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銀座五感散歩ライブ💕  銀座花伝MAGAZINE Vol.38

#銀座五感散歩ライブ #三人の女将たち #若者が「推し」経済を回す

銀座の2月は街のウインドウの色彩から春の兆しを感じることができる。2月の誕生色は蕗の薹(ふきのとう)の若芽のような淡い「黄緑色」。それを意識しているのだろうか、街角のあちらこちらに「蕾」を感じる彩りを発見すると気持ちがほっこりする。

中央通りの歩行者天国は、海外の観光客が増え以前の賑わいを取り戻しているかのようだ。空が広いな、と感じるこの街でようやく深呼吸ができるようになったという喜びが人々の表情から読み取れて、嬉しくなる。

街を五感散歩ライブで回遊すると、街全体からも、路地の奥からも、老舗の店内からも「ようこそ、銀座へ」のささやきが聞こえてくる。トリの眼、アリの目、サカナの眼になって街に潜る感覚は、まさに異界での心躍る冒険のようだ。

3年ぶりに再開する銀座五感散歩のREALライブ開催を前に、まだ未体験の皆様に向けて、銀座からのメッセージをお届けする。街に潜む楽しさ、美意識のカケラ発見体験のプロローグとしてご覧いただきたい。
また、歌舞伎公演を変える「推し」の力が、新時代の到来を発見させた「若者が経済を回す」をテーマにしたESSAYも併せてどうぞ。

銀座は、日本人が古来から持ち続ける「美意識」が土地の記憶として息づく街。このページでは、銀座の街角に棲息する「美のかけら」を発見していきます。

1.   銀座五感散歩ライブ prologue

3年ぶりに再開するREAL版の銀座五感散歩ライブ。これまで本誌で様々な角度から銀座の街をご紹介してきたGinzaTeller 岩田理栄子による生ライブ版散歩がこの2月に開催されます。                             今回のテーマは激動の銀座に生きる三人の老舗女主人たちの「美を求める」姿にフォーカスし、老舗を訪ねながら店主とのやりとりを体感。街の歴史、銀座人の情熱、土地のパワー、美意識 などのお話を交えながら街の回遊体験をお届けします。
開催前に、初めての方にも分かりやすく、銀座の楽しみ方のイメージをプロローグとしてお伝えします。

新春 銀座五感散歩ライブ(REAL版)                      『銀座で美しく生きる』                         ー江戸から未来へ                            手仕事の美意識を伝える女将たちー
      2023.2.25


◆ここは散歩の国 〜poemで街路樹をご紹介〜

ビルの雑木林の中、青空の高みを目指して伸び上がる樹々。街路樹は様々な物語を街に持ち込む。

この街は、中央通りが経糸(タテイト)だとすれば、個性豊かな緯糸(ヨコイト)である通りがそこに織り込まれ、まるで美しい布のような景色を見せる。

通りのアイコンは街路樹だ。それぞれ独自の色を発色している。散歩をしないと見えてこない、ローカルさが醍醐味だ。

●マロニエ通り

マロニエの樹々は、フランスからやってきて、街をピンク色に染める。宝石店のクネクネしたビルがこの通りの象徴だ。銀座で一番華々しいこの通りには、世界中のブランドが集まり、シャネルビルは夜になると、ビル全体が映画のようにストーリーを語り出す。

●松屋通り

通称ハナミズキ通り。メキシコからやってきたハナミズキが白とピンクの蝶のような花をつける。初夏になると「ハナミズキDAY」が開催されて、ふらりと界隈の老舗に入るとシャンパンなどが振る舞われる。

●みゆき通り

「御幸」と書いて、みゆきと読む。明治天皇が皇居から浜離宮に行幸された由来から名がついた。今は、GINZA・SIXビルをなぞるように道が伸びている。街路樹のナンジャモンジャの木は、5月になると白い花をつけて咲き乱れる。

