じーお立ち絵基本

【あそぶんこう必読】 早稲田大学 文化構想学部生が 東京大学文化人類学教授から文化構想について学んでみた。

こんにちは!いつでも神対応 じーおくんだよ

今日はじーおの中の人が経験した話をするよ。

このじーおは6月24日に凄い先生方とご飯を食べる機会があったんだ。

東京大学総合研究博物館 

教授 米田 稔先生


朝日新聞大阪本社 

編集委員 中村 俊介先生


どれくらいすごい人なのかと言うと、米田先生に関しては東大教授という時点で十分すごい。ちなみに米田先生の研究分野は文化人類学。中村先生は朝日新聞大阪本社のNo.2にあたる方。しかも早稲田大学卒の大先輩。早稲田で活躍する先輩すげぇ。ってなった。


そこで、こんな貴重な機会は滅多とないと思った中の人はこんな質問をしたんだ。

先生が人生で大事にしてる3つのことを教えてください

と。

そうすると、米田先生からこんな答えが返ってきたんだ。

健康 家族 好奇心 


…え?東大の教授ですよね…?って思ったでしょ。この中の人も同じことを思ったよ。3つ目の好奇心はやっぱり研究者の先生らしい答えだなあと思ったけど最初の2つは本当に驚きだった。

先生いわく、仕事出来る人は大半は健康で体力のある人。精神的にも強い。だからこそやっぱり健康は第一。第二の家族は自分が頑張る理由になれる。自分の活動のバックボーンには家族があるってことは本当に大事

って。なんかこのじーおは結婚願望なかったけど結婚してもいいかなって思っちゃったよ。いやマジで。

受験勉強にも通ずる部分があるなあと思ったよね。 受験勉強なんて基礎の反復だけでセンター英語なら8割くらいは取れるじゃん?けどそれに気付かずに細かい技術に齷齪(あくせく)して失敗して終わる受験生は多い。どんな凄い人も基礎を怠らないんだよって伝えてあげたいなって思った。受験生応援班担当の者として。

そこから、このじーおが文化構想学部に在籍してる話になったんだ。そしたら、中村先生は大阪支部の文化部に在籍してたんだって。

でも文化部は(そんなものないけど)朝日新聞の中のカーストじゃ底辺寄り。正直色物扱いされてたんだって。文化部ってどんなことをしているかというと文化財の情報を発信したり伝統を発信したりする部署。今の社会の風潮として文学部廃止論があったりするから、やっぱり文化部は肩身が狭いよね…。

けど中村先生はその中に自分が文化部に居なきゃいけない必然性を見出して自分が文化部にいることを天命と捉えて仕事に取り組んだんだって。

じーお的にはここに成功した人の秘訣がある気がしたなあ。どんなところに置かれても腐らずにやる。「置かれた場所で咲きなさい」。すごく当たり前なことだけど出来る人って本当に限られてるよね。

そこで、中村先生は自分が文化部で成し遂げる課題を3つ立てた。

①旧石器遺跡捏造問題の反省

②邪馬台国の問題をまとめること

③文化部の意地を見せること。


これは話し出すとまた1つnoteが書けちゃうくらいの中身だから今回は割愛させてもらうけどこの中身も凄かったよ。

結果として中村先生はこの3つのことを自分の中で納得がいくまではやりあげたそうだよ。まだ定年になってないから次は南方の伝統舞踊についてまとめようとしてるらしい。 飽くなき向上心。本当に早稲田に来て遊んでばっかりの自分を猛省したよね。時間を大切にしなきゃね。

そんな時に、中村先生の「③文化部の意地を見せる」の話になったんだ。それに関連して先生はこんな話をしてくれたんだ。

「3.11の大震災の時、被災地で一番読まれていた新聞欄って何だと思う?



実は文化欄だったんだよ。誰も震災のときに一面に載ってる悲惨なニュースなんか見たくなかったんだよ。震災で全てを失った人たちは生きる糧や明日への希望を文化に見出したんだ。」って。ビックリしたよね。


文化部で取り扱う人文科学系の領域ってなくたって恐らく世界は回る。たとえば歴史学。音楽なんかもそうかもしれない。

音楽って、あればみんな聴くよね みんなの中にも好きなアーティストは1人(1組)くらいはいると思う。 けど音楽って無くてもいいものじゃん?って言うと、「音楽は人生を豊かにしてくれる!!」って言うよね。


そうなんだよ。これが「文化」の根源にあるものなんだ。存在しなくたって社会は回るけど、あるとより人生を豊かにしてくれるもの。 それが文化なんだ。

ただ、歴史学に関してはその目で見られることは少ないと思うんだ。文学部廃止論や学芸員廃止論が出てる今、歴史なんかやって何になるんだ。どうせえらい人の自己満足でしかないだろう。

そう思う人が多いと思う。

けど、古きに学び新しきを知る。

つまり、人間が文化を学び文化を知り、継承していくこと。これは人間が人間たる所以(ゆえん)なんだ。

ここで文化構想の核心を突くような、へぇ〜ってなる話を紹介するね。


日本各地には海嘯碑(かいしょうひ)という石碑があるんだ。

海嘯(かいしょう)とは川を遡る高波のことを指していて、明治以前には主に大津波のことを指していたんだ。つまり海嘯碑とは大津波の記念碑(追悼碑、警告碑)のことなんだ。

