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大学のコミュ力依存ってどうなの

こんにちは!いつでも神対応、じーおくんです。

今日のブログは物申す系です。いきなり。
大学の構造がコミュニケーション能力に依存しすぎてる件について書こうと思う。

じーおくんのコミュ力の定義
コミュニケーションを用いて自分にとって有益な結果を意図的にもたらせる力 
だと思っていて。

これを大学生活に当てはめると、

いわゆるコミュ強はそのコミュ力を用いて、友達をたくさん作ったり、ノートやプリント、過去問を効率よく集め、単位を回収して行く。そしてそのコミュ力で得た経験を、更に自分の言葉で彩っていく。

逆にコミュ力がない人は自分の拙いコミュニケーションが原因で、友達はうまく作れず、情報は手に入らず、自分の空けた穴を自分で塞ぐこともできない。学校に行っても楽しくないので学校に行かなくなる、行けなくなる。行かなくなるとその穴埋めが出来ずにそのまま単位を落として行く。そして留年へ。

残酷だと思いませんか?
「これは大げさだろ」って思う人もいると思うけど、実際にこういう人を何人も見てきたし、それはおそらく氷山の一角。だってそういう人たちって他の学生と関わりがないんだから。

残念だけど、今の大学の構造はコミュ力がない人を救済する措置がまるでなく、切り捨ててると言っても過言ではないと思う。大学は、世間は、「まぁ自力で頑張ってよ。話せないほうが悪いじゃん。」ぐらいの丸投げ放置プレイ。助けてくれる担任の先生も、隣の席の優しいあの子ももういないんだよね。

僕としてはコミュ力の有無って元々の性格もあるし、様々な原体験をもとに小学校中学校高校と徐々に徐々に形作られるものだと思っていて。うまく人と話せない、話す勇気が出ないのは仕方のないことで、それはもう個性だし、大学ではコミュ力が必要だからってすぐに人と話せるようになるかって言われたらそれは現実的にかなり厳しい。

じーおくんを始めた理由の大きな部分に、大学のコミュ力依存の構造を変えたいって想いがあって。

一般的に、入学したての大学一年生は大学で一番情弱で、頼れる先輩もいなければ、今までの友達もどこにもいない。右も左もわからずにクソみたいな時間割を組み、悪い先輩に弄ばれ、惨めな気持ちになる。物事のスタートって改めて言うまでもなく大事で、コミュ力も無ければツテもない学生が入学と同時につまづいてしまうのを少しでも減らしたくて、僕たちはこのアカウントを一生懸命運営してきた。

どれぐらいみんなに貢献できたかは直接目には見えないけども、「じーおくんを継ぎたいです。じーおくんへの恩返しとして、私も来年の1年生の相談に乗りたいです。」って連絡してきてくれる子が本当に沢山いて、頑張って良かったなって思ってる。

でもじーおくんが今早稲田大学に対して貢献できたのはTwitterをやっていて、たまたまじーおくんをフォローしてくれた1年生のほんの一握りでしかなくて。実力も実績も無い。でも、僕たちは来年も再来年も、その先も、もっともっと早稲田全体に貢献していきたいし、早稲田だけじゃなくて全国の大学生みんなが公平に情報を共有して大学生活をより良いものにして欲しいし、そのお手伝いがしたい。

そんな思いでこれからも活動していきます。失敗も沢山するだろうけど温かい目で見守ってくれると嬉しいな。長くなっちゃったけど最後まで読んでくれてありがとう。これからもよろしくね。

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