私が鬱から立ち直ったきっかけは参考にならない

※これから書くことは、多少過激な内容を含みます。

「鬱」と言う単語に惹かれてクリックして下さった方、もし精神的に不安定でしたら読まないことをおすすめします。


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こちらでは何度も書いているが、私は19の時に鬱を発病し、40目前の今も絶賛精神障害者だ。

しかし、鬱で死ぬことしか考えられなかったはずの私は、大学を5年かけて卒業したあと

アルバイトとは言え社会復帰を果たす。

ここだけ聞くと「19歳から治療して徐々に良くなって、社会復帰した」と思われがちだが、実は全く違う。

20歳~22歳がどん底だった。そう、「徐々に」回復したのではなく「どん底から一気に」回復したのだ。

閉鎖病棟に入って、少し回復して開放病棟に移っては自殺未遂をやらかし、保護室に入れられ、また閉鎖病棟に戻り、、、

当時、私はこのループを3年くらい繰り返していた。

そう、はっきり言って「終わってる」ヤツだ。

しかし、とある一つの出来事がきっかけで、私はこのループを断ち切って大学に復学し

一年で単位を取りまくって卒業

その後、塾で教壇に立ちながら夜間大学にも通うこととなる。

よく聞かれるんです。この「きっかけ」。

今、鬱のループから抜け出せない人はどうしても知りたいですよね。ループを脱したきっかけを。

参考になりませんが言います。


親父の援助交際が発覚したんです。


母親からわざわざ病院に電話がかかってきて、受話器越しに泣きながらそう告げられました。

純粋に「馬鹿かよ」と思いました。父にも、母にも。


親父、こんな馬鹿なことしてるのに、のーのーと偉そうな顔して生きて、鬱の私を「甘え」だ「怠け」だ言って殴る。

母、さんざん娘を精神的虐待で追い詰めて鬱にしておいて、辛くなったら私に助けを求めてくる。


あぁ、私の親は本当に救いようのない馬鹿なんだ。

こんな人間失格な人たちがのほほーんと生きてるのに、なんで私が苦しんだあげく死ななきゃならんのだ。

生きなきゃ。自立しなきゃ。病棟ループしてる場合じゃない。

こんな救いようのない親の金で飯を喰っていくのはごめんだ。


これが、私が病棟ループ…ひいては鬱ループから脱したきっかけでした。

ね?参考にならないでしょ?(笑)


しかし、そこからの巻き返しは我ながら凄かったと思う。

とりあえず翌日にはデイケアを覗かせてもらい、退院後のイメージトレーニングを始めた。

退院できたとして、引きこもってるわけにもいかないから、外出許可が出てる時間はフルで散歩に出かけた。

この時に始めたのが「楽しそうに外出すること」。

それまでは外出許可が出ても、コンビニで必要物資買って終わり…だったが

例えば花が咲いてる場所に行って、写メを撮って

眺めながらお菓子とジュースで一杯(?)やる。

病棟に持ってきてる手持ちの服で精一杯のオシャレをする。

メイク道具も一切無いけど、せめてリップクリームを塗って出掛ける。

そしてその姿を自撮りする。

川をバックに満面の笑みで撮った自撮り写メが今も残っている。

当時は薬の副作用で今より30kg以上太っていた

自分は病棟ループの中にいて、親父が援助交際発覚した人とは思えない笑顔(笑)

そしてこの川はかつて身投げをしたことが(以下略)

病棟の屋上に洗濯物が干せるのですが、そこで撮った自撮り

これが効いた。

楽しそうな自分の顔を携帯にたくさん残して、病棟に戻ってそれを見てると

自分が楽しそうに見えてくるのだ。

病棟ループを脱する第一歩は、

「私、死にたくなんかないですけど?生きてて楽しいですけど何か?」を、嘘でも実践することから始まった。

ある種の「洗脳」だったかもしれない。自分は人生エンジョイしてますよっていう。

元来の性格が「楽しくないと死んじゃう」タイプだったから効いたのかも。

もし、参考に出来る人がいたら是非参考にしてください。

いや、参考にならないから!(笑)

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