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One night stand

立ち寄ったコンビニの日用品棚の前で彼女は唐突に笑い出した。
「ごめん真野くん、わたし歯ブラシ捨てたの」
俺は一瞬、何のことかわからなかったが、すぐに、俺が前回、彼女の部屋に置いていった歯ブラシのことだと思い至った。面白い女だ。やはりいい、と思った。

Photo : Emilia Clarke / star wars

 それがもう3か月前のことだ。俺は咄嗟に、「ワンチャン野郎だと思われたんだよね、逆に燃える」と言って彼女を笑わせた。彼女は「ごめんごめん」と愉快そうに身をくねらせた。逆に緊張したのは、3回目に彼女の部屋に行ったときだ。歯ブラシを買うべきか、セブンイレブンの前で逡巡し、買わずに行くほうに賭けた。そうしたら、今度はちゃんと歯ブラシ立てに立ててあった。その歯ブラシ立てはきっと前の男のために買ったものだろう。

 4回目、近場の飲み屋で落ち合って、彼女と連れ立って部屋に向かうとき、俺は曲がる角を間違えて、彼女に「ねえだから、誰の部屋と間違えてんの」と笑われた。そのやり取りは2回目で、単に俺が道を覚えないだけの話なのだが、1回目は「誰の部屋だろうね」と笑って返したものの、今回はなぜか譲れなかった。「誰の部屋とも間違えてないよ。」彼女はくすりと笑って済ませた。

 5回目、「わたしこんなきれいな身体の人はじめて」、俺の膝の上で俺に触れながら彼女は言った。俺は「遊んでるのに?」と彼女を見上げた。彼女は黙って微笑み、流し目をした。俺が「好きになってもいい?」と聞いたときと同じ目。

 この3か月、彼女に「今日は無理」「気分じゃない」などと適当にかわされても俺は気にせず連絡し続けた。自由でドライで言いたいことを言う女は、すっきりしていていい。それで結局3か月も会い続けているのだから、彼女のほうも、やぶさかではないはずだ、それくらいは思い上がる余地が、俺にもある。

 さっき、俺が「やべ、パンツ忘れた。買ってくる。」とつぶやくと、彼女は脱衣所から顔をのぞかせて言った。「1枚置いていけば」。「え、いいの。ついに」と俺は言った。「何それ、ついにって」と彼女は笑った顔を引っ込めた、笑い声の余韻が残った。

 コンビニから戻ると、まだシャワーの音がしていた。俺は会社のメールをチェックし始めた。明日の朝、本番反映するリリース記事のスケジュール設定を忘れていたことに気が付いた。Macは会社のデスクに置いてきたままだ。朝早く会社に行けばいいだけなのだが、できることならいまやってしまいたい。俺は、彼女のPCが開きっぱなしなのに気が付いた。俺が来たとき、彼女はまだPCに向かっていたから、もしかしたらネットだけなら開けるかもしれない。

 キーを叩くと、Windowsのロック画面。落胆した。さすがにパスワードを解除するほどの下世話さはない。が、戯れに俺は、自分が彼女の誕生日を覚えているかどうか試すつもりで、4桁の数字を入れてみた。確かさそり座だったはずだ。そして、11月だったはずだ。何かの祝日・・の近辺ではなかったか。1121。

 俺は自分の記憶力に生まれて初めて驚いた。一発でロック解除。無防備すぎやしないか。家のPCなんてそんなもんか。ロック解除できてしまうと何やら後ろめたさが一気に増すのだった。やっぱり記事は、明日でいいか。

しかし、俺は画面に目を止めた。書きかけのその画面は、ブログだった。

凌くん、やっぱり他にも何人かセフレがいた。それは別にわかっていたことだった。わかっていて続けていたことだった。

前の男だと直感した。
 初めて俺がこの部屋に来る前、あの店で彼女は言っていた。「少なくとも3股はかけられてましたね。まあ、わかってたんですけどね。」その男を追い出したのは数日前のことだと言う。俺は、面と向かって「それで自暴自棄になって、穴埋めにあなたを呼びました」と言われているようなものだったが、合コンのときあんなに感じのよかった彼女が、だるそうに前の男の話をして、今日はだから遊びです、と涼しい顔をしているのに、興味を惹かれたのだ。

シャワーの音が止まった。俺は思わず、そのブログのタイトルをiPhoneで検索し、ブックマークした。

またシャワーの音が続く。面白いものを見つけたと、なぜか俺は興奮しているのだった。

(真野 1話)

連作の小品集を始めましたmm


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