●並木通り

リンデン(菩提樹)の木は、その澄んだ緑色の美しさゆえに、シューベルトの曲に乗って、ヨーロッパからはるばるやってきたのではと噂されている。若い幹の葉はハート型でふっさりとたわわ、クリーム色の小さな花を
つけると、甘く芳しい神聖な香りがする。舗道の御影石は、雨が降るとチョコレート色に輝く。日本で最も美しい通りと呼ばれる理由は、その変化を楽しめるから。

●交詢社通り

福沢諭吉が日本初の社交倶楽部・交詢社を設立したことに由来して付けられた。紅葉が美しいトウカエデは、秋になると街に彩りをもたらす。元は江戸時代に中国から贈られた樹だ。

●花椿通り

この通りの椿は、島根県出雲大社から辿り着いた。真紅のぼってりした花びらを初冬につける。銀座の立役者である資生堂のブランドマークが花椿デザインであることもこの由来からだ。この通りを南下すると、銀座最後の秘境と言われる花柳界に辿り着く。




◆つながる応援

特製MAPで街をめぐりながら、店主たちと語らう、ご自慢のお菓子を味わう、店主の審美眼に驚く、それが老舗の応援につながる。銀座はきらびやかなイメージばかりが目立つが、実は江戸や明治時代から日本文化を継承する職人技を自慢とするお店が結構存在している。老舗店主たちは、特別の美意識を持って銀座という街を長い時間をかけて作り上げきた。江戸・明治・大正と火事や地震・戦争によってこの街は焼け野原になってきたが、元気のある商人たちが復興に立ち上がり、店を再建し今日まで生き続けてきた。

早朝になると街路樹や舗道を掃く店主の姿を見かける。その背から街への愛情を感じる。街づくりでは、銀座を歩く時により楽しさを感じてもらうために路地を作ることを欠かさない。回遊性によって、ウロウロがたくさんできる街に人はミステリアスなワクワク感を持つのだと知っているからだ。銀座の象徴ショー・ウインドウは日本で初めてこの街に生まれた文化だが、商品をただ売るための窓ではなくて、「ようこそこの街へ」という思いを表現するための設いだと決めている。その店ならではのメッセージをどう届けるかに凌ぎを削っているのだ。そんな銀座が最も大切にしているのは、お客様に物を手渡す時に、その商品がどんな道を辿って銀座にやってきたのか、どんな職人が気持ちを込めたのか、という物の裏側にある物語を直接お伝えする行為そのものなのだ。

コロナ時代になり、face to faceでお客様と対話できなくなって苦しかったのは、物が売れないからだけではく、一番大切にしてきたことを“生”でお伝えすることができないからなのだ。そんな店主たちの思いを感じながら、銀座を散歩して頂けることが街を支える老舗にとっては何よりの応援になる。

◆ここは、水の国 〜銀座の寓話〜

その昔、銀座は小さな島だった。
今から400年前の16世紀、江戸時代を迎える少し前、幕府が京都から江戸に移ろうという頃の話だ。当時は、現在の東京駅から日比谷あたりは入江で、銀座は穏やかな海に浮かぶ「前島」という半島先の島だった。それはそれは小さな寒村だった。前島には「老月村」というたった一つの漁村があり、漁民たちは細々と魚を採って暮らしを立てていた。

いよいよ、江戸築城 ー最初の「銀座」の住人たち
徳川家康が江戸幕府を開き築城工事が本格的に始まると、この前島周辺の入江の埋め立て工事に手をつけた。駿河台辺りにあった神田山を掘り崩し、せっせと江戸前島沖に運び込む工事は、完成までに33年もかかったというから壮大な工事だったに違いない。

埋め立てによって老月村の漁民たちは漁場を失い、新しい生活の場所として出現した人工の土地に移り住むようになった。まだ、「銀座」という名前もなかった時代。新しい土地の第一号の住人は、老月村の漁師だったのである。

銀座の土地のDNA
生まれ変わった前島の新しい土地に、幕府は大きな職人工房を作ることを計画する。
そこに「銀貨」を作る鋳造所が誕生し、京都から「銀職人」たちが集められた。周辺に「両替商人」が点在し始め、次第に街としての広がりを持つようになる。この頃に、銀を鋳造する町として「銀座」の名前が生まれたのだ。

