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『○○禁止』という戦いと背景

こんにちは、夜枕ギリーです。美容院に行ったら話の流れで自転車でビワイチ(琵琶湖一周)したことがあるというエピソードを引き出されたのですが、しばらくすると2つ隣の席にいた男性がアワイチ(淡路島一周・ビワイチの倍くらい難易度が高い)をしたことがあるという話を担当美容師にしだしました。

なんだコイツ?は?ワイは24時間で400km走ったことあるが???と、拳を振り上げそうになりましたが、なんとか自制。大人なので!……まあ別にマウント取ろうとしたわけでもなく自転車というキーワードに記憶が反応しただけだと思います。

争いの火種はどこにでも落ちている。いや、人間は自ら火が点けやすそうな火口を探しながら生きているのだ。



絵描きはXのプロフィールに「AI学習禁止」と書くより、「無断使用禁止」と書いた方がいい、という記事が注目を集めていました。ざっくり要約すると、AI学習禁止の方が制限の範囲が狭いし、Xの規約に「投稿した画像はAI学習に使うぞい」とあるので、本人が何を主張しようが意味がないというもの。言ってることはその通りかなという気がします。

この件とはちょっと切り口が違うかもしれませんが、個人的にAI学習に関する是非の議論がされる中で「嫌だな~」と思っていたことの一つに、「絵描きにプロフィール欄へAI学習禁止と書かせたこと(そうなる心境まで追い込んだこと)」があります。

前から主張している価値観ではあるんですが、私は「禁止事項が増える」という現象が嫌いです。よく挙げる例としてお花見禁止になった公園があって、一部の人間によるモラルなき行動によって禁止せざるを得なくなり、普通の人たちが利益を逸するみたいなやつです。禁止された内容からその背景を読み取れてしまうという意味で、禁止事項が増えるという現象が嫌い。

プロフィール欄なんてその人にとって自分を紹介するためのスペースも限られた大事な場所なのに、その一部を「○○禁止」というネガティブな文字列が埋めてしまうのが悲しい。きれいな花壇を作っていたのに、真っ赤なペンキで物々しく「禁止!」と書いた看板を立てざるを得なくなってしまった、そういう視点でAI学習には是非の非を感じます。

禁止内容にかかわらず「○○禁止!」の主張ってなんとなく思想っぽいような怖いような雰囲気をまとわせてしまうから本当に嫌なんですよね。ここは治安が悪いことになってますよというサインでもあるし。かといって本人にとっては由々しき問題だし、自分はおだやかに生きたくても抵抗のために争うことが必要な場面はどうしたってあるしでつらい。

ルールがびっしり壁に貼られたラーメン屋みたいなのがネットで語り草になったりしますが、あれも○○禁止という争いに身を投じた店主のなれの果てかなぁと考えるともの悲しさがありますね。まあ本人の資質であったり、ものごとの程度や限度というものがあるので、禁止を訴えている方が一概に被害者だとは言い切れないのですが・・。

プロフィールから奪われた6文字のスペース、どうなるのか。

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