「バンクシーって誰?」毛利嘉孝さん& 鈴木沓子さん1万6000字インタビュー(*ブック&DVDガイド付)

※初出:電子雑誌『トルタル 5号』(2014年8月31日刊)

バンクシー本3冊を一緒に翻訳している東京藝術大学大学院教授・毛利義孝さんと一緒に、2014年、電子雑誌『トルタル』で取材を受け、バンクシーについて語り尽くしました。そのロング・インタビュー全文を『トルタル』さんのご厚意により、noteで全文を転載します。バンクシーの作品画像付きで読みたい方は『トルタル5号』を下記よりダウンロードしてください。https://note.mu/tekigi/n/n4aa859c8f2c1

正体不明のストリートアーティスト、バンクシー(Banksy)。世界各地にゲリラのように出没し、ステンシル(型紙にスプレーを吹き付ける手法)で、政治色の強いグラフィティ(落書き)を描き続け、いまや世界でもっとも有名で、影響力のあるアーティストの1人になっている。彼はいったい何者なのか。何をしようとしているのか。分かるようで分からない。でも、直感的に、すごくおもしろいことを、大切なことを、そして、何だかうらやましいことをやっているような気がする。ずっと気になっていました。

そんなある日刊行されたのが、バンクシー初の作品解説集「BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT日本語版」(パルコ出版)とバンクシーと昔からの仲間たちによる世界唯一の”非公式”ガイドブック「Banksy's Bristol : HOME SWEET HOME」(作品社)。ひょんな縁から、この2冊の翻訳者・毛利嘉孝さん、 鈴木沓子さんにインタビューすることができました。この原稿は、その内容をお二人の協力で再構成したものです。

話題は、バンクシーの活動紹介にとどまらず、90年代のイギリス、アート、戦争、政治、カネ、アナーキズムなどなど多岐に渡ります。少々長いかもしれませんが、いま改めて考えておきたいあれこれが詰まっていると自負しています。ぜひ最後までお楽しみください。(インタビュー&構成:古田靖)

謎のステンシルアーティスト

——最初どのようにバンクシーを知ったんですか?

鈴木  2000年頃、ロンドン東部のアーティストや移民が多い地域周辺で、ステンシルの作品を多く見かけるようになったんです。バズーカ砲を構えるモナリザとか、スマイルフェイスの機動隊とか。オールドストリート駅のそばのビルの壁には、映画『パルプフィクション』のトラボルタとサミュエル・L・ジャクソンが銃の代わりにバナナを構えている大きな絵が突然出現して、若者の待ち合わせ場所として定着していました。でも当初は誰が描いているのかはわかりませんでした。

毛利 僕は1994年から98年までイギリスに留学していて、同時に雑誌で美術や音楽関係のライター仕事をやっていました。でも、その時はバンクシーのことをほとんど知らなくて、はっきりと意識したのはその後2002年にイギリスに戻った時ですね。最初はグラフィティじゃなくて、小さな自費出版本の作者としてでした。

鈴木 最初の画集ですね。自費出版にも関わらず、ベストセラーになった伝説の画集シリーズ。豆本サイズの3冊セットで、毛沢東の『リトル・レッド・ブック』にかけて『リトル・ブラック・ブック』。『Wall or Peace』のもとになった本です。

毛利 ICA(Institute of Contemporary Arts)のような美術館のブックショップやギャラリーでも売ってたんですよ。小さな本3冊でたしか一冊1000円ぐらい。あちこちに置いてあって、それで存在を意識したんです。

鈴木 あれで一気に知名度が広がりましたよね。「最近ロンドン市内で見かける壁のステンシル画ってアートだったのね」って。もともとバンクシーの作品って、現代アートもグラフィティの知識もない人にもわかりやすい敷居の低さもあって。いわゆるグラフィティの世界って、独特の署体とかルールや世界観があって、素人には解読できないことが多いと思いますが、バンクシーの作品は誰が見ても、ぱっとみてわかるし、伝わる。思わずくすっと笑ってしまうブラックユーモアや、センスの利いた風刺があって、もちろんビジュアルのカッコよさもあるから、すぐに話題になりました。

——でも、まだ名前は分からない。

鈴木 ずっと「誰が描いているんだろう」と噂になっていたのですが、それがバンクシーという人による作品だと知ったのは、はじめての個展に行った時のことです。「今度あのステンシルワークの人がウェアハウス(倉庫)を借りて何かやるらしいよ」と聞いたので見に行きました。そうしたら、ステンシルの作品が展示される中で、胴体に”BANKSY”とスプレーされたブタまで会場にいて、「これは一体......?」と思っていたら、抗議に来た動物愛護団体の人が座り込みを始めて、ニュースになったら、最後は警察が来て、(展覧会は)3日位で終わっちゃった。

90年代の”クール・ブリタニア”と政治

毛利 バンクシーが登場した背景には、美術の文脈では前段がありますよね。イギリスはもともと美術があまり盛んでないといわれる国ですが、90年代だけに突如盛り上がりを見せました。中心になったのはYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と呼ばれる一連のアーティストで、ダミアン・ハーストを始めとするアーティストが続々と登場したんです。

