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姫路イーグレッターズの始動と海田監督

現役引退

海田智行は広島県出身、幼少期は大野豊さんや佐々岡真司さんに憧れた野球少年だった。

加茂高校から駒澤大学、社会人野球の日本生命を経て2011年にオリックス・バファローズからドラフト4位指名を受けた。カットボールを武器にスライダーやフォークも操る技巧派左腕だ。

ルーキーイヤーから開幕一軍入りを果たし、先発・リリーフを経験。そして2013年4月17日の埼玉西武ライオンズ戦に先発登板で初勝利を挙げた。シーズン後半よりリリーフに定着することになる。

2015年に48登板、2016年には50登板、両年とも防御率は2点台と安定した成績を残した。しかし、2017シーズン中に肘の手術を受けたことから登板数は減少し、停滞してしまう。

そんな海田が完全復活を果たしたのが2019年だ。セットアッパーとして自己最多の55試合に登板し、防御率1.84、22Hを記録した。被本塁打もわずか1本と存在感を発揮したシーズンだった。

このままリリーフの一角を担う存在であり続けたかった海田だが、翌年は登板数が激減。そんな中でも2021年には9月に一軍昇格を果たし、16登板・防御率2.61とチームの優勝に貢献した。

翌年は現役生活で初めて一軍登板のないシーズンとなった。そして10月5日、球団から戦力外通告を受けたのだ。

現役続行を希望した海田は12球団合同トライアウトへの参加を決意。安打と四球を許しながらも、最後の打者は空振り三振で仕留めた。しかしながら、NPB球団からのオファーの電話は鳴らないままだった。

この様子はTBS「プロ野球戦力外通告」で放送され、海田は阪神タイガースからバッティングピッチャーの依頼を受けていたことが判明した。

しかし、海田は「球団とチームに献身するバッティングピッチャーにやりがいを感じられるのか。今まで打ちにくいボールを投げてきて、いきなり『打ちやすいボールを投げてください』と言われてイメージが湧かない」と複雑な心境を口にした。結果的にバッティングピッチャーのオファーは断り、現役引退を決意した。

当時4歳の無邪気な愛息から「(野球が)嫌いになっちゃったの?嫌いになるの?」と尋ねられ、「好きだよ。ユウ君とはずっと野球できるよ」と優しく答えたシーンに涙を誘われた視聴者も多かったのではないか。

「トライアウトを受けてよかった。(引退することに)後悔なんてものは全くない」と晴れた表情で語った海田は、次の一歩を踏み出すこととなる。

監督のオファー

現役引退後、「関メディベースボール学院」中等部のコーチに就任した。4歳の長男に野球を教えることもあり、「教えるのは好き」と真剣な目で語った。また、海田自身が当時のチーム事情によって肘の手術を延期せざるを得なかった経験からも、「中学生の人生や未来を崩さないために、変なクセや故障をしないように責任を持って教えたい」とケガの予防を指導の方針としていた。

また、同時期に野球解説者の道も歩み始めた。特にオリックスファンから好評を得ているようだ。

そんな海田にあるオファーが舞い込んだ。
2023年4月に設立され、さわかみ関西独立リーグに加盟した新球団「姫路イーグレッターズ」の初代監督に就任してほしいという誘いだった。

いきなりの監督のオファーは想定外だったが、話を聞いた海田は即決したと言う。オーナーと球団代表の情熱や夢に惹かれ、強く興味を持った。現役を引退してもなお、野球に携わりたい思いも強かったようだ。

「お願いします」

現役時代と同じ、背番号47番の" 海田監督 "が誕生した瞬間だった。

自ら営業に奔走

監督と言っても、采配や指導のことばかりを考えている訳にはいかないのだ。

独立リーグは地域のスポンサーの支援のおかげで成り立っているため、監督であっても営業活動に従事する必要がある。プレイヤーとして野球人生を全うしてきた海田にとっては、もちろん初めての経験だ。

「はじめまして、監督の海田です」

姫路の街で挨拶回りに奔走した。名刺を交換することも初めてだった。

今では球団の想いに賛同してくれる企業が多く集まり、ユニフォームもたくさんの企業ロゴで埋められている。

選手集め

球団始動に向けて選手集めにも尽力する。リーグや球団独自のトライアウト、練習会を通じて選手に出会った。

海田自身もオリックスから戦力外通告を受けたのちに、12球団合同トライアウトを受けた身である。当時、参加前は緊張しないだろうと考えていたが、実際にはプロ初登板時と同じぐらいに緊張したそうだ。

そんな海田と同じような心境で参加する選手が多くいた。熱い思いを胸に投球やバッティングに挑む選手たちの姿に海田は感動した。

トライアウトの結果が全てではない。ポテンシャルの面も評価した上で23名が入団に至った。

姫路イーグレッターズの存在意義

姫路イーグレッターズの目標はリーグ優勝と1年目からのNPB選手輩出だ。

選手の多くがアルバイトと練習・試合出場を両立する厳しい環境ではあるが、選手全員にドラフト指名の可能性がある。

海田はオリックスに入団するまで長くアマチュア生活を経験してきた。それゆえに「諦めず野球を続けてほしい」「このチームで引退してほしくない」という気持ちを強く持っている。もし選手が野球を嫌いになってしまったとしても、それは僕の責任だと海田は語る。

若い選手たちは「自分を客観視出来過ぎている」というのが海田の自論だ。終わりを自分で決めてしまうことがもったいない、続ければ絶対にいいことがあると伝えていきたいと言う。

さらに、球団として地域活性化にも貢献したい。そのためまずはビラ配りや掲示物、SNSなどで情報を発信し、認知してもらうことが大切だ。

開幕前には「投げること」に特化した野球教室を開催した。海田が選手引退からまだ日が浅いからこそ実現したものだ。

リリーフピッチャーであったからこそ、いきなり投げることができる癖が残っていて、「デモンストレーションぐらいならバリバリいけそう」と本人は語る。参加した子供たちからも反応が良かったため、今後も継続していきたい。

ついに開幕

2024年3月30日、花園セントラルスタジアムの大阪ゼロロクブルズ戦で、姫路イーグレッターズの1年目シーズンが開幕した。多くの支えがあったからこそ、紆余曲折ありながらもこの日を迎えることができたのだ。

試合では先発の土屋風丸が1回から好投。7つの三振を奪い、7回を投げて無失点とゲームを作る。野手陣も7安打、6回には3得点を重ねるなど終始姫路の優勢で試合を進めた。

8回には毛利隆人が登板、負けていられない大阪も反撃を仕掛ける。この日4打数3安打と好調の大阪・今田のタイムリーによって1点を失うものの、後続を打ち取りこの回を終えた。

最終回には4番DHとして出場していた竹内航大が「二刀流」として登板。ランナーは背負ったものの、5人の打者を0に抑えて結果は3-1。見事姫路イーグレッターズは開幕戦勝利・球団初勝利を収めた。

試合後のミーティングで監督の海田は「言うことなし!」と言葉を残し、選手とともに初勝利の喜びを噛み締めた。

彼らの挑戦はまだまだ始まったばかり。
" Let's rise up from here!! "
熱い思いを胸に、姫路イーグレッターズと海田は走り続ける。

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