こうした変遷を経て、千変万化の歴史が繰り返される中で、銀座の土地の記憶の象徴は、「水(変化)」「銀(あでやかさ)」として人々に認識されていくことになる。

◆銀座の湧水 〜水の記憶〜

水脈が銀座の下を流れていることは、街の成り立ちからしてもおおよその想像がつく。実のところ、現在でも、銀座には湧水が出ていて、老舗店主から湧水にまつわる話を聞く機会は決して少なくない。

ビルの建て替えを行うと必ず、比較的浅い地下から、塩分を含まない湧水が出てくると聞く。水質検査をしたところ、薬物などの混入もなく、「緊急時には煮沸して使用可能」という東京都のお墨付きまで出ていたため、防火用に井戸を掘ったということも頷ける。                 銀座8丁目にある花柳界の芸者衆がお稽古をする「見番」と呼ばれる建物を立て替えた時に、地下水が大量に湧き出す様子を目撃したという店主も多い。
ことさら語られる面白い話としては、銀座6丁目の並木通り沿いにある岩月ビル(画廊ギャラリー)周辺は、第二次世界大戦(1939年)前、今から90年前には、その湧水を利用して池を造りライオンや熊などの猛獣を飼っていたという記録もある。
現在目撃できるのは、銀座8丁目「天国」(てんくに)近く、以前の江戸前島の先端にあたる、三十間堀と汐留川(両方とも既に埋め立てられている)交わる位置で、今でも美しい湧水がこんこんと湧き出ている。

◆今、この時、この場所で。 ー三人の女将の人生ー

今回開催の銀座五感散歩ライブでは、時代の変遷という激動に揉まれながら、独自の美感覚で手仕事の美を守り続けてきた老舗を訪問する。染織工芸を古裂(こぎれ)や古更紗(こさらさ)の蘇りから進化させ続けている「銀座むら田」。文政年間創業、6代目店主は93歳の現役。創業200年を超える老舗を支えてきた女主人の美意識と手仕事、失敗を 新たなチャレンジに変え続けた人生についてお話を伺う。                      また、歌舞伎座の衣装を手入れする悉皆職人を経て、観劇する江戸町人のための冨貴寄・可愛い江戸菓子文化を考案し、銀座手土産No.1の誉高い、明治23年創業の菓子舗「銀座菊廼舎」を訪問する。毎日店頭に立ちお客様との対話を大切にする女将のこだわりのお話や、絵付師の手仕事から生ま れた四季折々の独自の江戸菓子の職人技をご店主のお話と共に体感する。      さらに、もてなしの心を器美で伝えた魯山人の名陶器や古式ゆかしい江戸徳川家の御所人形などを守り啓蒙しながら、果物と食や菓子の文化を進化させ続ける「宗家 源吉兆庵」の若き女将が受け継ぐ美意識とは何か、自家栽培やSDGsへの取り 組みの情熱哲学など、雅にしつらえられた空間を五感で味わいながらお話を伺う。 

それらコースの中から、銀座で最古参の老舗女将の横顔をピックアップでお伝えする。

◆伝説の女主人 自然美をまとう暮らし

並木通りから、銀座6丁目の路地に入ると、暗がりの向こうに交詢社ビルの大理石のベージュ色も麗しい肌合いが見えてくる。光を頼りに奥に進むと、左手に年季の入った窓枠にレトロ感漂う渋いガラスが嵌め込まれた佇まいの老舗にたどり着く。少し屈んで、窓を覗き込むとこの老舗のあき子女将が長場机に座って、電話を受けている姿に出会うことができる。その横顔は、気品と気丈さがまるで絹糸で紡がれた一反の着物地を思わせる美しさだ。店内に広げられている世界中の古裂、古更紗を活かした創案の数々。自身が磨いてきた審美眼で選び抜いた逸品は、彼女の人生そのものである。

