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孤独な男が好きだ‐ウォードが好きすぎる④

他人に心を開かない男ばかり好きになる。「わたしにだけは心を開いてくれるから」、とかそういう甘ったるい理由じゃない。もっと命がけだ。そんな自意識を甘やかすような、甘っちょろい恋愛、この歳でもう、する気はない。

引き続きNETFLIX「アイアン・フィスト」脇役ウォード・ミーチャムについて。
ウォードを称える海外記事を見つけた!!狂喜乱舞!!!
写真 : Why Ward Meachum is the real hero of 'Iron Fist'

これまで3回にも渡ってウォード・ミーチャムへの愛を迸るように記述してきたわけだが。

なんでこんなにウォードが好きなんだろう。

と、考えた。それはやっぱり、「心の中に入れてもらえない感じがするから」っていうことなんだと思う。

とかくわたしは、相手が心を開いてくれなければくれないほど、燃え上がる体質らしい。彼が抱えている孤独を推して知り、その孤独の冷たさと重さを肌で感じ、それなのに、分かち合えない遣る瀬無さ。その遣る瀬無さがわたしを、愛の深淵に向かわせる。ときどき自分でその淵を覗き込んで怖くなるくらいだ。

わたしがもし、リアルにウォードと恋仲だったとしても、ジョイのように、ウォードに

あなたにどんな秘密があっても、わたしがあなたを思う気持ちに変わりはないわ。だから、どんなことでも、わたしに話して。

なんて口が裂けても言わない。

「わたしに心を開いて欲しい」、なんて。面と向かってそんな懇願をしてしまうくらいなら、こういう孤独な男は選ばないほうがいいのだ。

孤独な(or孤独を気取った)ヤリチンに泣かされている女の子たちの大半はこういう子たちだ。自分が、彼らの、「最後の女」になるという一縷の望みに縋るのだ。「だって、わたしは脚を開いたじゃないか。」でもそれって物々交換と一緒でしょう。わたしの身体を差し出したからあなたの心をくださいというロジック。

それはナンセンスだ。

男も女も孤独は孤独。それは、本来はお互い様なのだ。自分の孤独には自分で向き合うのみ。桜井さんが90年代すでに、こう歌っていたでしょう。

どれほど分かり合えるどうしでも 孤独な夜はやってくるんだよ

天才やな。2020年を目前にし、今聴いてなお新しいこのフレーズ。まじで桜井和寿天才。

孤独には孤独を

そもそも、孤独なウォードを愛してしまう時点で、わたしが孤独な人間なのだ。

自分の孤独も自分の苦悩も、この心の中に実在として感じ取れるのは、自分だけだ。言葉を交わそうが身体を交わそうが、この苦悩は永遠に、自分だけのものだ。

そのことを引き受けて生きていける人が好きなのだ。だから、ウォードが好きなのだ。彼の、あくまでも、自分で背負って生きていくスタンス。

だから、ウォードの孤独を、ウォードの葛藤を、ウォードの苦悩を、どれほど深く理解していても、わたしはウォードにわざわざ「わかってるよ」なんて言わない。わざわざ「何があっても愛してるよ」とも言わない。彼が疲れて、わたしに休息を求めたときにそこにいてあげればいいだけ。めったに心を開けない彼が、ちょっとだけ背中のファスナーを開けて休息している姿が何よりも愛らしいではないか。その背中を盗み見て、ほくそ笑んで、そして、孤独なウォードが、自分の二本脚を踏みしめて、また歩き出すのを見守るのみ。

まあ、文字通り、画面の向こうから見守ってるだけだからな。

さんざん恋人みたいに語ったけど、ドラマの脇役の話ね。知ってる。寝るわ。

↓本当に苦しそうなウォード


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