鈴木 YBAは美大生周辺で始まったムーブメントで、輪切りにした牛の親子をホルマリン漬けで展示したダミアン・ハーストの『Natural History』のような、とがった作品群が特徴でした。勢いがあった。

毛利 YBAの若手アーティストの多くはロンドン大学のゴールドスミス・カレッジ出身で、ダミアン・ハーストも卒業生です。この大学生ネットワークがYBAの成功のベースにあるんですね。ダミアン・ハーストは初期に、やはりゴールドスミスを中心に結成されたブラーのプロモーションビデオを撮ったり、ジャケットを描いたりもしています。音楽はブリットポップが席巻して、映画では『トレイン・スポッティング』が世界的ヒット。「クール・ブリタニア」なんて言葉がつかわれるほどの勢いになりました。

鈴木 でも、サーチギャラリーがロンドン北部から、観光地化したリバーサイドに移転したじゃないですか。あの時に、ひとつの時代が終ったという気がしましたよね。ブレア政権主導で「クール・ブリタニア」と言いはじめて、YBAの一部のアーティストはある種の成功を手にしたのかもしれないけど、国のコンテンツ政策に買い取られたというか......。「美大生が新しいことやってる」という感じは消えちゃったなって。

毛利 久しぶりに労働党が政権をとって時代の雰囲気ががらっと変わったんですね。でもその幻想が続かなかった。

——ブレアが首相になったとき、若いミュージシャンもこぞって支持表明してましたね。日本ではあんまり見ない光景だなあと印象に残ってます。

毛利 オアシスとかね。長く続いた保守党政権のあとで、ブレアという若い40代前半のリーダーが出てきたことで期待が高まった。「クール・ブリタニア」はブレア政権の時の文化政策のスローガンです。今日本では「クール・ジャパン」という政策を政府が推進しているけど、その一種のモデルとなったものですね。

鈴木 パブに行くと若いサラリーマンもサッカーファンのおじさんも「オレたちのブレア!」なんて叫んでいる人を多く見かけました。「オレたち代表」って。その頃だけでしたけど。

毛利 最初はブレアも同性愛や移民に対する寛容な政策を出すなどけっこう頑張ったんですけど、すぐに新自由主義的政策を採って企業を優遇し、911の後はアフガニスタンとイラクでの対テロ戦争に加担したことで「やっぱり保守党と一緒だった」と失望が広がった。

鈴木 ブレアってイラク戦争がなかったら、どんな政策を施行していたんでしょうね。就任した当時は、長い保守党政権が終って、とうとう労働党の時代になって若い首相が出て来た盛り上がりと期待感が高くて、いま思うと、バブルだったのかもしれません。それが、イラク戦争で雲行きが一気に変わってしまった。世の中の景気は良かったのかもしれないけど、ある種のがっかり感が広がった気がする。政治もアートも音楽も。

毛利 結局、有名になったらアーティストもミュージシャンも資本主義や政治に取り込まれちゃって、という感じですよね。バンクシーは、この〈宴の後〉のタイミングで出てきたんじゃないかな。

鈴木 そう、まさに最後に真打ちが出てきたという感じ。

毛利 もともと僕はイギリスのブラックミュージックに興味があったんです。90年代、ダブやニューウェーブ、そしてヒップホップの影響を受けたトリップホップの中心地の1つがイギリス西部の都市ブリストルでした。ここはバンクシーの出身地。バンクシーはこのシーンの最後に出てきたニューウェーブという印象でした。

——期待された若い存在が、過去のしがらみやら権威、マーケットに飲み込まれてしまった。そのタイミングで出てきた。

毛利 そうそう。しかも、そういうものにまったく関係がないスタイルで、正体も不明。だからもちろんマーケットにも乗らない。

鈴木 何かをやってくれそうな感じがすごくするけど、実際のところ、何をやりたいのかすら、よくわからない感じもありました(笑)。なかには、下らないジョークやプランク(悪ふざけ)としか思えない作品も多くて、上手く錯乱させられるというか、尻尾を掴ませない。「たやすく回収されないぞ」っていうポジションづくりが上手いなと思いました。

毛利 ある意味で、ブレア政権に対する失望によって失われつつあった期待を一身に背負ったんですね。ダミアン・ハーストが最初に感じさせたカッコよさを、それとはまったく違う形で実現した。

——どこが違ったんでしょう。

毛利 やっぱり、彼はポリティカルなんですよ。政治を語ることはカッコいいのか、悪いのか。このことはずっとアートにとって重要なテーマでした。イギリスは日本に比べると政治を語るアーティストが多いと思います。とくに90年代後半はブレアへの期待が大きくなって、YBAのアーティストも積極的にポリティカルな発言をしていました。ところが思ったように政治がいかず、YBA的なアートも商業主義に取り込まれてしまった。少なくともアートの世界では積極的に政治に言及することはカッコいいとは思われなくなっていたんですよね。ところが、そうした雰囲気の中でバンクシーは直球で反戦とか反資本主義を訴えた。今でもカッコよく政治に関わることができるというのを見せてくれた。このこと自体かなり強烈なメッセージになったんですね。ハードな政治的メッセージを表現として提出する。これにはちょっとびっくりさせられた。

