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【持論】アート、デザイン、エンジニアリングの境目 - ①アートとデザイン

デザイナーとして生きていて、「デザインとは何ぞや?」を言語化できなくて困ることがちょいちょいあります。
デザイン思考とかのキーワードが浸透してきたおかげで、デザインの本質みたいなものが非デザイナーの方々にも伝わってきているのですが、「デザイナーが単なる絵描き職人でないことはわかったよ。んで、じゃあ何をしてくれるのさ。どこまで任せたらいいのさ。全部任せないとダメなの?」と問われると、イマイチうまく言語化できないのです。

できないなりに、「アイデアが生じてから世に出るまで」を図にしてみると、以下のような感じです。

(アイデアの起点はアート・デザイン・エンジニアリングのどこからでもあり得ますが、世に出る際には必ずエンジニアリングを経由します。
例えば、画家が絵を制作し世に出すにあたって、顔料・染料の調合や酸化防止材の塗布など、技術的過程を必ず経る... というような。)

アート、デザイン、エンジニアリングの境目の、溶け合ってるあたりがうまく言語化できないわけです。
それでもどうにか、その時々で伝わりやすそうな事例とか引っ張り出して説明を試みるわけですが... なんか毎回言ってることに破綻や矛盾が生じてしまいます。

ここらで1つ、自分の思うところの「デザインとは何ぞや?」を整理すべく、キーボードを叩き始めた次第です。

... そして一ヶ月が経過しました。想いが溢れて止まらない。
全然まとまる気配が無いので、やや強引に、3ヶ条ほどで言い切ってみることにします。

有形無形問わず、人間のあらゆる創作行為(※)はアート、デザイン、エンジニアリングの3つによって為される。
デザインとアートの境目は、「目的が客観的に明確か否か」にある。
デザインとエンジニアリングの境目は、創作時の視点にある。
ユーザ視点で創作物にフォーカスするのがデザイン、作り手視点でフォーカスするのがエンジニアリングである。

※ここで言う創作行為には、プロダクトやサービスの開発のみならず、農業とか法の制定とか販路の開拓とかも含みます。

上記3ヶ条で私の言いたいことほぼ言い切っていますが、ここに至る思考にご興味ある方は、以下、お読み下さい。

なお、異論・反論はソフトな言い回しならウェルカムです。キツい意見は要らんです。キツイこと言う人は口をつぐんで山奥に引っ込んで大自然の中で風化すれば良いです。

デザインとアートの違い - 「目的が客観的に明確か否か」

よく耳にするフレーズとしては、「アートは自己表現、デザインは問題解決」と言うのがあります。
が、実のところ私としてはこの言い回しがしっくりきていません。

デザインにはデザイナーの好みや主張といった自己表現が多かれ少なかれ確実に内在します。
アートが何らかの問題を解決する場合もあります。観光資源として役立ったりとか。

また、デザインは必ずしも問題解決ではありません。

例えば、「物凄く手触りの良いスマホ」が創り出されたとします。
それがヒットしたら「デザインの良いプロダクト」と世間から認識されます。
だけどそれは問題解決なのか?と思うのです。「スマホの手触りが悪い」と問題視する人がいたのか?または潜在的に手触りが問題となっていたのか?と疑問に感じるのです。そこに問題はあったのか?と。
「別に問題は無かったけど、より良いものを作った」が実態では無いのか?と。

「問題」というワードをどうとらえるかにも依るのですが、アートかデザインかの違いを言語化する時に「問題解決」という言葉を前面に出してまうと語弊が生じます。

私としては、「目的が客観的に明確か」がキーになっていると考えています。
「手触りが良いスマホ」の例えで言うと、「手に持った時の心地よさを増す」という目的が明確です。
世の中のデザインされたもの見ると、それぞれ「何のために存在するのか。何のためにそういう形をしているのか」という目的が明確に存在しています。(この場合、「問題解決」は目的の一種です。)

それに対して、存在理由や在り方の根拠が曖昧であり、客観的に理解しづらかったり、幾通りにも解釈できるものがアートなのでは無いかと考えます。作家側に「世間へのメッセージ」や「特定の為政者への批判」といった明確な目的があったとしても、それが客観的に明確で無いなら、それはアートだと見なせます。

そして、「アートかデザインか」の判定は視点によって変わり得えます。

例えば、「殺風景なゲストルームで、客人が寛げていないから、壁に絵を描いて賑やかにした」という行為があったとして、描いた側には「客人が寛げる空間を作る」という明確な目的がありますが、それを見た客人側は「何やら賑やかな絵が描かれている」と曖昧に認識します。
作り手にとってはデザインだけど、受け手にとってはアートである、という状態です。

デザイン業務をする上で、意図せずアートをしてしまう場合があります。
(自分の趣味・嗜好が過剰に入っていたりとか、手段・手法にこだわって目的意識が薄まってたりとか、デザインをしているつもりなのに他者の目にはアートとして映っていたり、とか。)
それが結果オーライな場合もありますが、デザイン意図がアウトプットに体現できていないのは、デザインとしては失敗です。
そうならないよう、「目的は明確か」「客観的に意図が伝わるか・体現できているか」を問い続けるのが重要です。
さらに言うなら、「目的が達成できたかを、どう客観的に評価するか」まで明確にしてデザインしたいですね。

注記:お金・名声は「目的」に含めない

上記の「目的が客観的に明確か」という観点について、報酬や賃金を「目的」に含めてしまうと話がややこしくなります。

「絵を描くにせよプロダクトを開発するにせよ、お金を稼ぐという明確な目的があるのだから、『目的が明確=デザイン』という理屈だと全部デザインなんじゃないの?」と。

この点についてですが、お金は「成果物が他者に受容された場合に得られる副次的なもの」と捉え、「目的」には見なさない、と考えることにしています。「名声」も同様です。ここで言う「目的」とは、あくまでアートないしデザインの成果物が受け手に対して直接的に与える効果に限って考えます。

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本記事内でデザインとエンジニアリングの境目についても述べるつもりだったのですが、長くなってしまったので別記事に分けました。


[お読み下さりありがとうございます、の意を込めたステマ↓]

(イラスト元:LINEスタンプ「黒柴センチメンタル」


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