶ方とかいらっしゃるんですけど、1年くらい遊ばずに頑張ってほしいなと僕は思っていて、そうすることで、1年頑張れる人は10年頑張れると思っていて、ひいては生涯頑張り続ける活力になると思っています。僕は浪人生活を乗り切ったので、これから先どんなことでも打ち勝つ自信があります。だから、どうか1年間頑張ってほしいと思います。そして、早稲田大学に来た暁には、どうかお声がけください。笑

じ ありがとうございます。本日はお忙しい中、本当にありがとうございました!

は ありがとうございました!

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いかがだったでしょうか。僕は今回のインタビューでは、本当に人生って何歳からでもやり直しがきくんだなって思ったし、浪人って人生に厚みが出るんだなって思ったね。

今、苦境に立たされている人にもこのインタビューを読んでほしいなって切実に思いました。

https://www.youtube.com/channel/UCm_LRgu9qb4cHza89sOBfdw/videos

↑こちらが、そんなはまいさんのYouTubeチャンネルです!


次のインタビュー記事は早稲田大学法学部卒、シンガーの秋山ゆういさんです!

音楽の力で日中の架け橋になりたいと活動する彼女の大学生活や考え方に迫りました。次回の記事もお楽しみに!













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