鈴木 グラフィティのルールと現代アート市場のシステムを上手く取り入れて、まったく新しい社会運動をはじめていると思って、はっとさせられました。私がロンドンでイラク戦争のデモに参加した時は、デモに参加することの大切さも痛感しつつ、同時にデモお約束のシュプレヒコールやスローガンを殴り書きしたプラカードに若干の違和感もあって。その中 で回収されちゃう怖さや、何か政府にお伺いをしている気も拭えなくて、他に方法はないのかなって。そんな時に、バンクシーは新しい方法論を打ち出そうとしているように見えました。運動が教条的に転じたり、体制側に回収される危うさを前提にした上で、グラフィティの陣取りゲームみたいなところを楽しんでる感じ。“市民の自由”も“公共性”も、権力者と市民との間で取ったり取られたり、それ自体をゲームみたいに楽しみながらも、かなり本気なところが。

バンクシーに会う

鈴木 彼のポリティカルな側面にはっきり気づいたのは2003年です。この年、ロンドン市内で史上最大規模と言われたイラク戦争反対デモがありました。その時にデモの参加者にはいろいろなプラカードが配られました。市民団体が作った「NO MORE WAR(戦争反対)」とか反戦のスローガンが書かれているもの。そのなかに、スローガンじゃなく絵だけのプラカードが数種類あったんです。それがバンクシーが描いたスマイリーフェイス(いわゆる「ニコちゃんマーク」)の死神や、ガソリンスタンドの給油先が銃口になって人の頭に向いている絵柄で、「ああ、やっぱりこの人がやろうとしていることは明確な政治的メッセージがあるんだ」と気付いて、興味がますます湧きました。

毛利 この年は、ブラーのアルバム「Think Tank」(2003年5月)のジャケットも手がけたりして、そこそこ知られるようにもなってました。

鈴木 その後には、パリス・ヒルトンのジャケットもジャックしていましたよね。これは『Banksy, You are an Acceptable Level of Threat』にも出て来るエピソードです。毛利さんは、ウォーホル率いるファクトリーのオマージュだったと指摘されていましたよね。

毛利 ウォーホルは大量生産・大量消費をシルクスクリーンという手法でアイロニカルに称賛することを通じて、資本主義の持つ民主主義の可能性を追求したわけですが、バンクシーは全く同じようにデジタル複製技術を使いながらハイパー資本主義のむなしさとくだらなさをやはりアイロニカルに示したんだと思います。

——鈴木さんがバンクシーにインタビューしたのはいつですか?

鈴木 インタビューしたのは2003年です。当時ストーカーのようにしつこく何度も取材依頼をしたら、写真撮影はNGで素性を明かさないことを条件に、インタビューに応じていただけることになったのですが、問題は掲載先。わたしは当時日本の新聞社のロンドン支局にいたのですが、さすがに新聞には掲載できなかったので、既に日本に戻っておられた毛利さんに相談しました。

毛利 雑誌『スタジオボイス』を紹介しました。紹介した編集担当はアートに詳しい鈴木真子さんだったんですけど、彼女ですら、バンクシーにそんなにピンと来ていたわけじゃなかった記憶があります。まだ日本ではあんまり知られてはいなかったんでしょうね。

鈴木 わたしが毛利さんに国際電話をかけて3分くらいで「バンクシーってロンドンの壁にステンシルアートを描いている人がいて、イラク戦争反対デモでは無料で絵のプラカード配ったりして、とにかくおもしろいんです」って勢いだけの雑な説明したら(笑)、すぐ「おもしろいね、鈴木真子さん紹介するから」ってわかってくださって。

「スタジオボイス」の中の「BAD INTERVIEW」(2004年8月号)というコーナーに見開き4ページいただいて、ロングインタビューを掲載していただきました。バンクシー側からの唯一の条件は、“顔写真はNG”でした。でもボイスの鈴木さんからは「このコーナーには顔写真が必須です」と言われて困ってしまって。広報担当にそれを伝えたら「代わりにこれを」といただいた写真が、地下鉄に乗る本人風の男性が「バンクシーって誰?」という見出しの記事が掲載された新聞を読んでいる風のポートレイト写真でした。あの写真はイメージです(笑)。

毛利 2003年のイラク戦争は、日本でも若いミュージシャンやアーティストが政治を語る一つの契機だったんですよ。日比谷とか国会議事堂前だけでなく、渋谷でデモがあった。サウンドデモと称してミュージシャンや音楽雑誌の関係者とかもずいぶん集まった。ピチカート・ファイヴの小西康陽とか中原昌也など、それまでポリティカルな発言をするイメージはなかった人が参加して、しかもすごく自然に受け入れられるような空気になっていた。

——インタビューの印象はどうだったんですか。

鈴木 すごく真剣に「革命を起こす」という意志を持っている人なんだと感じました。現代アート界とか限定された範囲ではなくて、ほんとうにこの世界をひっくり返したいんだなと。今でも覚えているのは「この資本主義社会の世の中では、ただ生きているだけで、知らず知らずのうちに誰かを搾取していることになる。だから自分の出来ることを自分のやり方でやっていくしかない」と話していたこと。「自分はビジュアルという手法をつかって、その革命を起こすんだ」とも。

