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塩野三姉妹

塩野七生さんが三姉妹の中の一人で、かつ末っ子ではないことは以下の文章からもわかる。

三人姉妹の中で私だけが母の帯や着物をもらったのは、生前の母はお仕舞をやっていて、謡のテーマごとに白生地に染めさせていたからである。(想いの軌跡『帰国のたびに会う銀座』)
銀座が私の仕事に関係する場合は少ないので、銀座に行くのは一人か、それとも妹とかでなくても親しい仲の編集者と一緒ということになる。(同上)

ただし塩野さんが長女か次女かを断定する資料は今のところ見つけられていない。ただ「妹」にふれたエッセイはわりとあるのに「姉」について記載したものがここまでない以上、普通に考えると塩野七生さんは長女なのかなとも思えてくる。

私の妹は、アントニオがそばにいれば安心だと喜んでいます。(婦人公論 95年5月号『溺愛し、突き放す、塩野流子育ての極意』)

ただどうもしっくりいかないのは、塩野さんのエッセイに出てくる「妹」が決して「妹たち」では無いということ。また妹が二人いるにしてはそれぞれの「妹」に対して記述がほとんどないことである。一流の文筆家の塩野さんが肉親の妹たちをこれほど無個性に描けるだろうか。

ここで想像を逞しくして考えると「ある仮説」が妙に説得力を持ってくる。すなわち、長女は父・塩野筍三氏の連れ子で、再婚後の長女こそが七生さんではないかという仮説である。note『塩野七生さんの父親』で書いたように塩野七生さんは父親が30代前半の頃の子供である。太平洋戦争前という時代を考えると父親は再婚で七生さんを授かったと考えるほうが自然な気がしてくる。

とはいえ「想像する」だけでは自称塩野七生研究家の名折れというもの。さらに精進せねば。TO BE CONTINUED.