創業は文政年間の「銀座むら田」は、五代目吉茂(1901〜1975年)の代から、結城紬専門店に加えて呉服全般を扱う呉服専門店となり、戦時中も衣料配給統制外として転・廃業する事なく、官許の営業を続けてきた。先代の掲げた着物創りの信条、「個性尊重・一品制作」による創案自作の姿勢を受け継ぎ、国内各産地に伝承されている手仕事の美しい稀少な染織品を、後の時代に伝える役割を担っている。銀座にあってオンリーワンの染職専門店である。

女将の審美眼は、祖父、近代陶芸の開拓者との呼び声の高い陶芸家・板谷板谷波山によるところが大きい。嫁いだ先が結城着物専門店「むら田」で、先代5代目義父・村田吉茂に美意識を叩き込まれた。

真の美の極地は 衒い誇張功利の邪念なき
錬磨の技の精進に生まれ 服飾のあり方は
着物を見せるものとせず
着る人の教養人柄を表現する使命あること

      むら田 五代店主 村田吉茂 敬白

その美意識を求めて、多くの人がこの老舗に足を運ぶ。女将の語りは、小鳥の囀りのように繊細で、どこかのどかで、麗しい。

新春1月、ある日の、女将の着物アドバイス。

結城紬十字絣 すくい織名古屋帯「梅枝」

明るい藍の地に、一巾に十三ケ並んだ十字絣。絣がはっきりしない処が気にいっています。
梅はやっと一輪ほころびかけました。墨絵のように織られたすくい織名古屋帯。花の色を仄かな茜色の帯締めに託して。

93歳の今も、帯揚げなど小物はご自身の手で染める。古裂、古更紗の美を求めて、新しい染織を生み出す、まさに現役クリエーターである。
銀座で紡いできた人生の秘話を当日はご披露いただく予定だ。

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詳細、お問い合わせは、HPまで



2. ESSAY  若者が経済を回す 「推し」のチカラ


・歌舞伎とジャニーズ

銀座の街にZ世代があふれはじめた。銀座の老舗の人たちは、あの若者たちはなにを目指して銀座に来ているのだろう?と不思議がる。それもそのはずである。街に若者は溢れてはいるものの、自分たちの店にその姿を見ることはなく、商売には全く恩恵がないからである。

ある日、江戸時代創業の老舗和菓子屋「萬年堂」で、出来立ての上生菓子を一口サイズで食べられる「ぷち彩果子」と抹茶との組み合わせでティータイムを楽しんでいた。笠間焼の焼き目も美しいマリンブルーの長皿に、4種類のぷち和菓子が横並びに置かれている。そこには、その季節、その日ならではの色彩がありいつも心が躍る。出来立てを味わいながらふと目をやると、竹細工で設たウインドウの脇で女将が何やら手仕事に励んでいる。近くには、10センチサイズの色とりどりの巾着が並んでいて、どこか和風でありながら、色目はポップ。和菓子を入れる布袋か・・・など様々な想像が働く。

最後の老舗の銘菓「お目出糖」(おめでとう)に辿り着き、舌の上で溶かして柔らかい風味を味いながらゆっくりと抹茶を啜っていると、女将がこちらを向いて、

「これ、これから新橋演舞場に届けるんですよ」

と言って、作り上げた小袋を指で持ち上げて見せてくれる。
新橋演舞場とは、銀座8丁目の花柳界に寄り添うように存在している、いい意味での目立たない風情が銀座の歴史を感じさせるような観劇会場である。
銀座7丁目にあるこの店からは、歩いても10分ほどで行ける距離だ。

「演舞場?この時期だともしかして、歌舞伎ですか?」

「團十郎襲名公演の、ほら“SANEMORI”ですよ。全くすごい人気で、グッズの納品が追いつかなくて、こうして店で内職している有り様で・・」

“SANEMORI”とは、古典歌舞伎の名作「源平布引滝」に現代感覚を取り入れた現在(2023・1月)上演されている歌舞伎公演で、歌舞伎界の大名跡「團十郎」と人気ジャニーズのメンバーが準主役を勤めることで評判になっている演目である。