——本気なんですね。

鈴木「これはビジュアルを使った革命なんだ」という声明文は、当時ホームページでも公開していました。本気じゃなければ、逆にここまで続かなかったと思います。

バンクシーはストリートのパンクである

毛利 グラフィティはヒップホップとの関わりがよく言われるけど、先日DOMMUNEのバンクシー特集で話したとき、宇川直宏さんはバンクシーにはパンクの影響を感じると言ってましたね。僕はこのことをそれまできちんと考えたこともなかったんですけど、たしかに1970年代のパンクは、クラスに代表されるようにステンシルをけっこう使っています。いわゆるストリートアートの世界では、ステンシルはメインストリームじゃない。とくにアメリカでは、スプレー缶で直接描くのが基本。わざわざ型板を切抜いて、事前に準備をしなくちゃいけないステンシルはヒップホップ的なスピード感がないんです。

鈴木 現場ですぐ描けるから、逃げ足が速い。「だから臆病でチキン(弱虫)に見える(笑)」とは本人も言っていました。

毛利 でもステンシルの美学もあるんですよね。そのルーツはパンクなのかもしれません。

——パンクは世の中全部にツバを吐くような感じがあると思うんです。そことポリティカルな主張が結びつくのっておもしろいですね。だからオアシスのように新しい政権に期待するわけじゃない。ましてやボノのように企業を巻き込んだりもしないんでしょうか。

毛利 アナーキストですよね。これに対して、例えばオアシスはすごくイギリスっぽいバンドです。彼らはやっぱり労働者階級のバンドで、同じ立場の若者が応援するという分かりやすい構図がある。出身地であるマンチェスターのサッカーチームを応援したり(笑)、主張はちょっと社会主義っぽくもあって、ある意味、古き良きイギリスのバンドの伝統みたいなところがあります。バンクシーは、こういう階級意識やイデオロギーに寄って立たない。

——バンクシーにとって、ポリティカルなメッセージを発信することとアーティストであること、どっちが主なんでしょう。

鈴木 その境界はいい意味で曖昧な気がします。

毛利 僕は直接話したことはないけど、たしかに「アートかどうか」ということにそもそもこだわってはいない気がしますね。

鈴木 今回の本でも、「アーティストと捉えられることは別に構わない」と書いていますよね。バンクシーはバンクシーというジャンルと活動をつくったと思うので、どう呼ばれようと構わないという気がしました。一方で、周到な戦略は持っている。

毛利 日本だと、政治に近づくほどアーティストとしての評価は否定されてしまう側面がありますよね。でもイギリスには両立できる風土があります。バンクシーにとっては、どちらもたぶん関係ない。どっちでもいい。そういう区分けに興味がないんじゃないかな。

鈴木 肩書きにはこだわっていないけど、すごくこだわっている点があるとすれば、ストリートに居つづけること、“リアル”であることなんじゃないかな。

大英博物館、パレスチナ分離壁という”ストリート”

——ストリートにこだわる一方で、2005年、大英博物館内に『※街外れに狩りにいく古代人』というタイトルの作品を勝手に置いて騒動になっています。これは何だったんでしょう。
(※スーパーマーケットのショッピングカートを押す 古代人が描かれた壁画のかけらを大英博物館内に無断で展示。いったん撤去されたが、後日、大英博物館によって正式なコレクションに加えられた)

毛利 この事件は、特に印象に残ってます。新聞やテレビでも結構取り上げられて、僕もこの当時日本の雑誌にこの事件について記事を書きました。この作品は、壁画のかけらのようなもので遺跡から掘り出されたように一見みえるんですが、よく見たらおかしいとすぐ分かる。でも、1週間ぐらい誰にも気づかれずにそのまま展示されてしまった(笑)。小ネタではあるけど、おもしろいヤツがいるなと話題になりました。でも、バンクシーは権威のある場所に展示されたくてやってるわけではないでしょう。

鈴木 むしろストリート側から博物館をジャックするようなやり方ですよね。基本的にイタズラなんだけど、「古代の壁画は重宝されて、現代の壁画であるグラフィティは違法なのはなぜなのか?」という疑問を呈している。同時に、あの作品は1週間くらい誰にも気づかれずに展示され続けていたことで、貴重な遺跡とされているかもしれないけど、誰も作品を観ていないし、現代において価値なんてないんじゃないかという側面を露呈させている。でも、このあとのパレスチナでの作品は圧倒的にカッコよかったですね。

——イスラエルとパレスチナを隔てる※分離壁と、その周辺にステンシル画を描いた。

(※分離壁とは、イスラエル政府がパレスチナ自治区のあるヨルダン川西岸地区との境界に建設している壁のこと。2005年にバンクシーはここに「壁の向こうの空」「風船を手に壁を越える少女」「切り取り線」などを描いた。また分離壁そのものではないがその近くに残した「FLOWER」(花束を投げる男)もよく知られている。「PEACE」「平和の象徴」である白鳩が防弾チョッキを着て、壁の小さな扉を開けようとしているが、その心臓は銃で狙われている。イスラエルとパレスチナ自治区との分離壁を象徴した作品)

毛利 崩壊以前のベルリンの壁は、かつてグラフィティの舞台でした。

鈴木 バンクシーは「壁の向こう側」を描いたことで、グラフィティにおける「壁」を再定義したんだと思いました。

毛利 壁を発見する、みたいなね。

鈴木 地下鉄の車体だけじゃない。路上の壁だけじゃない。現代における「壁」は必ずしも目に見える「壁」だけじゃない。「壁」を“市民の自由を隔てるもの”と読み替えて、「発見」していますよね。

