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終わったらすぐに帰ってほしい

早朝、お風呂場の排水口に残った、その男の子の短い髪を見下ろしてわたしは思った。あ、うん、やっぱ、無理だな。

部屋でシャワーを浴びていく男の子は久しぶりだった。滅多に人を部屋に入れないわたしが、凌くんと別れたはずみで招き入れたその男の子は、遊び慣れているからこそそれなりに紳士で、別に居心地は悪くなかった。それでも、セックスして数時間で別れる生活が長かったわたしには、セックス、シャワー、一緒に寝る、朝起きる、支度して一緒に出る、というプロセスは長すぎた。遊びなんだから、やったら早く帰ってほしいとさえ思う、まもなく33歳になろうとしている自分を、客観視しすぎて感情さえ湧かない、土曜の朝。まもなく秋が来る。

photo : とてつもなく美しいFergie姉さん by M.I.L.F.$ MV

凌くん、やっぱり他にも何人かセフレがいた。それは別にわかっていたことだった。わかっていて続けていたことだった。そしてこっそりブログで「セフレでなぜ悪い」とか豪語してきた。でも、わたしの腕のなかで、全体重を預けてすやすや眠る凌くんの、その手元のiPhoneにこれでもかと表示される女の着信を、わたしは無視できなかった。

23時と2時の2回の着信と、「りょうちゃん、帰ってるうー?」「ねええええってばあああにゃあああああ」という甘ったるい若い女のメッセージ。

がっくし、という擬態語がピッタリくる動作でわたしは頸椎を折り曲げた。わかってた。知ってた。やっぱそうだったか。あー、終わりにするのは今日なのね。そうかそうか。まあ、覚悟決めよう。丸3年にわたってずっと、思い描いていた、身も蓋もない、あっけない最後がやってきたのだ。

凌くんを起こして「これ完全に黒じゃん。気づかないとこでやってるならまだいいかと思ってたけどこれは無理。もう会わない」と告げた。

まだ眠そうな彼は「そうっすね~」と生返事。「わたしのために他の女、全部切れないんでしょ」「無理っすね」「じゃあもう会わない。ねえ、わたしのこと好きなの?」「難しい質問ですね」「殺す」「やだ」「もう二度と返事しないから。会社でも無視」「いいですよ、それで」「あんたほんと悪魔みたいな男だね」「ふ」

そのうえで、なぜ玄関で「おやすみなさーい」とかって言えるのだろう。わたしは返事をせずに扉を閉め鍵をかけた。終わった。

数時間後から、わたしは会う人会う人「絶対に結婚するって決めた」と言って回った。すぐに独身の友人を紹介する段取りをつけてくれる人が数人いた。彼氏がいるんだかいないんだか謎めいた行動をとってきたわたしがフリーを公言したことで、食事に誘ってくれるであろう男の子の顔も数人は思いついた。

放置していた食事の誘いに返事をして、すぐにつかまったその男の子は、「金曜日の夜に誘われたら帰したりしませんよ」と返信してきた。凌くんを追い返してからのこの1週間。昔からの男友達や昔のセフレを呼び出しては管を巻き、結局何回かはベッドで旧交を温めることになるという、この、遊んでいた20代を高速で再現するような1週間を経てなお、わたしはまだ遊び疲れていなかった。彼がそう来るならそれでもいっか、と、23時を回った頃、家のそばのバーに呼んだ。

どうせセックスするだけなんだから、その前に湿っぽい恋愛の真似事をしたりしない人だった。それがありがたかった。どうせやりたいだけなのに、恋愛の真似事で口説いてくる小賢しい男の子はもうたくさんだ。わたし、いま恋愛する気はない。悪魔のようなセフレ相手に、一世一代の大恋愛をぶって、自分でびりびりに引き裂いて捨てたばかりだもの。

変に口説かず、淡々と仕事の話をして、会計前に「綺麗な人を夜中に置いて帰る趣味はない」とだけ言って、店を出たら腕を組む。晩夏の小雨、濡れたアスファルトに湿った足音を押し付けて、ふたりで静かに帰宅した。

嫌なところは何もなかったけど、座位で彼は言った、「好きになってもいい?」わたしは、「わたしのこと好きなの?」と聞かれた凌くんの気持ちがわかった気がした。「ん?」と小首をかしげてほほ笑んで、腰の動きに没頭した。彼だってどうせ本気ではなく、マナーとしてのリップサービスなのだろう。カサノヴァ的な、中世的な本物のプレイボーイなんだなと思って、少し笑った。

一回きりでいいの。そして終わったらすぐに、帰ってほしいの。さすがのわたしも、マナーの観点でそうは言わなかった。この一夜を心地よく気持ちよく終えるために協働する立場にあったから。

でもやっぱり。お風呂場に残った彼の短い髪を眺めて、「もういいな。」って思った。彼は「またくるね」って帰っていったけど、わたし、もう返事しないと思う。全然いらない。

愚かにも凌くんにあれほどの愛情を注いでおきながら、こんなに適当にセックスできて、簡単にやり捨てて何の感情も湧かない自分の分裂ぶりに、多少、ぽかんとしている。まあ、自分とは何か、自分とはどういう人間か、なんてもはやナンセンスかな。しばらくは、いつでもやれる凌くんがいないこの環境に慣れなきゃと、注文した”プレジャーアイテム”の柔らかいシリコンの手触りに微笑み、淡々とキーボードに向かうのであった。

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