「これ、その舞台のグッズなんですか?」

「ほらこのマーク、わかります?」

その巾着の生地は薄桃色、薄イエロー、薄ブルーと色とりどりで、全体にパールが振ってある。よく見ると、大きく雪❄️マークが施され、それがアクセントになっているのだ。

「ほら、雪」

あー、もしかしてSnow Manですか?と当てずっぽうを口にしてみたら、御名答!と囃されてしまった。それほどその方面に詳しくない筆者でも「ジャニーズと雪」といわれれば、かろうじてではあるがこのグループ名が出てくる。

「萬年堂」の女将さんは大変に縫い物が得意で、店で提供するあんこ玉や落雁用の小袋を作っては店頭に可愛く並べている。どれもそれはそれは見事な出来。それがジャニーズファン向けのグッズ作り!!
今様ではファンとは言わず、「推し」というのだろう。

女将によれば、Snow Manのメンバーである宮舘涼太が準主役として出演することから、20代、30代の女性を中心とする若い人たちが演舞場に押し寄せ、舞台は活況を帯びているとともに、グッズ売り場は長蛇の列で、作っても作っても品切れが起きてしまい間に合わないのだという。

それでやむに止まれずお店で内職する事態に、とようやく状況が飲み込めた筆者であった。

「ところで、中身は何なんです?」

「金平糖ですよ」

歌舞伎も金平糖も、おおよそ若い女性たちにはこれまで全く縁が薄かった物の代表であったろうに、ジャニーズの推しメンのために、高いチケット代も、長蛇の列に並んでのグッズ買も何のその。今や、「推し」経済が大きくうねり始めている現実に驚いた。



・伝統歌舞伎の不人気の陰で


それからしばらくして、新橋演舞場「新春歌舞伎公演 市川團十郎襲名記念公演」『SANEMORI』(市川團十郎 宮舘涼太)をのぞいてみた。

1ヶ月間毎日公演のチケットは、連日ほぼ完売の人気ぶりで、入手が難しい状況であった。何とか入手して、料亭街に囲まれた新橋演舞場に行ってみてまず驚いたのは、歌舞伎解説を聴きながら演目を鑑賞するための「イヤホンガイド」に並ぶ若い女性たちの行列である。「推し」タレントだけをただ見られればいい、という感覚ではなくて、初めて体験する「歌舞伎」という文化にも少なからず関心があるということがわかる。Z世代と思しき大学生たちの側で様子を見ていると、「衣装すごいね」「あらすじ、何となく分かるね」などひそひそと感想を交歓し合っている。

筆者が観た舞台は、拍手喝采で会場が沸き、これまでの歌舞伎ではあり得ないカーテンコールが繰り返され、最後は観客のスタンディングオベーションで幕を閉じるといった異色ぶりだった。しかも客層は30歳以下の若い女性がほとんどだった。

今回の舞台を見て強く感じたのは、これまでジャニーズが挑戦してきた自ら企画・演出・主演のエンターテインメントに和風テイストを入れ込んだ「滝沢歌舞伎ZERO」的な演目などとは異なり、ジャニーズメンバーを主役級に据えながら、團十郎が伝統歌舞伎の枠組みをきちんと守っているということである。もちろん、台詞は現代語に直され、舞台装置・照明も現代的ステージ仕様、通常の歌舞伎音楽では使用しない和太鼓などの活用もあったが、本来の物語、舞台設定、人物描写などは、伝統的な時代歌舞伎そのものなのである。「時代物」らしい義太夫の語りも入り、往年の歌舞伎好きをも満足させる要素も忘れていない。

その中で、主人公・斎藤実盛(さいとうさねもり)を團十郎が演じ、木曽先生義賢(きそせんじょうよしかた)と源義仲(みなもとのよしなか)の父子二役を宮舘涼太が演じ切っていた。歌舞伎は、実力ある舞台俳優でも、歌舞伎役者の修行を経ていなければ難しいと言われる。独特な台詞回し「口跡」と、日本舞踊の修行から生まれる「所作」は必須である。