美術館での展覧会、そしてまたストリートへ

——2009年には、出身地であるブリストルの市立美術館で展覧会「ブリストルミュージアム VS バンクシー」を開催しています。

毛利 ものすごい人出で驚きました。13時に「今日はもう入れません」って。閉館は18時なのに、待ってる人が多すぎて締め切られてた。

鈴木 行列が、敷地全体を取り囲んじゃってましたもんね。

毛利「明日は何時だったら確実に入れる?」と聞いたら「朝6時なら大丈夫」って、冗談だろうと思いつつ6時に行ってみたら、すでにホントに並んでて(笑)アートの展覧会でこれだけの人が入るのは異例中の異例。ニュースにもなりました。

鈴木 しかも入場無料で。

毛利 そうそう。バンクシー自身もお金を受け取らなかったらしい。ちなみに2011年にアメリカ・ロサンゼルスの現代美術館(MOCA)で開催された「Art in the Streets」展に参加したときも「グラフィティを見るためにカネを払うのはおかしい」と自分でチケットを買い上げて、月曜日だけ無料にしています。

——ひゃあ、そこまでやるんですか。

毛利 すごいですよね。それでも、このブリストルの展覧会で「やっぱりバンクシーもこれで美術館に回収されちゃったのか」という批判がグラフィティやアクティビストの間から出ました。

——うーん。

毛利 でも、そこはバンクシーですぐに全く行政が予期していないことをする。その後(2011年5月)、ブリストルで大きな暴動が起きて、逮捕者が出るような事件が起こりました。大手スーパーマーケット「テスコ」の出店で地元の小さな商店が潰れるかもしれないという反対運動がきっかけです。このときバンクシーは、テスコのラベルが貼られた火炎瓶を描いたチャリティポスターを制作しました。これを1枚5ポンドで販売するよう、開催中のブックフェアに提供したんです。

鈴木 日本円で1000円以下。当時バンクシーのポスターは数百万したものもあったから破格の値段ですよね。しかも、ポスターは一枚一枚連番が付いていてバンクシーのサイン入り。売上は逮捕者の保釈金や裁判費用に充ててくれという声明が発表されました。

——カッコいい。

毛利 でも、ブリストル市にしてみたら、治安を揺るがす反体制派への援助ですよね。「せっかく市立美術館で展覧会を開いてやったのに!」って思ったでしょう(笑)。

鈴木 バンクシーは既に観光地としてのブリストルに十分貢献してるからWIN-WINではないでしょうか(笑)

毛利 僕もブリストルの展覧会の直後は「このままバンクシーは偉いアーティストになっていくのかな」と感じていたのですが、これで考えを改めました。イギリスでも、彼もやっぱり最終的にはアートとして認められたいんじゃないか。目立つことをするのは、名声を高めるためだ。そういうゲームをやっているだけだろうという批判はたえずありました。でもこういう活動やその後の彼を見ていると、違う気がします。

——なんか、カッコよすぎませんか?(笑)

鈴木 そうなんですよねえ。カッコよすぎる(笑)

毛利 ワケ分かんないよね。

鈴木 自分の信じるアートや社会活動をしたいと思っても、いろいろ事情があるじゃないですか。まずは生きていかないといけないし。そうなると、やっぱり権威あるところから認められたらうれしいとかお金もほしいとか色気も出てきたりするじゃないですか。でもそういう気配を感じさせませんよね。バンクシーの身元もその匿名性も、周りのスタッフの忠誠心によって守られているというのも奇跡的だと思います。

毛利 所有欲だったり、価格を釣り上げたりといった商業主義から注意深く、自分を遠ざけている。これはストリートの感覚だと思います。

鈴木 そういえば、最近ではロンドンのお土産屋にいくと、バンクシーのTシャツとかグッズがあちこちに並んでるとか。

毛利 ユニオンジャックと同じくらい人気がある(笑)でも、そういうところで権利を主張して、お金を稼ごうとはしない。

鈴木 個人商店にコピーされても騒がない。でも大企業がバンクシーの作品を利用すると、訴えたりしているようです。ちゃんと相手を選んでいるんですよね。でもそこで得た和解金は、パレスチナの子供たちや眼の不自由な子どもたちのためのNGO団体に寄付している。

——それもう義賊じゃないですか(笑)

毛利 それは完全にそうでしょう。

鈴木 活動をはじめてからもう20年くらいたつのに、長い間そのままでいられるのがすごいところだなと思います。

法律を超克し、あるべきルールを提示する

——法律について彼はどう考えていると思いますか?