千葉、静岡、三重、和歌山、徳島、高知によく見られるこの海嘯碑なんだけど、今回は三陸海岸の話を紹介するよ。

岩手県宮古市の姉吉の山際に有名な海嘯碑があって、「大津波記念碑」と題されたその海嘯碑にはこんな文字が記されてるんだ。

「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」


とあって、補記として「明治廿九(29)年にも昭和八年にも津波は此処まで来て部落は全滅し生存者僅か前二名後に四名のみ幾歳経るとも要心何従」と書かれていたんだ。

そしてこの教えを守った結果、今回の3.11大津波の被害を免れたんだ。

それに、3.11大津波では三陸海岸沿いにある寺社はほとんど被害を受けていないんだ。必ず津波到達地点より高い尾根の中腹に境内があって、そこへ向かう石階段の手前には海嘯碑が置かれていたんだ。

つまり、行政がハザードマップを作り、緊急避難場所を指定する遥か遥か昔からその寺社が集落の人々の緊急避難場所になっていた

ということが容易に想像出来るね。(※1)

結果論でしかないけど、もし、行政が早くこの事実に気づいていたなら?

きっと3.11の被害はもう少しは抑えられたかもしれないよね。

「歴史は過去の囈語に非ず 未来の指針にして警策なり」


今回の大津波で無くなった釜石市の歴史家 昆勇郎さんの言葉。

歴史を見直し、文化を構想し、先人に伝えていく。これが人文科学という学問が存在し続ける意義なんだと思うよ。

話を元に戻すね。

議論の途中で、米田先生はこのじーおにこんな質問をしてきたんだ。

「文化」の本質は何だと思う?


じーお (…マジでわからんぞ、東大の教授の言うことはやべぇなぁ…)

じーお「全くわかりません 何なんですか?」

米田先生はこう答えた。

「情報をシェアすることだよ。」


ぶっちゃけ、「何言ってんだ…?」ってなったよね。マジでわからなかった。多分、明らかにこのじーおが理解出来てないということを汲み取ってくれた米田先生はこう説明してくれた。

地球上の全ての生物の中で、こんなに多種多様な環境におかれながら1つの種として生き続ける生物は人類だけなんだ。例えば、犬も地球上の各地に生息してるけど、犬種が分かれてるよね。けど人類だけはホモ・サピエンスという固有の種なんだ。それが環境、状況の違う場所で同じ種として生きていられるのは人間には情報というソフトウェアを共有する能力があるからなんだよ。


やっと合点がいった。つまりこれも人間が人間たる所以なんだということがわかった。確かに人類は砂漠でも雪国でも同じ人類として固有の種が生息してるよね。暑い時にはどうしたらいいか、寒い時にはどうしたらいいか。先人の智が教えてくれるもの。当たり前すぎて気がつかないけどこれも文化だよね。

犬や猫、その他諸々の生物はその環境によって自らを進化させるという選択肢をとった。けど唯一人間はその環境に合わせて進化するのではなく、考え、新たな文化を構想し、それらを全人類としてシェアすることで固有の種が地球各地に生息するという形をとった。

なるほど、確かに文化とは情報をシェアすることだわ。すげぇよ、すげぇよ!!ってこのじーおは興奮しながらすごい話を聞いたなと思ってた。というか、こんな人たちを連れてこれるこのじーおの父親は何者なんだと同時に思った。持つべきものは人脈。間違いないね。

まあ、そんなこんなで1時間半に及ぶ講義は終了したんだ。本郷三丁目にある、とある中華屋さんでこんな講義が繰り広げられてたんだよ。やる場所どう考えても間違えてるよね。多分この講義は聞きたい人にとってはお金を払ってでも聞きたかったと思う。早稲田から電車賃かかるなあ、めんどくせぇなあと10%くらい思ってた自分を猛省したよね。

このじーおは話を聞くのに真剣になりすぎて中華屋さんで1時間半で小籠包2個と餃子3個、豚肉のハンバーガーみたいなの1個とジンジャエール2杯しか飲み食い出来なかったんだ。先生方と解散してからめっちゃお腹空いてきて、近くにあった家系ラーメンの店にこの席を作ってくれた父親と行ったんだ。そこで、父親と今回の話を復習してるときに父親がこんなことを言ってくれた。

「人文科学とは金魚鉢の水なんだ みんな当たり前すぎて何も気づかないけど、金魚鉢に水がないと金魚は干からびて死ぬだろ?」 


やるじゃん、我が尊敬出来る父親よ。マジでその通りだわって思ったよね。



こんな超貴重な経験をさせてもらって、正直入学してから文化構想学部で学ぶことって何なんだろうって思ってたけど、方向性がわかった気がする。

それと同時に、文学部廃止論に疑問を覚えるようになった。このじーおはずっと歴史が好きで中学生の頃から将来は歴史を研究する学部に行きたいんだ!(*^◯^*)って思ってたんだけど、それを研究することで何が得られる?って問いには答えられなかった。

けど、今回の超貴重な体験で古きに学び新しきを知る、いや、新しきを生み出すという人文科学の学問の本質を知ることが出来た。

文学部は必要ないから廃止でいい、などとほざいた某大臣にはぜひ米田先生の所に行ってこの話を懇々と説教されてほしいなと思ったよ。



長くて読みにくい文章だったと思う、何より作者はこの手のレポートを書くのは人生で初めてなんだ。けど、みんなにもこの話はぜひ知ってもらいたい、歴史なんて知る必要ない、文学部も必要ない、そんなお金にならない学問なんか無くていいって思わないでほしいなと思ったから、思い切って今回こんなnoteを作ったんだ。このじーおの想いが少しでもみんなに伝われば作者冥利に尽きるね。




(※1 from M 第57号 岸和田市郷土文化室 山岡邦章 平成27年 1月18日 を参考にしました)



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