宮館涼太の芝居は、決して歌舞伎が板についたというものではなかったが、歌舞伎の精神を理解し演じ切ろうとした姿は実に清々しかった。その姿に、「推し」を求めた若者たちが熱狂し、瑞々しい感性のままに歌舞伎を知ることにもなったのではないか。このような形で古典芸能が入口を変えて伝わっていくであろうことに、心がほっこらしたのは筆者だけではなかったと思う。
聞くところによると、宮館涼太は幼い頃から、歌舞伎が好きでいつかは役者として出てみたいという夢を持っていたという。幼い頃から少しずつ身に着けてきた歌舞伎に係る美意識が今回の大抜擢というチャンスを引き寄せ、そして見事にそれに応えるということに繋がったのかもしれない。


新橋演舞場SANEMORIプログラムより


・時代の変化の中で

実は、この公演に先駆けて昨年11月、12月には歌舞伎座で「團十郎襲名記念公演」が上演されたが、團十郎ほか歌舞伎役者のみの舞台は、満席になることがなく3ヶ月公演を2ヶ月に短縮してもなお埋まらなかったと聞く。

そしてこの「SANEMORI」公演と同じ頃、歌舞伎座では「寿 初春大歌舞伎」が上演されていた。筆者は空いた時間に好きな演目だけを見ることができることから、天井に近い席「幕見席」で鑑賞することが好きだが、現在はコロナ禍の関係でこの席は販売を停止している。

因みに歌舞伎座によく通われる方にお話を伺うと、人気なのが特等席と言える1回桟敷席(17,000円)と料金が安い3階A/B席(5500円、3500円)だという。桟敷席は一般客席の両側にあり、1段高くなった半個室スタイルの20区画/40席で、注文した弁当も食べられる人気の席で通常予約が困難で、ご贔屓筋に配分されることも多い。1階・2階席は最も席数が多いにもかかわらず、不人気だとか。

そこで今回は3階席に座ることにしたが、あたりを見回して驚いた。平日とはいえ、一等2階席がガラガラ、8割は空席、1階席も半分以上が空席という状況だったのである。

「寿 初春大歌舞伎」公演は三部制で、松本白鸚、中村梅玉、市川猿之助、松本幸四郎、中村勘九郎、片岡愛之助、中村七之助、市川染五郎など、幹部俳優・人気俳優が揃い、伝統的に人気があると言われる演目が並ぶのにこの状況である。
コロナ禍で歌舞伎座は長期の休場を余儀なくされ、開演が許された直後には間引き入場の余波もあり、入場人数は半分に制限されていたことも影響しているだろう。                            加えて、日本特有の観劇スタイルである劇場幕の内弁当などの食事を楽しむことも禁止され、食堂、売店も全て禁止されたことが魅力を半減させたのかもしれない。

しかし、コロナ禍以前から歌舞伎座の不人気ぶりを心配する声はあちらこちらから聞こえてきていた。すでにこれまで歌舞伎座を支えてきた高齢者を中心とした観客層が減ってきていた中で、2020年からのコロナの影響でさらにその傾向が強まったようだ。今回の「寿 新春歌舞伎」の客席を眺めると、一見して70歳以上の客層が圧倒的に多くを占めていた。これまで、歌舞伎を支えてきたそうした人々は今後も明らかに減っていくだろう。

また、日本が近代化する中で、生活様式は大きく様変わりしてきた。武家社会の慣習や美意識は重きを置かれなくなり、義理・人情は薄れ、そういう世界を描写し物語化した歌舞伎の演目に若者でなくても親しめなくなってしまったという側面もあるかもしれない。
そうした中で歌舞伎はどのような道を選択していくのであろうか。物語の切り口を変えた面白さを追求していくのだろうか、それとも「推し」を求めやすいワンマンショーのような形式に変えていくのだろうか、あるいは分かりやすいセリフの採用や上演時間の短縮を目指すのだろうか。

・「推し」文化が社会を変える

「萬年堂」の女将がしみじみと語っていた。
「今これからは、若者が経済を回すんですね。時代は変わったんです」

そんな現実を直視した時、今回の團十郎とジャニーズの異色コラボの歌舞伎公演の成功は、これからの日本文化発展の一筋の光明と言えるのではないだろうか。「推し」=個人が好きなクリエーターや演者を応援する=という形が登場し、今や社会を動かす「文化」にまで発展し、経済を回す大きな力を発揮し始めている。一人の「好き」は決して大きくないが、その情熱と継続する力は仲間が膨らむと文化にもなっていくようだ。