毛利 グラフィティは器物損壊だから「ヴァンダリズム(器物損壊による犯罪)」だとよく言われます。でも、バンクシーは迷惑がかかりそうな普通の個人宅には描かない。基本的には公共物にしか描かないんです。

鈴木 ボムする対象は、ものすごく慎重に選んでいますね。

毛利 とはいえ捕まえようと思えば、捕まえられるんですよ。罪状はいくらでもあるから。

鈴木 それも不思議ですよね。

——今のところ、バンクシーはそれをうまくかわしているように見えます。捕まっていないし、勝手に描いたステンシルも消されない。

鈴木 市民や行政によって守られている作品も少なくありません。もちろん消されてしまった作品も多いようですが。

毛利 勝手にやる以上、そこに住む人に消されたり、壊されたりしても、文句はいわない。これはストリートのルールだと思います。

——なるほど。残ることが特別なんですね。

毛利 ストリートアートが誕生したベースには、私的所有に対する徹底的な疑問があると思うんです。とくに土地。「土地を持っている」という概念はあくまでも西洋近代社会のルールによる約束事であって、絶対的なことではありません。でも、実際には、自分たちが住んでいる街に、全然ピンと来ない白人のポップミュージックが流れて、遠く離れた都市に本拠地を置く政治家が開発を進め、グローバル企業の広告がベタベタ貼られている。大半の土地は金持ちの大家が持っていて、多くの貧しい人々は間借りして暮らすしかない。でもここはオレたちの生まれた街で、オレたちの街じゃないのか。それを取り戻すために生まれたのが、ふさわしい音楽=ヒップホップ、見たいもの=グラフィティだと思うんです。バンクシーはこの衝動を受け継いでいる気がします。

——「オレたちの街」をさらに「オレたちの社会」まで広げているようにも思えます。

毛利 誰かに奪われてしまった社会を取り戻す。そのために彼の採用する行動のいくつかは違法だけど、ほんとうに大事なのはどっちなのかを問うている。法律を守ることなのか、それとも大切なものを取り返すことなのか。バンクシーは明らかに後者を選択して、そのためだったら法律は必ずしも守らなくていいと考えている。政治学でいう「市民的不服従」の実践ですね。むしろ、金さえ払えば何でも所有できる法律の方がおかしいんじゃないか。そう言ってるように見えます。

鈴木 それがこの本のタイトル『Banksy, You are an acceptable level of threat』なんですよね。直訳すると「バンクシー、お前はまだ安全圏内だ」。器物破損だとかの社会の規則上、法律上ではなく、本当の意味での「罪」、つまり市民社会を脅かしている「本当の危険人物」はいったい誰なのか、どこにいるのかを問うている。バンクシーは、ただスリルを求めて「違法行為」を繰り返しているわけじゃありません。

毛利 むしろ犯罪の定義を変える、本当にあるべきルールを提示しようとしている。これはもしかしたら、アートの取り組むべき最後の領域かもしれないなあ。

——法律はそもそもみんなが幸せに暮らすためにあるのだから、その信念は分かる気がしますね。本当は必要ないと思ってるのに、「訴えられると嫌だから」なんて先回りして、自粛とか自主規制してしまったり、無意識のうちにトラブルを避けようとする同調圧力のようなものもありますね。

毛利 そうですよね。大半の人はそこで自粛しちゃう。でも、彼は独自のやり方でそこに踏み込んで、ルールに守られている人たちの裏をかく方法を提示する。その上で、守られてこなかった人たちを傷つけないようにも考えているんだと思います。

アートの文法では語れないアート

——信じられないほど上手くやってきた分、周囲の期待も大きくなっていますよね。

鈴木 最近では彼の仕掛けはどんどん大規模になっているので、もはや一人きりでの活動範囲は明らかに越えていますよね。

毛利 去年(2013年10月)ニューヨークでやったアーティスト・イン・レジデンス「BETTER OUT THAN IN」なんてホントにすごい規模だったもんね。

鈴木 ほとんど毎日、ニューヨーク市内のあちこちで同時多発的に作品を発表していたんです。グラフィティだけじゃなくて、動物のぬいぐるみを載せたトラックが走ったり、巨大なオブジェが置かれていたり。作品も活動もかなりコレクティブ(集団)になってきていますよね。

毛利 あのおじさんは、どうやって手配したんだろう?

——おじさん?

鈴木 このとき、セントラルパークのお土産物屋台で普通のおじさんが、バンクシーのオリジナルのキャンバス作品を格安で売ってたそうなんですよ。詳しいことは知らせずに、人を雇って「これを売ってくれ」と頼んだのかなと思ったんですけど、実際はどうなんでしょう?
毛利 たまたま見つけて数千円で買えた人はラッキーだよね。市場ではおそらく数十万から場合によって数百万円はするはず。売り子のおじさんは誰だったのかなと気になったんですよ。後からバンクシーだと知ったら、どう思ったのかしら(笑)

毛利 最近は、一部の現代アートの作品が、信じられないような価格でガンガン売れてますよね。このやり方は、そういうアート界に対する挑戦なんでしょう。それで思い出したけど、ブリストルでの展覧会がものすごく混み合っていた最大の理由は入場無料だった上に、写真撮影も自由だったからなんです。

——そうだったんですか!言われてみれば、ウェブにも写真が結構上がってますね。

毛利 1つ1つの作品をみんなが撮っていて、列が全然動かなかった(笑)そういうことをしたいんでしょうね。本当は作品もあげたいと考えていそうです。

鈴木 バンクシーはネットを上手く使っているともいえますよね。グラフィティは、地域限定というか、とてもローカルなものだし、その寿命も短い。作品としては、すごくはかない命じゃないですか。ここまでバンクシーの知名度が広がったのも、SNSで拡散されたことが大きいと思います。