そして、これまで着物姿の百貨店と言われてきた歌舞伎座に、おそらくかろうじて着物生活を保ってきていた70代の観客が今や足を運ばなくなりつつあることにより、着てくる人がめっきり少なくなってしまった一方で、新橋演舞場で古着着物をポップに着こなしている若者を見つけた時、その固定観念なく純粋に楽しもうとする姿勢に希望を感じた。


3. 銀座情報

「読んで味わう世阿弥と能」 築地本願寺銀座サロン能楽講座

観世流シテ方坂口貴信師の実演と国文学者の林望先生のお話しという贅沢な2時間。声に出して読むと新たな「風姿花伝」の魅力の発見になります。     初回登録ご参加の方は無料で受講(期間1/10〜2/9)が可能です。この機会にぜひ世阿弥の世界をご堪能ください。

↓詳細・お申し込みはチラシをご確認ください↓


4 .editer note

伝統芸能という言葉が、未来への響きを封印してしまっている感じがする、という感想を持たれる方が多い。言葉は、その時代に伝えたいメッセージを本当に伝えているのかどうか、常に検証・変換していくことが必要だと筆者は常日頃から考えている。そういう意味でこの言葉も再考する必要がありそうだ。

今回は、歌舞伎座の厳しい状況についてお伝えしたが、これは、日本文化・芸能の源である「能」においても同じことが言える。元々、能は武家社会の式楽が発祥であるのに対し、歌舞伎は江戸町人たちの娯楽芝居がその始まりである。公演スタイルも、能がその日だけ1公演、まさに一期一会の舞台であるのに対し、歌舞伎は1ヶ月毎日公演である。主催者はといえば、能楽師は観世、金春、宝生、金剛、喜多と各流派の能楽堂での定期能という舞台を除けば、自営業者であるところの能楽師自らが企画し公演することが多い。その点、歌舞伎は松竹という興行主がいて公演を企画しそこに歌舞伎役者が出演するという形である。いずれも、観客層の高齢化は以前から危惧されていて、次の時代にどう繋ぐかという課題は切実である。

そんな中で、新春1月14日に開催された「GINZA de petit 能」は、未来を感じさせる能舞台だった。主催は、観世流シテ方林宗一郎師で、90分で菅原道真が神に昇華する物語を、実演解説付きで演ずることを企画した。本来能舞台は、能・狂言・仕舞いなどオールスター出演の演目は4時間を超えるわけだから、「90分で能舞台」がいかに革新的か分かる。解説は見所を2箇所ほどピックアップし、実演を交えるので能が初めての人でも分かる解説ぶりも見事だった。

この企画、実は能楽師の奥様(30代)が提案したものだという。一般人である彼女は、自身の肌感覚で「能が長すぎる」「分かりづらい」「眠くなる」ことを分かった上で、このままだと若い人たちは見なくなると危機感を抱き、自ら企画し、夫や共感してくれる能役者たちを巻き込んで、補助金を獲得し公演にこぎつけたのである。チケット代も5,000円という手軽さもあり、企画は見事に当たった。若いサラリーマン、OL、外国人が詰めかけていた。皆関心がないわけではない、手軽に体験できる場を探しているのだ、と気付かされた。一般人の感覚、女性の感覚が導いた成功体験だと言えよう。

この2月に開催する「銀座五感散歩ライブ」(REAL版)でも、激動の銀座を生き抜く三人の女将たちに注目する。今や、感性豊かな女性たちが世の中を動かし始めていることを実感している。

本日も最後までお読み下さりありがとうございます。
                  責任編集:Ginza Teller 岩田理栄子

〈editorprofile〉                           岩田理栄子:【銀座花伝】プロジェクト・プロデューサー         ギンザ・テラー / マーケターコーチ
        東京銀座TRA3株式会社 代表取締役
        著書:「銀座が先生」芸術新聞社刊



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