——それはすごく分かります。でも、その一方で「バンクシーとは何か」を語ろうとすると、「大英博物館が収蔵した」とか「いたずら書きに、ものすごい値段がついた」なんていう週刊誌の見出しっぽい評価になりがちです。彼がいちばんツバを吐きたいであろうものを基準にしないと、その良さを伝えることができない。

毛利 僕は一種の美術批評にも関わっていますが、その意味で、彼がやっていることを正当に評価できる言葉をまだ持てていないのかもしれません。美術批評にもいろいろありますが、なかなか、バンクシーその俎上に乗ってこない。文法が違うから。

鈴木 現代アート界の中での評価、もしくは語られ方ってどうなんですか。

毛利「おもしろいね」と話す人は多いけど、全体としてはほぼ黙殺に近いと思います。美術として評価しようという動きはまだまだあまりないような気がする。特に日本では。そこにはやっぱり犯罪の問題もある。グラフィティは法を犯しているので、遠ざける要因になってしまう。それと、バンクシーの絵はトリックアートっぽかったり、風刺が効いているとはいえ、作品自体は極めてオーソドックスです。美術の文法で記述すると、そういう絵画的な部分しか語る用語がない。その結果そこからこぼれ落ちる面白さが伝わらない。

鈴木 こぼれ落ちる部分、その隙間をわざわざ縫って行っているような気もします。

——その文法ではたしかにそうなりますね。

毛利 現代美術には、ある意味、ものすごく厳密なルールがあります。過去の膨大な作品群やこれまでの経緯も含めた、評価基準と世界がある。例えば、村上隆やデミアン・ハーストは、アメリカを中心とした現代美術のルールをすごく自覚的に勉強し、対策を練りながら、作品を作り、ゲームに勝つという戦略をとっています。バンクシーはぜんぜん違う。

——そういえば、日本版「BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT」の帯は「勝てないなら、テーブルごとひっくり返せ! 」ですね。

鈴木 バンクシーは他人と同じゲームにはのらない。誰かが決めたルールは利用するだけ。でも、ブリストルでの展覧会は、正直、ちょっとどうかと思うような作品も少なくなかった。

毛利 基本的に、バンクシーって彼の初監督映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ(EXIT THROUGH THE GIFTSHOP)」の登場人物ミスター・ブレインウォッシュと似たようなところがある。『こんなクソみたいな作品を買うバカが信じられない』という言葉が殴り書きされただけの人を喰ったような作品が、バンクシーというだけで、オークションで高値で売れたりするのをおもしろがって見ているところがありますよね。

——それも含めてバンクシーのゲームなんですね。このゲームを面白いと思う人、新しいルールの登場を歓迎したい人が大勢いる。

毛利 イギリスでは、美術が高く評価されることってあんまりなかったんです。ターナーやベーコンは例外的な存在で、フランスやドイツを比べたらほんとうに少ない。基本的にポップカルチャー、大衆文化の国なんですよね。そういうアート嫌いな国民性をバンクシーはうまくくすぐっている。アート嫌いのためのアートというか。

鈴木 ゴッホのひまわりが枯れている絵(RE-MIXED FLOWERS)とか(笑)

毛利 子どもが大人をおちょくってるような感じ。

——グラフィティ界隈からの評価はどうなんでしょう。

毛利 出てきた当初はその枠で語られることが多かったんですけど、やっぱりグラフィティとも違うんですよ。とくに文化的な背景が異なっている。グラフィティには大きくヒップホップ文化にルーツを持つ流れと、日本のようにウエスト・コースト経由でスケボーとかと一緒に入ってきた流れがありますが、彼らの持つ政治性とか約束事は、バンクシーとは感覚が明らかに違うと思います。グラフィティの人はバンクシーにあんまりシンパシーを感じないんじゃないかな。

——その文法にも載らないんですか。孤高だ。

鈴木 アートは一部の特権階級が所有してきた歴史もありますが、バンクシーには、アートはみんなのものだという信念がある。だから、どこに所属しようとか、枠でくくられることは関係ないんじゃないかな。

毛利 だからそうした形では評価されなくても、100年経ったとき、バンクシーの作品はきっと残っていると思いますね。

バンクシーはこれから何をするのか

——今後は何をするんでしょうね。

毛利 ずいぶん前から「もうやることなくなったね」、「そろそろバンクシーも終わり」と言われ続けて、でも、ある日唐突に、そういう声をひっくり返す、驚くようなことをしてきているから。

鈴木 今もきっと何か準備しているはず。

毛利 映画「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」も唐突でした。

鈴木 2004年のインタビューで「次は映画を撮ってみたい」と話していて、当時は「どうしてグラフィティから映画?」と思ったし、よくわからなくて。でもその後どんどんバンクシーが有名になって、彼を取り巻く状況も随分変わって来た流れを鑑みると、映画を撮らざるをえなかったんだなと思いました。映画の中のミスター・ブレインウォッシュって、バンクシーの腹心だったのに商業ライターに成り下がって行きますよね。ビジネス的には成功していきますけど。つまり初心はどうであれ、革命を起こそうと思っていたのに、気づいたら体制側に組み込まれていることって起こりうるんだと。ブレインウォッシュはもともとバンクシーのファンで悪意のないおじさんなんですけど、気づいたら、おかしなことになっている切なさ。内部批判とも取れる複雑な状況への批判は、グラフィティでは表現できなかったし、映画じゃなきゃダメだったんだという気がしています。

——これまでの作品がすべて準備を経て出てきていると考えると、ものすごく粘り強い性格っぽいですね。

毛利 そうでしょうね。あの映画も何年もかけてコツコツ撮ったんだと思いますよ。思いつきでパッとやるという感じじゃないもの。

鈴木 戦略が表現手法のひとつというくらい、練られていますよね。

毛利 そもそもお金がどうなっているのかが分かんない。マドンナとか、セレブなコレクターがいるんじゃないかという都市伝説じみた話があるけど、それはたぶん本当じゃないかなあ。

鈴木 ポール・スミスやデミアン・ハーストも個人的なパトロンと公言しています。

——たしかにニューヨークのイベントとかは、口出しをしない、個人のパトロン的な存在がいなかったら難しいですよね。

鈴木 資金周りに関しては本当に謎ですが、ブレないですよね。

毛利 金のためにやった、というのが一瞬でも見えたらおしまいになる可能性はあるね。

——それ、ものすごく怖い立ち位置ですね。
毛利 でも、儲かりそうなこと、一切やってないんですよ。少なくとも見せていない。

鈴木 そこがアナーキー。

毛利 パリス・ヒルトンのパロディCD(2006年)作ったときも、わざわざフェイクを大量につくって、ロンドン中のCDショップをまわって置いた。あんなことしたって、儲からないよね(笑)

鈴木 儲かるどころか捕まるリスクしかない(笑)。その後これだけ有名になって大規模になっても、基本的には同じことをずっと続けている。

——もっと驚かせて欲しい。でも失望はしたくない。そう考えると、彼が背負っている期待はとてつもなく大きく、重いですね。

鈴木 匿名のままこれだけ世界で有名になったアーティストって珍しい。しかも、これだけの情報化社会の中で。それは、彼の匿名性と活動を守り続ける仲間が世界各国 にいて、 そのコミュニティが広がっているということだと思うんです。作品自体の出来不出来はもちろんですが、そのこと自体がスリリングで楽しいし、意味があるような気がしています。

——本日はありがとうございました。

※この記事は2014年2月3日に「高円寺素人の乱12号店」にておこなわれたインタビューを構成し、無料の電子雑誌『トルタル』5号に掲載されたものです。『トルタル』をダウンロードするとバンクシーの作品画像付きで読むことができます。なお『トルタル』の画像はすべて『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】 』(パルコ出版)より提供されたもので転載不可です。

バンクシーをもっと知りたい人のブック&DVDガイド

●「BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】」パルコ出版(2013.12) / パトリック・ポッター (著)、ギャリー・ショーヴ (編集)、毛利嘉孝、鈴木沓子 (翻訳) ・最新の作品を多数掲載するとともに、バンクシーの核心に迫る初の作品解説集がついに邦訳。3024円(税込)ISBN: 978-4865060508 

●「BANKSY'S BRISTOL:HOME SWEET HOME【日本語版】」作品社(2014)/ スティーヴ・ライト(著)、小倉利丸・鈴木沓子・毛利嘉孝訳(翻訳/解説)故郷・ブリストルでの昔ながらの仲間たちによる世界で唯一の“非公式”ガイドブック”。 消失した初期作品から代表作まで166作品+友人・仲間たちの証言+作品解説+本人インタビューも収録! 3024円(税込)ISBN: 978-4-86182-353-4

●ユリイカ「特集=バンクシーとは誰か? 路上のエピグラム(2011年8月号)」 青土社世界でも類の見ないバンクシー解説集として話題になった特集号。いとうせいこう×大山エンリコイサムによる巻頭対談、スプツニ子のエッセイ、バンクシーの大ファンかつコレクターのポール・スミスのインタビュー、イルコモンズ、毛利嘉孝、鈴木沓子、荏開津広らによる解説文も。 1337円(税込)ISBN: 978-4791702268

●DVD映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』アップリンク(2012) バンクシー初監督作のドキュメンタリー映画。ビデオ撮影とストリートアート鑑賞が趣味の中年男ティエリー・グエッタが、念願だった伝説のバンクシーと出会ったことにより、アーティストになると一念発起。アートの知識も技術もないティエリーだったが、やがて、アーティスト "ミスター・ブレインウォッシュ" として個展を開くまでに。全ては仕組まれた企画なのか、あるいはリアルなフェイクドキュメンタリーなのか…?第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート作品。3961円(税込)© 2010 Paranoid Pictures Film Company All Rights Reserved.

●DVD映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』アップリンク
正体不明、謎のストリート・アーティスト「バンクシー」がニューヨーク市を舞台に、オンラインとオフラインを行き来しながら仕掛けた壮大な宝探し競争。1か月間、毎日ひとつずつ街のどこかに作品を投下する「1日1ボム」を行ったバンクシー。その作品を一目見ようと追いかけるファン、作品の価値がわからず撤去しようとする市民、いちはやく盗みに行こうとするコレクターをめぐって繰り広げられた狂乱を追うドキュメンタリー。監督:クリス・モーカーベル。©2014 Matador Content, LLC. All rights reserved.


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鈴木沓子

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